鴨野城3 丹波市

鴨野城Ⅰでは主尾根南面に位置して南西に位置する曲輪群と、南東に枝尾根を延ばす先端部に鴨野城前衛の出曲輪があったが、土取りや採石場のため崩壊・重機による斜面の削平に現状では遺構なのかどうか「あやふや」で確認出来ず、郷土史志類や埋蔵文化財調査報告書等資料にも未掲載なので、
  鴨野城主郭切岸と副郭
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二ヶ所の曲輪遺構は鴨野城域に含めて城砦名を削除することにしたが、鴨野城Ⅱでは萱刈坂から県道の北:鴨野城周辺に点在する城砦群について触れてみた。鴨野城(加茂の城・谷屋砦<柏原町鴨野・北山>)は高見城から北へ延びる氷上・柏原町界尾根が萱刈坂で寸断されるが、尚北方末端の母坪城まで続く高見城塞群・最初の城塞。
    同上:主郭から
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城塞群のなかでも穂壺城に次ぐ規模の遺構と縄張りをもつ。高見城佐野城と呼ばれていた(建武3年 1336)頃-丹波守護仁木頼章が城主の頃、谷屋砦・泉山砦に丹波守護職:賴章の弟:義長が拠った城か?。此の義長が谷垣氏の遠祖と云う。頼章は南朝に付・また北朝方に戻ったり!!?で途中、山名時氏・高師詮(もろあきら)が代わるが
   北枝尾根側から主郭北面と西の鉄塔(曲輪)
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延文4年(1359)死去まで丹波守護を務めている。高見城にいつ頃までいたかは不詳ながら新井郷(鴨野・小新屋・北山…等)集落内に仁木氏家臣を祖とする幾つかの姓がある!!。其の後:佐野から鴨野・東鴨野へ、更に中世には小新屋へと高見城(釘抜門)大手が変わる。
  主郭北面枝尾根先にもあった2段曲輪
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>鴨野城は萱刈坂が西の玄関口として要衝となる街道を押さえる重要な位置にあり守備・監視の拠点となっていたと思われ、元亀 ・天正年間(1570-92)信長の [丹波平定]には赤井氏の本城・黒井城の西方を押さえ、氷上盆地を東西に分ける丘陵・北播磨方面から侵攻してくる加古川沿い監視も重要。
 鴨野城:帯曲輪から上り土塁を副郭・一折れし虎口曲輪に入り主郭へ
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中世:黒井城支城として高見城に赤井氏が入り泉山砦残置し!?、赤井・荻野氏支配の鴨野城を大規模に改修して仁木氏・家臣を先祖とする谷氏(谷垣氏)等が移り拠ったものと推察します。鴨野城の城史・縄張り等はHPの鴨野城を参照ください。次は泉山砦へ…泉山城が鴨野城を指すのか!!泉山砦が鴨野城の出曲輪なのか?

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