香良西砦(円悟寺裏砦) Ⅲ

香良西砦Ⅰ・Ⅱに続いて、香良西砦(円悟寺裏砦・小屋山城)《仮称》の訪城について記した肝心の「香良西砦 Ⅲ…をレポート内容が消えたまま?UPしてしまい・ご迷惑おかけしてしまいました 急ぎ訪城レポートとして記述しておきます。香良西砦Ⅰ・Ⅱ・Ⅲを通してはホームページに香良城香良西砦をUPしましたので参照願います。
 香良西砦:主郭南斜面の切岸 
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香良西砦<仮称>とした位置は「丹波志」の「古城之部(香良村ノ奥)に…不動の奥岩山の上に…とあるのが香良城だが、尾根続き「西の山より大筒にて…」とある小屋の尾にある陣小屋!?が今回探索の香良西砦(小屋山城・円悟寺裏砦)<仮称>?。足立氏?・芦田氏?の籠城する香良城での籠城戦も伝わり?赤井氏方が香良城を攻撃したようだが年代も其の契機…の記録を知らない。
 香良西砦:地蔵ヶ鼻(首塚?)に降る広く緩斜面の西尾根
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また香良合戦主戦場の陣道ヶ原(加和良神社付近まで 香良城が陣城としてなら少し距離があり、香良合戦とは直接的な関連はなかったと考えられるが、香良西砦からなら合戦時・此処に本陣を置いて指揮されていたとしても無理な想定ではなさそうです。弘治元年(1555)香良合戦が芦田・足立氏 VS 荻野・赤井氏による細川氏内紛の代理戦争であったか?、
 香良西砦西尾根:主郭付近から香良口(合戦場)を望む 
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荻野直正により叔父の黒井城主荻野秋清を刺殺し黒井城主となったのが前年の天文23年(1554)。荻野家党首として全体に周知されず上層部で勝手に決められた赤井家からの才丸(荻野直正)養子縁組のこと・刺殺された秋清の旧臣はじめ其れぞれの赤井・荻野家の一部には、養子縁組?や、秘密保持とはいえ直正の城主謀殺に対し家臣団の多くは黙認?していたが?、
 香良西砦城域北端の土橋付き堀切 
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直正に対する妬み/不満/遺恨もあった筈?…ただ合戦前夜示し合わせてか?、香良合戦主戦場の陣道ヶ原(加和良神社付近)の北側丘陵先端部・低丘陵尾根先に地蔵尊と五輪塔を祀るのが「地蔵が鼻」であり、“首塚”があったというが此れか?。尾根幅広く緩斜面が殆ど山頂部まで延びるが、途中に曲輪・堀切等を見ないまま香良西砦の主郭下に着く。
 主曲輪西尾根側の竪堀状と上り土塁 
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塹壕状の溝を見るが?。切岸4-5m程短い竪堀に沿う上り土塁状を主曲輪に入る。円悟寺庫裏から取付く激急斜面が主郭南下曲輪に至り此処も切岸4-5m程。主郭(20x30㎡)の北尾根続き3-4m程の切岸と土橋堀切があり、其の下方へは自然地形5-8段(段差も無いが…)の曲輪群で切れるが
 鴨内集落の芦田神社  
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約20m下の土橋堀切が城域末端で、緩斜面100m程先が鞍部。前後を堀切りで遮断された部分は一院谷城(小屋山城)同様:砦機能の監視や防備も弱く!?領内の一族・老若男女の戦乱時避難場所「逃げの城」でもあったかと!!。円悟寺裏から北へ越せば伊佐口へ、
 香良西砦主曲輪 
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さらに比高100m程の北の丘陵を越せば鴨内城(隠ヶ城)<仮称>近くから鴨内谷に出る。鴨内城が西の領内ではなく山側の東面に土塁をみる特異さからも、市島町鴨阪から通じる間道が鴨内ー伊佐口ー加和良神社へと、背後からの侵攻または援護に有効なルートだけに此れを警戒した監視の城なのかも。
 香良西砦は円悟寺の西北丘陵上最高所ですが地図位置表示調整を知らず

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