大原のお姫様 Ⅱ 三田市

大原のお姫様 Ⅰ (前編)からの続きです。
大原の里に戻されて間もなく父が没し、世の儚さに打ちひしがれている姫の様子に・仏の道を説き慰める青原寺の和尚に、少しずつ気を取り直し父の菩提を弔う為、大般若経六百巻を写経したが力尽き亡くなってしまう。
  貴志館城跡?の土塁
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村人らが姫の死を悼み・霊を慰めるため、父の大原城主郭【”烏の森”とも呼ばれて…大原城はお姫山城・烏ケ森城・小原城・福島城の別名がある】に社(姫山神社)を建て祀られる。また烏の森には「入り日射す、朝日輝くウコン三つ葉の木の下に、烏が三羽に縄三把、困ったときに掘り起こして再興せよ」】…との埋蔵金伝説も残るが、大原のお姫様伝説にも更に別テイク版もある!!…
  貴志館城?(公民館西端)土橋状を挟む濠跡?と土塁?
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嘉吉年間(1441-44・室町時代初期)に築かれた岡山城(東野上城)赤松氏の長男と恋に落ち夫として迎えますが、岡山城側では不埒者として勘当していた。…或る日・勘当を許すので一度城に帰るよう勧められ、姫が止めるのを宥め城に向かうが騙し討ちで殺されてしまい、姫も子供を道連れに自害してしまう…なんとも”切ない”お話も…。
  貴志家菩提寺の慶安寺
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伝説の”裏取り”ほど無意味なことは無いのかも知れないが…文永年中(1264-75)大原城主:大原宗隆の姫なら鎌倉時代…姫の写経600巻は鎌倉時代中期1270年頃から欠巻もあるが室町期の1511年…等に跨っている。肝心の貴志城主の貴志五郎四郎義氏については不詳ながら、弟:次郎左衛門吉行が赤松則祐ら北朝方に付き石峰寺城や三津田城の合戦で討死したのが南北朝期の1339年。
  貴志神社(御霊神社)
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大原・川除には大原城の姫山神社・川除に川除神社(御霊神社か?)・大原家菩提寺の松養山青原寺がある。また貴志にも県道141号に城域を落とす貴志城と公民館側に土塁を遺す貴志氏館(居館というより館城か?)、貴志家菩提の慈豊山慶安寺と寺宝に大般若経600巻・貴志神社(御霊神社)がある。
 貴志五郎四郎の?を示す標柱が立つ貴志館(館城)跡 ↓

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