御霊神社と夜泣き石 三田市

古来より磐・岩・石には霊的なものが宿るとして、神として崇拝され祀られている例は多く、また霊的な存在から、其の石からは話し声や・泣き声が聞こえる…という言い伝えは全国各地の残されている。尤も声なら「おいてけぼり」のように池から…、骸骨になっても!!…は落語”野晒し”や、熊野古道最長の石畳道が残る鹿ヶ瀬峠には比叡山の僧円善上人が熊野詣の途中、鹿ヶ瀬峠で亡くなった。
 御霊神社(貴志神社)
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白骨となっても続経する円善上人の「骸骨読経の伝説がある。大原のお姫様 Ⅰ大原のお姫様 Ⅱ の話では三田市貴志(貴志城)側の御霊神社(貴志神社・貴志宮)には夜泣き石がある。貴志神社は祭神に大彦命・伊弉諾尊を祀るが鎌倉時代:相模国の鎌倉御霊社より鎌倉權五郎景政の神霊を勧進合祀し御霊神社と改称されているが、貴志五郎四郎義氏の祖・義茂は源頼朝に仕えていたので、貴志の地に来住した頃に勧進されたものの様。
  坂道の更に先へと広い参道を境内に…
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西脇市野中町に天目一神社(あめのまひとつじんじゃ)がある:その名が示す”一つ目”の天目一箇尊命(あめのまひとつのみこと)が祀られており、天照大神の岩戸隠れの神話では、外へ導き出すための祭器の刀剣や斧等を作ったとされる鍛冶の神様で、 「市川流<成田屋>」の歌舞伎十八番に制定されている演目一つ”暫”の主役が御霊神社に祀られる「鎌倉権五郎景政」
 向拝には神仏習合の名残りが遺る:XX観音を表わす種子の彫刻
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御霊神社は延文4年(1359)本殿を焼失したが文明2年(1470)再建され、向拝上には神仏習合の信仰を反映して、十一面観音を表わす種子(キャ)の彫物がある。境内の此の拝殿前石段下に三つ石が並ぶが、左手の二つ石が貴志のぬけ石と呼ばれる石陰陽石(夫婦石)。右端に変わった形の黒っぽい石が茶臼石とも呼ばれるが”夜泣き石”伝承を残すが、此は酒船石で神社祭礼に用いるお神酒は全て、清浄なこの石によって作られたと云われますが、現状は手水石?:縁の数カ所に残る窪みは新宮神社(篠山市)の手水鉢にも残る盃状穴。子宝祈願か祭神「鎌倉權五郎景政」に肖る先勝・必勝・兵役からの無事帰還の祈願によるものか…?。
  夜泣き石に並んで置かれている陰陽石!!
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全国に名を知られた志摩の九鬼水軍だったが”関ヶ原合戦”に父:九鬼嘉隆(西軍)と子:守隆(東軍)が分かれて戦い東軍勝利に父は自刃。鳥羽藩初代藩主:守隆のあと2代藩主九鬼久隆が寛永10年(1633)家康命により海のない摂津三田藩初代として移封された…。九鬼の殿様が此の「茶臼石」を気に入られたため庭石として献上された。
   夜泣き石(茶臼石)
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…が夜も深けて辺りは物音一つしない静かな庭の方から、女のすすり泣くような声が、お殿様の寝室にまで聞こえてきます。空耳かと思ったが次の夜も「貴志へ帰りたい…」と訴える声が聞こえてくるようになり、気味悪くなった殿様は、その石をきれいに洗い清めて貴志の元の場所へ返させたところ、すすり泣きは聞こえなくなったという。
 「御霊神社由緒・夜泣き石伝説」は神社案内板・案内パンフ・市観光協会を参照

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