黒井城主荻野秋清の塚 清安寺跡

市島町美和地区の酒梨(さなせ)に黒井城主だった荻野伊予守秋清の下屋敷:文亀2年(1502)増築し黒井城支城となった酒梨三の丸留堀ケ城(酒梨城)がある。秋清には継嗣なく、後屋城主赤井時家の次男才丸を養子に迎え、荻野十八人衆の盟主として朝日城に入れていた。
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天文23年(1554)1月2日黒井城では年賀の宴が行われていた。年頭挨拶に城に出向いていた才丸(荻野直正の幼名)が突然:養父秋清を刺殺し“悪右衛門”直正を称して黒井城に入城したが、此れは予ねてより才丸の武才を知って家臣達が密かに迎え入れて事を図った謀ごとであった…様だが諸説は色々…!!。
秋清の下屋敷(留堀ヶ城・酒梨城・酒梨三の丸<黒井城支城>)
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荻野直正は殺害した伯父秋清を弔うため後に清安寺を建て冥福を祈った。その後・龍華山本光寺(東勅使)に清安寺が移築され今も寺山と呼ばれている。その後の本光寺や清安寺についての動向は不詳ながら、
 
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元の清安寺跡が留堀ヶ城から北方の酒梨(子育て)地蔵に向かう車道東の圃場と竹藪の中にある。参道(コンクリート舗装)の先が竹藪で切れるが、鬱蒼とした竹藪に分け入ると、中には二つの祠と数基の五輪塔が祀られている。秋清夫妻と家族親族を祀ったものか…?
(現地:清安寺跡 美和ふるさと観光協会 案内説明板 等参照)
  此の辺りだったかナ…?台地上に圃場と竹藪・案内説明板が見える筈!!

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