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zoom RSS 前田愛宕山城 福知山市

<<   作成日時 : 2017/07/25 22:49   >>

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2003年5月頃ホームページにアップしていた前田愛宕城(手白山城)ですが市教委の文化財目録等に愛宕山城の名で、また城関連Web検索も愛宕山城:山名も愛宕山で記載されているのが殆ど?なので「愛宕山城」の名称を追記して再アップした。愛宕社の夏祭りを控え周辺が下刈りされていたのか羊歯類に覆われていた以前とは雲泥…社の北から東面の遺構が確認できた。
  空堀沿いに低土塁を廻す陣城の様相
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お城通り(府道55)福知山城の東方約1.4km、土師川・由良川合流点を挟んで呼応または対峙する位置にある前田愛宕城(市内に2-3?は在る愛宕山城ですが、此処の「愛宕山城」)!?は土師(はぜ)と前田境に位置する標高55mの独立丘陵手白山(手城山)山頂部には藩政時代に入ってからの愛宕社が鎮座し:通称!!愛宕山で呼ばれている…。
石段参道上部・城域の東(右手)に竪堀・帯曲輪・土塁残欠を観る
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室町幕府管領・細川高国から塩見神三郎に宛て戦功(;永正年中の事か?・手白山合戦)に於けるものと思える感状を受けている(丹波志)。築城主は芦田甲斐守と云うが築城目的や時代は不明・手白山での没落で子孫は土民となったとの記録もあるが、芦田氏がこの戦いに参戦?、及び天正期まで続いていたのかは不詳。
  手城(白)山山上に祀られる愛宕神社境内が主郭
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慶長5年(1600)田辺城の細川中興の田辺城攻め主将:小野木重勝(清次郎重次:福知山城主)の家臣土師墨丸が細川勢迎撃の為に籠もったという記録もあるようだが、田辺城方は護りで精一杯!!北丹波域に細川方勢力があったか不詳だが出撃の余力はなかった筈!!?。土師墨丸・夜久主計進・谷衛友(初代山家城主)ら丹波勢は重勝に従い田辺城を攻めている。
 空堀・低土塁が北に突き出し枡形状部は下段曲輪からの土塁虎口!?
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只・愛宕社由来による愛宕神社創祀は慶長14年(1609)頃、山麓東の前田一ノ宮「明天神社」の霊現象を見た村人が京都愛宕神社の分霊を勧請し、此処に祠を建て祀ったのが起源だが、関ヶ原合戦の功績により福知山6万石で入封した初代福知山藩主有馬豊氏が、慶長17(1612)祠を手白山の現在地に遷座させ創建され以後、藩主松平忠房の社殿等再建(明暦3年)、廃藩置県までの朽木氏まで歴代藩主の崇敬も篤かった。
  東南端?の竪堀・東斜面中程から北へ帯曲輪が…
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愛宕社本殿の造成・参道の大改修等で城砦遺構の損壊は考えられるが、横山城(福知山城前身)の城砦群の一つだったが、縄張りは:祠を祀り神々が鎮まる広い平坦地形を主郭として、本殿背後を北西から東面二方に低土塁を廻し、殊に北方は空堀に沿い折れを伴う低土塁。折れは横矢掛り・枡形状の土塁部は下段曲輪からの通路(土塁虎口)か。奥丹波を攻めた明智方が横山城配下にあった土豪の砦を陣城に改修したとも推察できます。

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