寺坂峠城(仮称) 丹波市

先のブログで紹介している頭光嶽城と寺坂峠城は足利尊氏・義詮父子が、在地栗作郷(山南町久下地区)の久下氏を頼り石龕寺へ遁れた建武3年(1336)(2度目は観応2年<1351>)石龕寺奥の院に留まり、僧堂を城郭化した「石龕寺城<奥の院>」を仁木頼章【丹波守護だったがこの時は山名時氏が、同年9月?頃には再度頼章が守護となる】や久下氏等丹波勢が拠って義詮を護った。
 土塁道と空堀(寺坂峠)
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久下氏本拠地の山南町久下金屋からは聖徳太子想基の石龕寺奥の院に通じる寺坂道があり、高野山町石の様に:其の以前から木や板柱等で標した参詣道があったのかも?。寺坂峠城(仮称)が大手に充る南口の表木戸(番所)を堅固する関所砦と峠からは丘陵頂部:奥の院直ぐ背後の頭光嶽を詰城とする頭光嶽城(仮称)と共に義詮逗留中の数ヶ月は稼働していたか?。
  空堀中程を分ける仕切り上り土塁!?
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頭光嶽城の土橋付堀切や複数の竪堀、寺坂峠城虎口部の土橋付空堀・南口の土橋付二重堀切(片堀)・奥の院側斜面には上り土塁を挟む二つの空堀(塹壕か?)…等は其の後:中世城郭様!?の改修は久下氏ではなさそう。久下氏本拠の玉巻城(久下城)さえ高見城砦群の一城塞として氷上郡南端の守備を任されただけの存在。
 主曲輪から奥の院側に2ー3削平段
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赤井/荻野一族にとって嘗て丹波守護代さえ勤めた久下氏勢力の増強・拡大を恐れてか?、黒井城傘下の勢力・力関係からも城の改修に充っては主郭西の三ノ丸の一部礎石らしい残存する石材からも、玉巻城独自の城郭を持つことは認められなかったのでしょう?…。久下氏居館(金屋)からは寺坂道を寺坂峠城(頭光嶽城の南郭か?)-頭光嶽城へ、
 土橋付き堀切(寺坂峠城南端) 
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玉巻城からの尾根続き八の瀬(423m)を経て最奥の石戸山城に至るが久下氏の詰城ではなく、黒井城支城:高見城枝城としての岩屋城(三輪城)は天正7年明智光秀「丹波攻略」の際:黒井城荻野直正配下の守将!?広沢行綱(綱忠? 在地土豪なのか人物像は不詳!?)の時落城するが、岩屋城の南方攻防守備に充る前衛の砦群の一。三木城包囲中の播磨から秀吉の援軍:丹羽長秀等による天正の兵乱に
 寺坂峠城:空堀中央を主郭に入る上り土塁
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石龕寺は焼亡するが岩屋城(三輪城)攻防の史実は不明。足利義詮逗留時は播磨側や南朝方が立て籠った弘浪山高山寺(高山寺城)見張りを兼ねた砦はあったのかも?。播磨口最前線守備の久下氏玉巻城へは”氷上城の西波多野氏”(実在したのか?)等が立籠もった…と云うが岩屋城の城塞群や守将:広沢氏の動向は一切不詳!?。
【次回は:石龕寺城?とも呼ばれる岩屋城(奥の院)ではなく、岩屋山549m山頂部の岩屋城(三輪城)に 続く】

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