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明石城近くの病院に来る機会があり、ついでに周辺を歩いてみようと「たこフェリー乗り場」から大蔵海岸公園に向って走ってみた。むかしは白砂青松の海岸線・柿本人麻呂が和歌に、松尾芭蕉が俳句に認(したた)めた美観は消え、今はスッカリ様相を変貌させた海岸公園に変貌していた。 此処から北方の旧西国街道沿いに稲爪神社が有り由緒に、推古天皇の時代:三韓の兵を率いた不死身の武将「鉄人」が来襲してきた。其れを大山祇神社祭神の加護で迎撃した勇将:越智益躬(ますみ)の伝承が残る。街道筋の面影が残る此処は大蔵谷宿が在った要衝で、大蔵院は大蔵谷構(大蔵谷城)の跡と云われる。 「嘉吉の乱(嘉吉の変と呼ぶ方が正鵠かも!!)」に赤松方が布陣したと云う。赤松円心の孫:祐尚の墓があり彼が陣を構えたとされるようですが・・史実は? 天正期三木合戦では早々に城を出て三木城に籠城したと思えます。 旧西国道から国道2号線を越えて山陽電鉄人丸前駅近くの住宅地中に腕塚神社があり、智勇兼ね備えた平家の武将平忠度(ただのり)の片腕を祀った小社がある。源平合戦の史跡の多い明石市内ですが、特に天文科学館から人丸前にかけて多く残る様です。「嘉吉の変」に幕府の赤松追討の山名軍が陣した熊野皇大神社へはJR山陽線を越えるが時間切れ・・・・諦めた。 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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大蔵院立派で綺麗なお寺ですね。 |
おおくら 2008/11/02 07:39 |
おおくら 様 |
天々 2008/11/02 20:59 |
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