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zoom RSS 石生西河原城 U

<<   作成日時 : 2017/05/03 13:45   >>

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先のブログに向山連山周回コースで、水分れ公園駐車場から観音堂…四ノ山砦U、序で珪石山までの縦走を向山連山のヒカゲツツジU記事をアップしているが、珪石山手前分岐を左へは清水山方面への縦走路/分岐を右に珪石山からは激急斜面の下りが続く。
 分水界展望所となる石生西河原城
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長く張られたフィックスロープの連続がやっと終わり緩斜面になった途端・浅い堀切状か低土塁が尾根筋を遮断する地形。幅狭い尾根筋が土橋状に延びる。土橋状の先は二重堀切の縁まで続く。土橋東側下段には城域最大の曲輪(幅8mX長さ20m程)がある。
  夥しい小曲輪段や帯曲輪が尾根上に続く!!
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此処が石生西河原城城域最奥部・最大曲輪だが主郭とするには疑問が…?、二重堀切と土塁で尾根を遮断する城域最高位置を主郭とするには尾根上の曲輪幅も狭い。此れより城域最下段の分水界展望所にかけて狭い尾根筋に無数に現れる小曲輪も幾多の山城・向城にも無さそうな?特異な縄張り。
   珪石山の激下降が修まると堀切?土橋が顕われる
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小曲輪段を繋ぐ?帯曲輪や最下段郭(分水界展望台)には以前作業小屋があった。跡に残るL字状土塁が其の残痕なのか?は不詳だが、ここからは僅かに広がる正面氷上盆地にガンジョウジ城・穂壷城へと、加古川に流れ出る流域が眺望できる。
   土橋の端は二重堀切・土橋は城域最大曲輪の大土塁でもある!
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柏原八幡城に本陣を移した明智方にとって、四ノ山砦は直接黒井本城の見張所と南方:指呼の間にある清水山からは其の尾根末端部の柏原八幡城(本陣)へ黒井城の動向は即座に伝達可能位置にある。本陣からの指示待ち・黒井城攻め最前線駐屯地としての石生西河原城なら即対応できるのだが…?。誰が何時頃築城したものか正式?城名や城主等一切不明。
    大曲輪からの二重堀切
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存在は古くから知られていた様で、東屋休憩所・水分れ水汲み場に古城跡説明板が立つ。元亀2年(1571)の古文書に・柏原八幡宮護摩堂への寄進状があり、赤井氏の先祖ともされる?…芦田(赤井)源太兵衛直家が武運長久、子孫繁栄を願って自分の領地・石負荘塚本の田を寄進したとあり、芦田氏の領有地であり持城とも推測できるが、所領地を望まず!!?・且つ袋小路の様な目立たない位置にあって領民らの「逃げの城」か。
  登山道と重なる部分の多い小曲輪群
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天正3年明智の第一次黒井城攻めでは、波多野氏等と西から侵攻した際は 柏原八幡に陣して石負(石生)砦石生西河原城かは不明だが、妻木主計助範資が居て出陣準備をしていた様。此処が兵の駐屯地となった石生砦かは?知らないが…

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