浅山不動尊と剣豪:浅山一伝斎 丹波市氷上町

香良合戦に関連姓のある埋れた城砦探索(何れも仮称)を伊佐口(井階山城砦群)・絹山(高谷砦等)・香良(西砦・南砦)から北由良(北油良城)周辺に探索していたが、香良谷の最奥に位置して”" target="_blank">香良の独鈷の滝・岩瀧寺と浅山不動尊・毘沙門堂(H26年豪雨災害で崩壊・現状未確認だが此処からの西岩山山上にある香良城へは入山禁止だった)…がある。
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五台山の登山口にある岩滝寺(真言宗大覚寺派の尼寺で、嵯峨天皇の命により弘仁年間(809ー23)弘法大師により開創された)の山門を潜り、茅葺の本堂から春秋の草花を愛でて滝に向かう途中に「浅山一伝齋…」の石碑が雑木に埋もれる様に一本立っていた。落差約18mの独鈷の滝は弘法大師が大蛇を退治するのに滝壷に独鈷を投げ入れたとの伝説がある。
     岩瀧寺
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浅山三五郎一伝斎【(三五郎は幼名で後に内蔵助…、諱(いみな)を重晨(しげとし)と云い一伝斉重晨とも…)は群馬県多野郡上野村の人という。慶長15年(1610)-貞享4年(1687)死去:享年78歳】が此の滝で修行し一伝流兵法を編み出した根源の地。現在は県道7号線に香良「独古の滝→」の大きな案内標識と石灯籠(常夜灯)が建つ隣に石碑が立てられている(移されたか新設かは?)。
        独古の滝
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三代将軍家光が上覧の寛永御前試合【寛永9年か寛永11年なのか?不詳】に勝って剣名を轟かせています!!。北は仙台藩・南は薩摩藩に至るまで流派は全国20余藩に伝承される「浅山一伝流」は元は剣術・居合・柔術を中心に、小太刀・鎗・棒・鎌・忍術・捕手・手裏剣等を総合して「浅山一傳流体術」と唱えたと云う。
     浅山不動尊
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明治時代前期に警視庁が制定した警視流木太刀・警視流立居合の型に採用され、今も警視庁流の中に受け継がれている浅山一伝流。浅山一伝斎壁書【1:武芸は其身に慎 1:心掛けは手柄の基 1:心遣いは分別のイロハ 1:堪忍は忠孝の下地 1:短気は未練の相 1:がさつは臆病の花】座右の銘に如何…
        不二の滝(香良谷:独古の滝の上部にあるが周辺危険!)
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滝の前の石段を登ると暫らくは藤ノ目渓谷に沿って進む五台山への道だが、左手には大岩を背にした浅山不動尊がある。堂の裏は奥行15m程・高さ12~3mの洞窟の中に不動尊が祀られている。寛永年代初め由良荘の領主:別所豊後守吉治が娘の眼病平癒を祈願して香良の浅山不動尊と共に活眼不動尊に開眼堂…等を勧進したと云われる。

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