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zoom RSS 兵主神社 U 西脇市

<<   作成日時 : 2015/10/12 10:34   >>

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加古川沿いのR175号を西脇市に向かって南下・県道139号分岐の石原交差点を左折し加古川を東へ渡る。JR加古川線を越えた先「中央橋東」交差点で黒田庄町黒田方面からの県道174号に合流し、加古川線と並走する県道294号を南へ。直線道が正面の極小釣鐘状の独立丘陵を左へ大きく捲いてカーブする先、左手分岐する車道がフォルクスガーデン黒田庄Na-Sya・日本のへそ東はりま日時計の丘公園へと門柳川を溯る県道559号線。
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直線道を妨げる様な円錐状・高さ40m程の独立丘陵が城山(じょやま)城。訪れる人も殆どいない・遺構は下草藪に覆われ目視確認も難儀。「抜け穴」伝承はあるが築城時期や目的・城主等の城史は一切不明。此の断崖状の北面が山上まで大きく削られ、段差を設けて梯子が延びている。
  城山城北面(伐採:崩され障壁の面影はない)
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工事内容を示す表示は見当たらないが、城跡として北面を主に発掘調査中の様だが…?。登路は南西からの踏み跡があるだけで、以外からは木枝や草根が手掛りの激斜面…。この城山城の南側の兵主神社(西脇市黒田庄町岡)が鎮まる。昨年はフォルクスガーデン黒田庄Na-Syaに寄った際:Na-Syaのママから今日は兵主神社秋祭り午前中の行列は終わっていたが、布団太鼓が揃っている様なのでチョッと覗いてみた。
  城山城南面(兵主神社側から)
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私たちの地区自治会内にも嘗て保存されていた喧嘩太鼓や地区内の布団太鼓を想像していたが豪華絢爛・勇壮な姿に、翌月の三木市「祭り屋台大集合」も見物してきた。今日・明日と秋祭り・子供太鼓や青年団の獅子舞が各戸を廻って来るので迎えるが。
  神輿に祭神が遷されるのを待つ従者!!
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午前中にで見逃がしていた兵主神社大祭の行列【市や北播磨関連Web等では:いずれも一律に大名行列を模した”レッケイ”・・・と説明されているだけだが?】を見に行き、城山城北裾のスペースに車を寄せて向かった。兵主神の御神体は矛だとされ、祭器の刀剣や斧等から武器製造の鍛冶の神だとも云われます。
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西脇市には鍛冶屋線の市原近くに鍛冶の神を祀る天目一神社祭神の天目一箇尊命もまた鍛冶の神。武器・武具に秀でた神なら、黒田官兵衛が羽柴秀吉の代参として:兵庫(つわものぐら)の鎮守として戦勝祈願に兵主神社を訪れたとしても、其れも播磨平定・三木合戦の戦勝祈願なら、地元:黒田庄町出身の官兵衛なら適任だったかも!!。
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羽柴秀吉からの祈願成就による奉納金により現在の拝殿が改築されたともされた 茅葺入母屋造の拝殿。社紋となっている豊臣氏の五・七の桐も許されたと…。五穀豊穣を願う秋の例祭行事には、本殿神事により遷られた祭神を載せた神輿に「レッケイ」と呼ばれる大名行列?。大河ドラマ「軍師官兵衛」TV放映では、官兵衛戦勝祈願甲冑武者行列も行なわれたという?。
  某地区ふとん太鼓の欄間飾りは忠臣蔵(山鹿流陣太鼓を打つ大石の討入り図)
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各藩の勢力を分断し、財政逼迫に拍車をかけて散財させる大名行列(参勤交代)に、甲冑武士の壮列とは!!?、不穏な反幕行為!!?として藩はお取り潰し…。行列がいつの時代から行われてきたのか検証していないが大名行列なら江戸時代以後のこと。主祭神の大己貴命(おおなむち)=大国主命(おおくにぬし)を輿に載せ御幸行列の先導は御幣を振って参道を清める天狗面の猿田彦【神導きの神】が露払い・謡いの文句は不詳ながら、謡いにあわせて:挟み箱・毛槍や長刀・弓矢を持つ従者達が携える武具も神具・神器の一つにしか見えてこない?。
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また其の所作からも、「レッケイ」は神を敬う(敬意)を表しての”列敬”・または五穀豊穣の恵に感謝して付き添う”列恵”が意味するところか?。大名行列の拘りに疑問はあるが、江戸時代:丹羽氏が美作・河内の領地を播磨国に移し、加西郡(加西市)・加東郡(現加東市)・多可郡(西脇市も加東郡だった)・美嚢郡(三木・吉川)に一万石を領して三草藩(加東市)を成立させている。
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祭礼に地区内を巡行していた神輿と其の行列が、現状の大名行列!!として形を変え行われてきたものか…?。以前から気掛かりだった行列解説だったので勝手な推測です。
信仰・祭礼を揶揄するものではありませんので、おおらかな気持ちで・読み飛ばしてくださいネ 私事的には遠く離れた三草藩?の大名行列よりは・時代行列。 鉄器・武器製造の鍛冶神からも武者行列
が最適かも。
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兵主神社に係る祭神の大国主・素盞嗚尊等天孫降臨の神代、播磨の国衛に赴任し延喜年代に兵主神社を創建した岡本修理大夫、城史や遺構は定かでないが岡本氏の城や城館とも推察できそうな桂松山城(岡ノ城)や極楽寺構居に絡む武者行列や黒田官兵衛の戦勝祈願代参…等々の時代行列が良さそうです
極楽寺から一の鳥居までの短いコースでも現状の御幸ペースだと半日は掛かるかも…!!?。5地区から成る5台の布団太鼓の宮入まで見学したかったが、各戸を獅子舞が廻って来る時間も近づき自宅へ戻ることに…

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