山田城 丹波市春日町
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作成日時 : 2008/12/30 10:51
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奥丹波に覇勢を競い台頭し、京都丹波の天田・何鹿へと領有地を拡大、山名氏の但馬へも侵攻し但馬竹田城を落とし山名氏の本拠:此隅山城にも迫る勢力を持っていた黒井城主・赤井直正「丹波の赤鬼」は明智光秀が「丹波攻略」を始めた天正3年(1575)、竹田城から黒井城に帰城し以後:八上城の波多野氏との”呼び込み戦法”等、明智軍との戦闘には果敢に抵抗を続けます。
この本城(黒井城)の膝元近くに山田城がありました。黒井盆地北方の丘陵部から南へ延びだす幾つかの低丘陵の先端峰付近には、新才城(仮称:近日UP予定:遺跡分布図には載せてない)や、山田城・長見城・牛河内城・・・等々が在りました。
山田城は極小規模な単郭の城で、尾根先の平坦地を僅かに削平し、北面に段差はあるが切岸加工も弱く、南面三方も低い段差で、一部に自然石を切岸とし、小さな腰曲輪を1〜2段備えているだけ。しかし:此れに比して主郭北の両斜面に延びる竪堀と、城域北端?の土橋付堀切は曲輪規模に不似合いな程、堀切は東側に深く長く延びて落ちる。主郭から黒井城を望む位置にあり、茶臼山城を黒井城包囲の南方の旗城にしての向城の一つとなったものか・・・?
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