子育て地蔵 黒井城落城悲話

織田信長による「天下布武」の号令による「丹波攻略」には、丹波氷上の荻野・赤井氏(黒井城)攻めが明智光秀を総大将に始まり其の初戦(第一次合戦)が天正3年<1575>9月、「赤井の呼込み戦法」と呼ばれるが黒井城荻野直正と事前に示し合わせ、光秀とは偽りの同盟による光秀の私恨?か、八上城の波多野氏攻め、
  左手山裾から奥が乙河内・高過ぎると思えた山上にも城遺構が…
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天正6年には播磨攻め軍議決裂により別所氏(三木城)攻め…が続く戦乱の世。丹波「黒井城攻め」初戦期の伝承として白蛇伝説と行者山砦を挙げたが、天正7年8月黒井城落城の後、素性を秘めて市島町美和の乙河内に隠棲した直正家臣:荻野丹後守夫婦の酒梨の子育て地蔵<市島町酒梨(さなせ)>伝承が残る。
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荻野直正の養父ともなった荻野秋清の留堀ヶ城(酒梨城・戸堀城・溜堀(とんぼり)城がある東方の丘陵部に城砦遺構を探して勅使・酒梨・与戸・乙河内付近の丘陵部探索途中・Cafeテッラ・ドーノから一旦閉鎖した旧グルメで紹介していた”「安食の郷(高見牧場の直売店) 同じく高見牧場肉を提供の グルメリア但馬 市島店)”に向かう・周囲が圃場の直線車道の先に其の地蔵堂はある。留堀ヶ城から距離はあるが同じ酒梨地区内。
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荻野直正が黒井城主の養父:荻野伊予守秋清を暗殺・その菩提寺・首塚?のレポートは後にして、先ず地蔵伝説を…。再起を図るため生き恥を晒すとも…と乙河内に隠栖した丹後守夫婦は其の日の生活にも事欠き、気苦労は日ごとに妻の乳の出にも響き、痩せ細る妻子の姿を不憫に思い…城とともに散るべきだった…と気持ちも暗くなった。
黒井城からの丹波霧
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酒梨の「子育て地蔵尊」は歴代城主の信仰も篤かった。境内の大銀杏は幹からは乳根を垂らしている。丹後守夫婦は地蔵尊の加護を祈ろうと祈願を込め、満願の日に夢で見た「乳根を削り煎じて飲めば父の出がよくなる…と」。  参考に大名草常龍寺の大公孫樹を…
大名草常龍寺の大公孫樹
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霊験忽ち表われて乳の出は溢れんばかり、ひ弱かった子もすくすく育ち、霊験のありがたさに益々其の信仰を深めたと云う。今も「子育て地蔵尊」として授乳祈願はもちろん・子供の病気(水疱・風邪・麻疹・おたふく風邪…等々に祈願、お参りする人は多いと!?と云い美和郷の由緒を伝える一つとなっています。

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