稲塚砦<仮称> 丹波市

丹波国氷上郡(現:丹波市)を領し黒井城を本拠とした黒人領主::荻野直正は元亀初年・織田信長命に従い、秀吉の但馬山名氏攻めに従軍、山名氏は毛利を頼り敗走したが、秀吉軍は但馬に兵を駐屯させず摂津に引き揚げていた為、但馬に戻り勢力を盛り返した山名氏は秀吉への矛先を荻野直正に向け山垣城に侵攻してきた。
 黒井城より千丈寺山砦・中央ピークが稲塚砦・中央左下部が兵主神社西砦
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直正ら丹波勢が迎撃・更に追撃して但馬有子城・但馬竹田城をも落した。山名氏は毛利に逃れ・今度は信長にも降りて救援を求める…信長・秀吉・光秀による毛利氏と荻野直正を対立・分裂させる策謀であったとも…!?。足利将軍を利用し追放した信長・やがては光秀の謀反…山名氏の護身も戦国の世では正当化できるかも…?。信長は山名氏の救援を契機に「丹波黒井城攻略」が始まったのが天正3年。【黒井城開戦の チョッと知ってゝ貰いたい事前知識!!?
 兵主神社参道から兵主神社西砦と千丈寺山砦
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明智軍は黒井城正面:茶臼山に集結し荻野・赤井方と対峙し、火蓋を切った合戦の伝承の一つが白蛇伝説「若年神社<葦原明神>」。向山連山裾の歌道谷から石才・朝日から愛宕山砦<仮称>・平松砦<仮称>【第2次会戦前後に砦整備されたものか?】…等々、北方からは十方寺(八上城:波多野氏秀治軍)・東南の栗柄峠付近からは二階堂秀香(波多野秀治の義弟)・西方からは霧山城(氷上城?<西波多野氏>波多野宗長)勢が囲い込む。
 稲塚砦主郭の南面帯曲輪から西先端部切岸
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一方:荻野氏・赤井氏ら黒井城側は、黒井川を挟んで牛河内・古河・稻塚・兵主神社西砦・行者山砦…等に布陣。ただ砦名を:Web記事等に行者山砦を兵主神社西砦…?、兵主神社西砦(黒井と稲塚境)が稻塚砦とも呼ばれてもいたよう?。
 稲塚砦主郭中央南面土留の石列
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兵主神社西砦から北への尾根筋を辿ると西方からの尾根を併せて千丈寺砦に至る。西尾根からの主尾根合流付近に曲輪遺構があり、松茸山の止山が解禁され気掛かりだった懸案の稲塚砦<仮称>探しに此の西尾根を探索。古河の陣が小丘部の砦か平野部の陣かは不詳!?。
 稲塚砦東西端の一段目帯曲輪沿い露岩:主郭へ斜上して入る通路
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須賀神社から緩斜面の南尾根筋(曲輪に良さげな平坦地形は数カ所ある…)を詰め、西尾根の西先端部の瘤:標高約220mに至り、此処に東西40m・南北25m規模の砦を発見。主郭部南に一段・登り土塁虎口らしいものは北斜面にあり、二段・それぞれに1.5ー2m足らずの幅狭く、犬走り?状の帯曲輪が付く。曲輪間の段差は低く、切岸も不明瞭だが、稻塚砦が兵主神社西砦と混同されないだけでも”良し”とするか!!

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