堀の内居館(仮称) 丹波市

高見城が佐野城とも呼ばれていた築城当初の大手口・佐野に釘貫門(大手門)があったが、波多野氏…赤井氏にと領主が代わると大手の「釘貫門」は萱刈坂を越え柏原町側の鴨野に移った。未だ郷土史誌・調査資料等を知らず、小新屋小学校裏手から禅座坂に出て東鴨野城(260m 仮称)から高見城へに向かう尾根通し登山道が大手と思っていた。
  屈曲する東谷川の内側に内堀・広い曲輪の堀の内居館!?<仮称>
画像

小学校裏手には兵庫丹波の:他にない縄張りが特性から高見城とは関係ない居館遺構で、東鴨野城や高見城を詰め城とした居館とも思えない。…が鴨野地区から隔たった小新屋地区の:此の一画だけに小字「東鴨野」の名が「飛び地?」のようにあらわれる!!。
   高見ヶ城東谷川を濠とした堀の内居館<仮称>上方の曲輪段
画像

以前(2009.1.17)萱刈坂から加茂神社‐宮池‐稲荷社から”三ノ丸 北東出丸<仮称>”に向って尾根筋を、今回は字名堀ノ内から取り付いた。加茂神社から馬背山城(仮称)・高見城へ突き上げる”高見ヶ城西谷川”と、「三ノ丸 北東出丸<仮称>」から”堀ノ内”を大新屋・鴨野へ流れ出る”高見ヶ城東谷川”に挟まれた尾根筋です。
  内堀と土塁端に五輪塔残欠と城山天皇?碑を祀る
画像

鴨野地区の字名:堀ノ内や・植木は同姓の宅があり郷士であったか?。谷垣氏・堀内氏・植木氏も仁木氏所縁か!!仁木氏を先祖とする家はおおい。高見城下が鴨野に移ったと思われる市場・馬場・XX小路・堀ノ内等字名からも町場の形成が見られる。    
  
画像

鴨野に移った高見城大手口(釘貫門)は此処「堀ノ内」にあり、東谷川沿いに三の丸北東出曲輪に、または尾根に取付き堀ノ内砦を経由して高見城本丸直下の三の丸北東曲輪に至ったものか?。堀の内砦<仮称>へは鴨野公民館の南・東谷川に沿う字名堀ノ内から。
   堀の内居館内の北域
画像

東谷川が屈曲する山側に土塁・空堀と広い数段の曲輪があり、小さな橋を渡る虎口?(土塁端)には”城山天皇”?石碑を祀る。【先の東鴨野の居館跡・此の堀ノ内居館?・此れより向かう尾根先に3基ばかりの古墳 いずれも旧:氷上郡埋蔵文化財分布調査報告書は記録は無い。堀ノ内砦<仮称>のみ高見城の遺跡分布範囲内には入っているが…!!?】

"堀の内居館(仮称) 丹波市" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント