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zoom RSS テーマ「キャッスリング(山城)」のブログ記事

みんなの「キャッスリング(山城)」ブログ

タイトル 日 時
太田氏屋敷 丹波市
太田氏屋敷 丹波市 丹波市山南町の久下小学校校歌にも謳われる東山(鍋倉山)は篠山川に架かる山崎橋付近からは綺麗な山容を見せている。山頂部に主郭を置き堀切・石積みを見せ、一帯に曲輪群等の城址遺構を残す鍋倉城(太田城)跡です。 ...続きを見る

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2017/11/01 20:36
貴志城と貴志館 三田市
貴志城と貴志館 三田市 がんこ三田の里に寄った際には 大原天神ノ尾城へも此処3度ばかり訪ねている。千ヶ坂城とともに大原城背後の東西を守備・護衛する位置にあり大原城を主城とする支城群の様!!。”がんこ三田の里”は大原城主後裔のお屋敷。天神ノ尾城からも直線距離で約400mほどの距離に大原城はある。大原家菩提寺の青原寺が千ヶ坂城の丘陵部南西端にある。  貴志館跡(公民館)に立つ「貴志五郎四郎!!」の碑?標柱     先のブログに伝承の大原のお姫様 Tを載せている。お姫様の話は大原の里とは武庫川を挟んだ川向こうの貴志の... ...続きを見る

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2017/10/25 09:14
岩間城 福知山市
岩間城 福知山市 土師川右岸沿いの長田地区にある”Coffee & Lunch GREEN”で食事を済ませて店を出た後、福知山市街地へと道なりに西への車道を進むが、少し東手前に戻った「上松交差点」の南約300m程の田圃のなかに高橋屋敷(比定地!!?)がある。二方を土師川に流れ出る溝谷や灌漑用水路に囲まれた辺りか?。    今回はパスして・・・福知山市街地の東南方:土師川右岸に長田地区と対峙する地形の岩間地区(丹波市との府県境にある)にある安居山高浄寺(曹洞宗)に向かい、長田郵便局前のT字交差点(西へ直進すると... ...続きを見る

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2017/10/17 22:17
毘沙門砦(仮称) 丹波市
毘沙門砦(仮称) 丹波市 南北朝期初期の建武年間(1334〜38)高見城が丹波守護・仁木頼章の佐野城とも呼ばれていた頃の要衝は延喜式旧山陰道は佐治川(現:加古川)沿いから篠山川沿いを山南町阿草から篠山味間へ抜けていた。足利尊氏が京を追われ此のルートを丹波石龕寺に入っている。   北山交差点から…中央左に毘沙門堂・右寄り住宅地奥に北山稲荷社 仁木頼章は但馬山名の軍勢が高見城下を通り抜けてゆくのを阻止する事もせず ・黙って手をこまねいて見ていた逸話?からは、加古川沿いの佐野から萱刈坂を越え鴨野・東鴨野が高見城大手となり、... ...続きを見る

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2017/09/30 10:21
前田愛宕山城 福知山市
前田愛宕山城 福知山市 2003年5月頃ホームページにアップしていた前田愛宕城(手白山城)ですが市教委の文化財目録等に愛宕山城の名で、また城関連Web検索も愛宕山城:山名も愛宕山で記載されているのが殆ど?なので「愛宕山城」の名称を追記して再アップした。愛宕社の夏祭りを控え周辺が下刈りされていたのか羊歯類に覆われていた以前とは雲泥…社の北から東面の遺構が確認できた。   空堀沿いに低土塁を廻す陣城の様相 お城通り(府道55)福知山城の東方約1.4km、土師川・由良川合流点を挟んで呼応または対峙する位置にある前田愛宕城... ...続きを見る

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2017/07/25 22:49
井原城館V (出曲輪)  丹波市
井原城館V (出曲輪)  丹波市 日吉神社背後の丘陵尾根上に位置する井原城館とした城砦遺構が、丘陵部一帯の城域最高所の茶臼山(岩屋小平古墳群1号墳)と北面二方向の尾根上に分かれ存在しているので、夫々をT-Vに分けてレポート(私感)。埋蔵文化財分布調査報告書(山南町)に城館跡としても報告はなく、[丹波志]にmも確認できないが、山南町誌(昭和63年)に井原北東の小山の屋敷跡として記されており、  井原城?への尾根上曲輪(切岸をもつ)と片堀切(手前右) 愛宕山の火を灯すので「火トモシ山」とよばれるところとある…が、屋敷の云われは不... ...続きを見る

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2017/07/01 09:07
井原城館U (居館) 丹波市
井原城館U (居館) 丹波市 埋蔵文化財分布調査報告書等に未だ城砦・居館等が確認されていないが、山南町誌(昭和63年)に井原北東の小山の屋敷跡(存在謂れ等一切不明)だが、城館遺構一帯の最高所で、岩屋小平古墳群1号墳位置に土橋付き堀切・帯曲輪を含む数段の曲輪群が遺る井原城について、日吉神社からの取付きや、其の存在が重要な要衝監視の砦である旨を【其のT】で説明した。  城域中腹の此処こそが!!井原北東の小山の屋敷…跡!!? 【其のU】では日吉神社から県道(旧)77号「延喜式(旧)山陰道」を東へ約350m程・バス停村森口から北... ...続きを見る

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2017/06/28 08:56
井原城館T(城) 丹波市
井原城館T(城) 丹波市 旧氷上郡(現・丹波市)埋蔵文化財分布調査報告書(山南町)に城址や居館跡の報告もなく、[丹波志]に確認はしていないが、山南町誌(昭和63年)に井原北東の小山の屋敷跡として記されており、愛宕山の火を灯すので「火トモシ山」とよばれるところとある…が、屋敷の云われは不明とある。 日吉神社・至山出合稲荷社から加古川沿いのイタリ山を望む 上記:埋蔵文化財分布調査報告書には私がホームページ上に報告している仮称:井原城館の主郭としている比定地に、岩屋小平古墳群として二基の円墳のうち山頂部(火トモシ山Ca18... ...続きを見る

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2017/06/26 21:17
石生西河原城 U
石生西河原城 U 先のブログに向山連山周回コースで、水分れ公園駐車場から観音堂…四ノ山砦U、序で珪石山までの縦走を向山連山のヒカゲツツジU記事をアップしているが、珪石山手前分岐を左へは清水山方面への縦走路/分岐を右に珪石山からは激急斜面の下りが続く。  分水界展望所となる石生西河原城 長く張られたフィックスロープの連続がやっと終わり緩斜面になった途端・浅い堀切状か低土塁が尾根筋を遮断する地形。幅狭い尾根筋が土橋状に延びる。土橋状の先は二重堀切の縁まで続く。土橋東側下段には城域最大の曲輪(幅8mX長さ20m... ...続きを見る

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2017/05/03 13:45
四ノ山砦 U 丹波市
四ノ山砦 U 丹波市 日本一低い谷中分水界の有る「水分れ公園」を起点に向山連山を目指す登山者は、ゴールデンウイークを前に急増します。登山コース途中・各所に有る岩の展望台からの眺望も楽しみの一つですが、連山縦走コースの尾根上に見るヒカゲツツジの群生。   四ノ山を過ぎて…ヒカゲツツジの間から望む黒井城と千丈砦 今の時期のお目当ては、見頃となる石楠花と同種のヒカゲツツジ。淡い黄緑色の花を咲かせ、コバノミツバツツジの淡いピンクの花と相俟って、厳しい登行の疲れを癒してくれます。三ノ山山頂から四ノ山へは一旦鞍部へ下る・其の... ...続きを見る

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2017/04/28 23:09
猪崎城 U 福知山市
猪崎城 U 福知山市 三段池公園は慶安2年(1649)三河刈谷藩から4万5900石で入封、寛文9年(1669年)島原藩7万石で加増移封となった福知山藩主・松平忠房が手掛けたとされる三段池を中心とした総合公園で、動物園・植物園・児童科学館や体育館・野外音楽堂・池を巡る遊歩道等もある市民の憩いの場。   猪崎の城から由良川に架かる音無瀬橋(直ぐ左横に福知山城も見える…!!) 先のブログ洋菓子マウンテン側の三段池公園駐車場を西に廻り込むように上り坂を進む車道が大池を挟んで”癒しの喫茶「山段亭」前”を抜ける。むかしは「音... ...続きを見る

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2017/04/25 22:07
福知山城 U
福知山城 U 先のブログ平壌亭”ゆらの店のある「ゆらのガーデン」から城公園の濠に架かる太鼓橋状!?の昇龍橋に向かう。橋の欄干を通しての城址や起立する天守の姿は絵になりますね。とりわけ開花時期の桜は濠の水に溶け込み・映り込み、城の石垣に映えて素晴らしい… ...続きを見る

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2017/04/21 11:33
牛居構居 加西市
牛居構居 加西市 県立フラワーセンター側からは、県道716号線の中西町・琵琶甲町交差点を過ぎ南へと下り坂が続く直ぐ先・右手に牛居大歳神社があり、境内に牛居城主:牛居之祐顕彰碑と碑文がある。立地環境からもL字状高土塁で囲まれる神社本殿…が牛居城(牛居構居)跡と推定できるが、居館跡?を示す字名「殿垣内」は神社南下の圃場にある。 ...続きを見る

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2017/04/17 21:05
猫山は根小屋… 丹波市
猫山は根小屋… 丹波市 先日:市役所春日庁舎・春日文化ホール間の広場を会場に年一回の福祉関連イベントが行なわれ、参加の妻を送っていった際、山手の興禅寺に至る黒井城下の旧街道筋を歩いてみた。会場の春日庁舎からも正面に黒井城が望まれ、登城中らしい子供達の声も聞こえている。   猫山の南端 黒井川沿い満開の桜堤景観を拝する未だ未だ遠い。春日町に入って直ぐ・船城小学校付近では秋にも狂い先の桜をみることさえあるが・・・。初夏からは黒井川庁舎側に10数年前までは見掛けたオグラコウホネだが、保護柵も無いようで、既に絶滅したのかな... ...続きを見る

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2017/04/06 22:31
篠倉豊後守屋敷 丹波市
篠倉豊後守屋敷 丹波市 西脇市方面から加古川沿いのR175号はミニ道の駅「山南仁王駅」のある至山山麓の井原橋で佐治川(現:(加古川)を渡る。イタリ山から石金山〜小野尻峠へ、更に笹ヶ峰へと播磨・氷上の郡境(市境)を分ける。仁王駅は西方からの佐治川と、東方からの篠山川を合わせて・此処から始まる旧加古川の始発駅!。   豊後塚と堀跡(向かいの竹藪を回り込み更に西へ延びる) 此れより上流・佐治川(現:加古川)が氷上郡(現:丹波市)氷上回廊を通り青垣町から但馬 国境へ、一方:分水界から由良川へと丹後方面にも抜ける。延喜式山... ...続きを見る

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2017/03/09 23:03
弓月砦 篠山市
弓月砦 篠山市 丹波三大山城の一:多紀郡(篠山市)を領した波多野氏の八上城は織田信長の丹波攻略に氷上郡(丹波市)の黒井城(城主:荻野直正)と共に抵抗、丹波攻め総大将:明智光秀による包囲網作戦の長期籠城戦は、三木城の「干し殺し」飢餓作戦に次ぐ悲惨・残酷な戦国悲話で知られます。        弓月神社 丹波三大山城ともに山上の本拠城からの派生する丘陵尾根筋・支尾根・枝尾根端や周辺に、防衛の支城砦群を築いています。東北への尾根続き馬駈け場から芥丸、更に長く延びる丘陵尾根先端に弓月砦がある。利用者は極少ないかも…!... ...続きを見る

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2017/01/27 09:24
高瀬城 丹波市
高瀬城 丹波市 JR福知山線谷川駅ホーム北の丘陵上に池ノ谷主計屋敷があり、駅西方約200m程で県道86号に出てJR加古川線・福知山線踏切を渡る西側丘陵上には玉巻城がある。観応1-2年短期ながら守護:山名時氏の丹波守護代となった久下頼直(時重の次男)の本拠城。西山麓の金屋集落内に久下時重屋敷がある。承久の乱後に久下氏が武蔵国より地頭として栗作郷(久下地区)に来住し居館を構えた所。金屋地区から背後の丘陵部を越えれば、久下氏を頼り二度とも丹波へ逃れた足利尊氏や嫡子の義詮が逗留した岩屋の石龕寺に至る。 ...続きを見る

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2017/01/21 18:06
小野藩陣屋 U
小野藩陣屋 U 神戸電鉄小野駅西出口のロータリーから南へは真っ直ぐに緩やかな下り坂が続く。昨年も小野アルプス麓にあるの鴨池畔の一軒家レストランプラートカフェに向かった車道。小野駅西出口から約450m程・神明町途中にカフェ レストランりとるきっちんへも立ち寄った。  陣屋の濠ともなった雁又中ノ池 駅前ロータリーの右手(西側)歩道陸橋が小野市立好古館・市立小野小学校への連絡橋。一帯が承応2年(1653)近世陣屋が構築された一柳家小野藩陣屋跡ですが、一柳氏が播磨国加東郡28600石の所領を与えられて着任し... ...続きを見る

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2017/01/15 20:26
小野藩陣屋 T 敷地陣屋
小野藩陣屋 T 敷地陣屋 R175号側の「ひまわりの丘公園」の南方「浄谷町中」交差点で右折j県道23号を直進。図書館前・小野警察署前を抜け敷地中交差点からの下り坂下「大部小学校南交差点」で右折する。県道23号は次の信号「王子上満」直ぐ近くにクローバーハウスがある。大部小学校南交差点を北進すると敷地公民館に一柳藩敷地旧陣屋跡石碑が立つ。   ...続きを見る

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2017/01/13 21:36
滝山城(観瀧寺城)再訪  福知山市
滝山城(観瀧寺城)再訪  福知山市 福知山市のHN”べーさん”より観瀧寺跡縄張り図・レポート等報告を受け昨年(2016年)6月に訪れた際の記録は瀧山観瀧寺T鉦鼓滝に、観瀧寺開基の法道仙人と、此の瀧山の峰に「鉦鼓」の音を聞き谷にわけ入り、白滝を掛ける不動尊を祀る鉦鼓滝と、滝の上方に旧観瀧寺跡がある事を記した。  櫓台に達する高い土塁道は左手曲輪の防風対策を兼ねたもの? 瀧山観瀧寺U 観瀧寺廃寺では平安時代:伊勢平氏・平維衛(これひら)を祖とする平親盛が長治元年(1104)奥榎原に逃れ、此処に城を築き此の地を開拓した平家落人伝説の... ...続きを見る

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2017/01/09 08:14
滝山城(観瀧寺城)にて 福知山市
滝山城(観瀧寺城)にて 福知山市 滝山城は旧瀧山観瀧寺跡に隣接して其の脇に築かれたという。旧観瀧寺の寺域内にあって、一時期には寺院僧堂群を城砦化して臨戦的に使用された城遺構と考えています。 【添付画像は旧観瀧寺・滝山城縄張り内の自然木樹形】      人面木!! 福知山市史等に観瀧寺跡についての記述はあるが、滝山城については未認知ながら未掲載?。市の遺跡地図にも跡地一帯に寺院・城址遺構が無記載の空白地帯です。丹波市境界尾根上の親不知から北へ延び出す尾根上にある不自然な平坦尾根部については、 ...続きを見る

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2017/01/06 21:00
飛の山城 篠山市
飛の山城 篠山市 篠山川に流れ出る藤岡川を挟んでは、篠山川右岸:藤岡川の東に笹山(篠山城)、西に権現山があり、権現山の南西山麓部は篠山川沿い北側からは県道77号が、篠山川南側からは県道36号が合流する「東岡屋交差点」で山陰道・京街道・播磨・摂津に通じる街道が交差sる要衝に位置する。権現山は”飛の山・富の山”とも呼ばれた。「富の山とは正月から縁起がいいですね!!」。山上部に飛の山城(富の山城・東岡屋城・岡谷城とも呼ばれた)があった。飛の山…と呼ばれるのも富の山の語彙からか。酉年の今年「鳶の山」なら更にラッキーなの... ...続きを見る

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2017/01/02 20:23
東野城 綾部市
東野城 綾部市 府道8号または府道74号線経由で栗町交差点を北へ左折し府道9号(綾部大江宮津線)に入る。直進する府道74号は栗城(一尾城)・位田城の南麓を走る。殊に室町時代後期:延徳元年(1489)位田氏や荻野氏ら国人衆が、6000の軍勢に対し・僅か200人足らずで位田城を舞台に籠城した[位田の乱]で知られる。      乱は時の管領:細川政元の家臣:丹波守護代上原元秀と父子によって、地頭職や代官職を奪われそうになった丹波の国人衆【須知氏・荻野氏・大槻氏等が守護細川氏:守護代上原氏に対して激しく抵抗して位田... ...続きを見る

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2016/12/19 08:08
行者山砦U 丹波市
行者山砦U 丹波市 黒井城は猪ノ口山山頂の主郭を中心に、三方に広がる尾根上に土の城:西の丸、西太鼓の段・千丈寺砦、百間馬場・的場砦等、丘陵尾根の末端にまで数多くの城砦を築き、丹波三大山城の八木城・八上城共に全山を要塞化している。   興禅寺7間掘?から黒井小学校と行者山砦 黒井城(保月城)から望む西尾根続きに尖峰を見せる千丈砦から南へ突出す尾根先には兵主西砦が在る。西太鼓の段と千丈寺砦間の等から下ると、氷上高校に降り着く。高校の西隣りが兵主神社、其の西に貯水池に影を落とす南丘陵尾根先の峰にあるのが兵主西砦。 ... ...続きを見る

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2016/12/13 10:43
黒井城の霧海U 丹波市
黒井城の霧海U 丹波市 天空の城竹田城としてHPにアップした頃は、当市観光関連やWeb上でもマチュピチュが代名詞・「天と地」等で映画ロケ後でさえもまだ「天空の城」としては紹介されていなかった様に思う!!?。 ...続きを見る

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2016/12/08 23:11
綾部陣屋(前期) 綾部市
綾部陣屋(前期) 綾部市 綾部陣屋(後期)は綾部市図書館の南…西福院の東側:府道709号を挟んで建つ「せんだん苑南保育園」の県道側石垣上の小クリート保護壁に綾部城”大手門跡”の標識が架かり、東隣りの綾部幼稚園…綾部小学校(主郭部:陣屋なら本殿なり書院が建つ政所か?)北門附近へと、北斜面に高い崖状切岸が続く。  後期綾部陣屋(幼稚園;保育所北斜面) 後期綾部陣屋ではなく綾部城として・まして九鬼氏関連の研究会による城址説明(現在は無いが!?)では何か間違いなり・誤解が生じそう!!。江田氏の綾部城・江田氏再建の綾部城・九鬼... ...続きを見る

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2016/11/16 17:26
夢の森公園 小野市
夢の森公園 小野市 R175号から神戸電鉄小野駅附近で満願寺川と合流する加古川に沿って北上すると、栗田大橋辺りの西方に南北に延びる丘陵があり、 送電線鉄塔よりも目立って木製の櫓台が見えてきます。新大河橋を超えて県道349号(市場滝野線)に入れば「夢の森公園」の標識が公園の駐車場へと案内してくれます。   駐車場側の金鑵城西郭から大堀切を渡り主郭へ 一帯が夢の森公園で、駐車場側の築山?の頂部には炉跡や張り出した出入口部・高床の柱穴跡等…弥生時代後半の高地性集落の竪穴住居跡遺構があり、阪神間の芦屋会下山遺跡と同様に... ...続きを見る

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2016/11/14 09:04
来住城 U 小野市
来住城 U 小野市 小野アルプスの総山・惣山(小野富士)・紅山(滑り台のような急斜面の岩尾根歩きの醍醐味が人気)への絶好の登山口として利用する鴨池(男池)側にオープンしている、小さいが素敵な手造り感満載のPrato Café(プラートカフェ カフェ)を後にして、文政溝から、女池側の鴨池バス停に出て県道118号を左折し東へ下る。 ...続きを見る

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2016/11/06 23:52
善防山城 加西市
善防山城 加西市 播磨には播磨アルプス(高御位山-桶居山)、義経が丹波から一の谷へ駆け抜けた三草山や加東アルプスと呼称したい山々、小野アルプス(紅山-惣山)加西アルプス等々、低山ながら岩盤・岩尾根を連ねる山々が多く、松茸山の止め山で11月中まで入山できない丹波の山へは殊に里山に在る山城の散策も出来ず、絶好の時期なのに、登山や訪城案内ができないのは惜しい。      東郭(第二ピーク)の石積 先のブログ紹介の加西アルプスの善防山には善防山城があったことを紹介していたが、元々は此の山城の訪城が主目的で、再訪するの... ...続きを見る

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2016/10/27 00:00
加西アルプス
加西アルプス 小谷城山麓の石仏等を巡ったあと、県道23号を南下・Cafe花ようびの先50m程で分岐する43号を走る。播磨下里駅舎を左手に見て北条鉄道を渡ると王子町の三叉路交差点。右斜め手前方向の県道81号側にスタート地点の善防公民館・さらにその先の古法華自然公園入口にも駐車場があり、   善防山(善防山城主郭)から笠松山への稜線 幅狭い切通道が古法華寺・アトリエ館に通じており、切通の真上には善防山251m-笠松山244m縦走コース中のポイントの吊り橋がある。43号王子町交差点に南「下里農協前」神姫バスのバ... ...続きを見る

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2016/10/22 07:48
小谷城 加西市
小谷城 加西市 河内城と同様に10年ぶりに訪れた小谷城もまた”ふるさとの里山”としての城山は北条小中学校の校歌【校歌・故郷の山】にも♪城跡の…や♪強き力は城山の…と謳われ地域の人にとっては関心高く・身近な山として親しまれる城山は近年「小谷城跡ふれあいの森」として整備され、此の日も山上部の主郭から西小丸一帯の雑木・雑草の下刈りが行われていた。  小谷城主郭展望所からの播磨平野(最奥に加西アルプスの善防山城も…) 5年程前に結成された「小谷城跡保存会」による月一回の登山道整備・下草刈り等の活動に参加されていた1... ...続きを見る

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2016/10/20 21:18
河内城 加西市
河内城 加西市 西脇市から野間川沿いの県道34号から水尾城の北山麓を妙楽寺に出て県道24号を南下すると、西脇市境界の峠を越えて加西市河内町に出る。河内町の最奥:鶏糞塗れの鶏舎の横から山頂を目指したり、古刹:普光寺から、また県道近く/南尾根末端から羊歯類の藪に足場も見えない取付きから普光寺背後の鉢尾峰に至る播磨修験道の行者道を鎌倉山にトレースしたこと、   河内城主郭(東)の正面に満久城が望まれる 鎌倉山山頂(此処にも鎌倉山城があった)から下方の尾根先に見える河内城を目指して、さらに厳しい背丈程の篠竹藪を突い... ...続きを見る

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2016/10/18 21:20
三草山城 加東市
三草山城 加東市 先の三草山ブログに山頂部に三草山城があったこと。三草山の山麓では平安時代末期:寿永3年(1184)源義経軍が平家追討の為・須磨の一の谷に向かう際、篠山古市から今田町に入り小野原の布陣した源氏方と、三草山山麓の山口附近に布陣した平氏方が対峙した三草合戦の合戦場であったことを記した。   三草山山頂神社北側の古い三草山城址碑 ...続きを見る

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2016/10/13 08:07
矢筈山城 西脇市
矢筈山城 西脇市 ここ数年・登山レポートをブログ掲載していなかったの忘れていたが…西脇市の先日の矢筈山へは”矢筈の森公園”が整備された年の暮にも登山したブログがあった。西脇小学校前から童子山公園前を通るR427号は杉原川沿いに北へ向かうが、西へ直進する市道が三和橋を渡り「さとう系スーパー」前で県道346号高田井北交差点に出る。   高田井町登山口から矢筈山城を望む 矢筈山登山口やログハウスのカフェ木夢(コム)さん【添付のマップには店名が表示されているが位置が違う。此の店は10数年前?オープンしているのだが…】... ...続きを見る

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2016/09/29 20:19
口榎原砦U 福知山市
口榎原砦U 福知山市 丹波市側から福知山市の榎原へは県道109号を・さらに口榎原からはR429号(丹後・丹波街道)を和久川沿いに市街地内の和久城に掛けての城砦群を巡るのに、穴裏峠越えをよく利用する。和久城は横山城(後に福知山城の地)塩見頼勝の四男:長利が和久氏を名乗った居城。丹波の覇権を競った丹波守護代・八木城主:内藤宗勝(松永久秀の弟:松永長頼)が永禄8年(1565)8月和久郷の合戦に黒井城主荻野直正に敗死したところとも伝えられる。   榎原川の和久川合流地点の向かいの小丘陵が口榎原砦 福知山市街地を抜けるR9... ...続きを見る

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2016/08/08 08:01
瀧山観瀧寺V 滝山城(観瀧寺城<仮称>)
瀧山観瀧寺V 滝山城(観瀧寺城<仮称>) 古写真や建築物には特に造詣が深く”近代化遺産めぐり忘備録”ブログの管理者「べーさん」には、以前にも福知山市内の城郭遺構についてのコメントをいただいていた。口榎原・榎原の瀧山観瀧寺は元は奥榎原の丘陵上にあったが伝承のみ・其の所在と遺構を確認され、詳細レポートをいただいたのを機に、私も探索してきた。   西郭西先端部の一文字土塁 先のブログ”瀧山観瀧寺T 鉦鼓滝”で其の位置と登路ルート等。 ”瀧山観瀧寺U 観瀧寺廃寺跡”では榎原の語源や中世山岳寺院の観瀧寺縄張りが堀切を境に、様相も異なる事を記し... ...続きを見る

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2016/06/08 20:07
岩本城と牧氏陣屋!! 丹波市
岩本城と牧氏陣屋!! 丹波市 全国足立姓の祖と云われる山垣城主:足立左衛門尉遠政は、源頼朝に仕えた足立遠元の孫で、「尊卑分脈」によると丹波の名族・足立一族の元祖は藤原(中臣)鎌足の14世遠兼が武蔵国足立郡を領して北条氏に仕えた豪族で、15世:久保田遠元が地名の足立氏を名乗ったと云われ足立家の遠祖とされています。  黒尾神社参道:谷に架かる石橋の先に黒尾・諏訪神社が鎮まる 鎌倉幕府源頼朝の武道指範でもあり、信頼も厚く幕府の要職にあったが北条氏の台頭で勢力を失っていく足立氏も、遠元の孫(遠光の二男)遠政が北条氏に仕え、承元3... ...続きを見る

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2016/05/19 16:24
丹波佐治城(青梨城) U西郭
丹波佐治城(青梨城) U西郭 先のブログ丹波佐治城(児島氏城) T東郭記事に於いて、当初?佐治城を築いたとされるのが児島伊豆守意種!?。元弘年間:後醍醐天皇の挙兵に丹波南朝方として参戦 した児島高徳に付いて荻野朝忠(丹波守護代:建武4-康永2年だったとされる人物だが?)・当地領主足立(?)氏等と六波羅を攻めとされ、退いて弘浪山高山寺(氷上町)に籠もっているが、児島高徳との関係等は不詳。       西郭:主郭側の土橋付き堀切 この時期の丹波守護が仁木頼章でこの後・山名時氏に替り、観応2年(1351)再びョ章が守護職を、朝... ...続きを見る

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2016/05/11 20:53
丹波佐治城(児島氏城) T東郭
丹波佐治城(児島氏城) T東郭 スカイスポーツの町:青垣町の代表的なテイクオフ場が岩屋山、そこから竜王山(仁右衛門山)を経てカブト鉢から二股に分かれて北方に落ち込む尾根の末端に佐治城がありました。佐治は京都を発って山陰道(島根県出雲)に向かう丹波路における八宿目の宿場町で、恒例となった「丹波八宿 青垣の秋」イベントが、宿場町風情が残る佐治宿。    東郭の副郭:大手?土塁虎口 丹波側では最後:最北端の宿場を発つと遠阪峠を但馬朝来市へ越える国境の町。其の中心地が中央部に中町公民館(来楽館)・西往寺・郵便局や信金…等施設があつ... ...続きを見る

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2016/05/09 21:59
有安城 綾部市
有安城 綾部市 綾部市の府道1号線:上林川沿いの奥上林地区には、中上林地区境界の丘陵末端部に弓削城/二王公園・あやべ温泉側に山内城、山内城の東と長野城の北東には有安城が在り、此の三城が上林川沿いに走る府道1号線(若狭街道)を挟んでトライアングル状構成で呼応する位置にあり、且つ要衝の街道筋から城址への分岐点に上市場・下市場の名がある。    尾根西先端ピークの有安城主郭!? 更に府道1号線沿い奥上林地区の北端に神子谷城があるが城史一切は未訪なので其の概要も不詳だが、当地域の一領主の城とは思えず…?、若狭方面か... ...続きを見る

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2016/04/28 14:32
長野城 綾部市
長野城 綾部市 先のブログで、山内城と、坂尾呂の里を紹介していますので、その続編としての長野城です。    長野城主郭の切岸 綾部:奥上林地区の諸城砦は、中上林の上林城(生貫山城)の支城群として、北方からは丹後・舞鶴方面から府道51号が、東方からは若狭街道・小浜方面からの府道1号が、府道51号は府道1号と交差して上林川を渡り南方へ延びる。    堀切は埋もれ浅いが左右に落ちる空堀は!!  この府道51号は長野城・山内城・有安城への喉元を抜けて、有安城入口部の上市場から草壁川沿いに南の山懐に入ってゆく府道... ...続きを見る

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2016/04/25 09:30
山内城  綾部市
山内城  綾部市 府道8号から綾部市街地をR27号線に出て 由良川沿い。山家交差点で府道1号線に入って山沿いに上林川を遡る。上林川に沿った長い流域の谷合いに三上林がある。すなわち:口上林地区から上林城(生貫山城)のある中央部に中上林地区)、 更に舞鶴方面への府道51号(舞鶴和知線)を分けると、 いよいよ府道1号(小浜綾部線)は君尾山東麓【”あやべ温泉・中腹に名刹:光明寺がある】を上林川上流に向かう奥上林地区。   山内城堀切の外郭 京都丹波と若狭を繋ぐ上林街道は 古来より通行・物資輸送、若狭一色氏を攻めた細川... ...続きを見る

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2016/04/19 00:00
遠所城<仮称> 綾部市
遠所城<仮称> 綾部市 府道8号沿いの山陰本線石原駅手前(南)の洞玄寺城や観音寺は福知山市だが背後の観音寺城は大槻氏の築城。下高津と呼ばれていたので元は高津荘の国人領主大槻氏の勢力下にあったよう。山家城(甲ヶ峰城)和久氏等と八木城主内藤氏(丹波守護代)に従っており、高津城(八幡山城)を居城・鴻ヶ嶽城を詰め城として築造していたと思われます?…が、奥丹波の天田・何鹿郡への侵攻拠点として三好氏と同族の内藤氏によりこれ等の城が改修されたものか…?。  長谷林道から高獄:左に積場城・右の森が将監城・中央奥に遠所城!! 応仁の... ...続きを見る

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2016/04/15 00:01
甲ヶ峰城 綾部市
甲ヶ峰城 綾部市 山家陣屋跡の山家城址公園入口に模擬の表御門と、その前には[山家城址」石碑が建ち、更に先へ延びていく地区道?を挟んだ向かいに”甲ヶ峰城(左衛門屋敷)・照福寺跡”への案内標識がある。案内標識に従って鳥居を潜る急な階段道の上部を仰ぐと磐座を背にして鎮座する伊也神社がある。   最初に現れる土橋付きU字(八字)状堀切 宗神天皇の御世・丹波道主命がこの地に降臨され甲ヶ峯の麓に宮を築き 祀られたのが初めで後、伊也神社を勧進し何鹿郡(綾部市)の延喜式 12座の一に数えられています。天正年中(1573-92... ...続きを見る

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2016/04/11 22:40
山家陣屋 綾部市
山家陣屋 綾部市 綾部市街地から由良川を渡りR27号線を和知・京丹波町方面へと由良川上流に向かうと約5km程で山家交差点。分岐する府道1号線が上林川沿い。野々垣で舞鶴方面への府道51号を分けると君尾山山麓の光明寺・あやべ温泉仁王ノ湯方面へ…三国岳への尾根鞍部を越えれば若狭の大飯町へと東西に上・中・下三区に跨る長大な上林荘の街道筋。  井戸郭から:北・東面への空堀コーナー部付近の桜 山家交差点から400m程走った先で由良川に流れ出る上林川河口に掛かる橋を渡る。既に峡谷の風情だが、上流の不動公園へと流れを遡上!?... ...続きを見る

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2016/04/11 07:07
上林城(生貫山城) 綾部市
上林城(生貫山城) 綾部市 篠山市方面からR173号(綾部街道)を綾部市に向かい、野田城のある井根山を右に見て新綾部大橋を渡りR27号線に出て由良川沿い。山家交差点で府道1号(小浜綾部線)に入り、暫くは山沿いに上林川を遡る。上林川に沿った長い流域の谷合いに三上林があり、口上林地区から上林城(生貫山城)のある中央部に中上林地区・奥上林地区(綾部温泉・光明寺がある)から三国峠で若狭高浜への県境まで続く。 上林城:本丸櫓台の石垣・上り石積土塁 広大過ぎる荘園内に、 平安時代には石清水八幡宮領?・鎌倉時代には神護寺領?、時代... ...続きを見る

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2016/01/20 19:57
西谷城 篠山市
西谷城 篠山市 R176号「大山下」から県道77号に入り舞鶴自動車道下を潜り抜け、篠山市街地へ向かう宮田交差点で県道97号(丹南三和線)を左折し、北に進めば篠山市西紀支所の東北側の丘陵上に西谷城(岡本城)がある。       西谷城域南端:祠が建つ出曲輪跡 ...続きを見る

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2016/01/10 20:21
東白毫寺城 丹波
東白毫寺城 丹波 丹波市生誕10周年にして、やっと丹波市史が発刊されており、内容には随分期待していたのだが!!。寺社や歴史・民俗文化財等については殆ど触れられていないので別途・別巻として集約されるものと思えます!!?。 丹波市市島町の白毫寺に向かう入口?付近の酒梨に留堀(とんぼり)城がある。黒井城主:荻野秋清の下屋敷だったとされるところ。この秋清を刺殺し黒井城主となったのが荻野直正。 ...続きを見る

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2015/12/10 23:32
喜多・城山城 西脇
喜多・城山城  西脇 西脇市黒田庄町喜多のJA黒田庄付近に赤松一族:上月豊後守の喜多村構居が在り、JR黒田庄駅・大門交差点を県道559号へと東へ折れ約200m・門柳川を渡った先には珍しく貴重な茅葺拝殿が残る兵主神社が鎮まる。県道559号は兵主神社前で県道294号を越える。294号南約150m・極楽寺境内を含む一帯は極楽寺構居跡。    城山城主郭(山上講祠跡) ...続きを見る

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2015/11/29 00:36
奥野将監屋敷跡 加西市
奥野将監屋敷跡 加西市 別所町から県道145号に入るが、イオン加西店側からなら鴨谷を左折し県道369号を万願寺川沿いに走って広原交差点で県道145号に左折する。広原交差点を北へ直進・下芥田町から上芥田町へ、芥田(けた)の城山に芥田城を探したが、位置が違っていたらしく未訪のままだが、此処から東へ・遠阪峠を越えると多可町八千代区の県道34号線の楊楊寺近くに出る。県道少し先には道の駅”なごみの里山都”・其の北隣から西へ山懐へ入っていく車道が大石良雄の石垣が西谷(さいだに)公園の入口付近に築かれている。 ...続きを見る

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2015/11/15 21:46
篠山城二の丸:大書院
篠山市内の四つの文化施設(資料館)を巡る歴史散歩…はT:青山歴史村を皮切にU武家屋敷 安間家資料館へと青山氏の篠山藩政時代を訪ねたが、其のVは篠山藩が八上城から移った篠山城へ…  篠山城大手門から廊下門・中門を抜け鉄門を入る 多紀郡(篠山市)の領主:波多野氏の八上城は落城後、亀山城(亀岡市)の支城となり、秀吉時代には並河氏、慶長7年(1602)からは前田玄以の子:重勝が亀山城から入部するが、改易となった同13年(1608)松井松平家の康親の嫡男:康重【徳川家康の子との説も…】が常陸笠間3万石... ...続きを見る

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2015/11/11 22:21
比延前田遺跡(三の丸居館) 西脇市
R175号の「嶋」交差点側には西脇津万郵便局が、国道筋直ぐ北には延喜式内社の大津神社は、津万の厄神社で知られる津万郷一円の信仰をあつめる神様。津万郷というより、嶋交差点の西方・アジサイ寺で知られる西林寺や、其の北方一帯:交流グラウンドや寺内古墳群付近に掛けて都麻郷の名称で呼ばれている。   比延地区の歴史を見続けてきた荒神社のムクノキ(県・市の天然記念物) 津万(都麻)郷が古来:西脇市の中心地だったところ。其の嶋交差点を東へと、加古川を渡った比延地区のJR加古川線側に比延小学校【比延前田遺跡... ...続きを見る

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2015/10/11 08:46
溜堀城(酒梨城) 丹波市
溜堀(とんぼり)城は先のブログで紹介したイタリアンレストラン テッラドーノの在る閉園された施設:旧美和保育園・美和コミュニティーセンタの建つ一帯が主郭であったと思われます。溜堀城跡石碑の背後に上記の施設、施設からは圃場専用道が北のJAや三輪小学校側まで延びているが、西南側の入口:竹藪・栗林から続く圃場部が二ノ丸・三の丸か?。 殊に南西角の栗林は土塁囲みの曲輪状・一段高い櫓台状、竹藪内は見通せないが曲輪(帯曲輪?)や其の下方に大空堀(竪堀)が隠れていそう…?。R175号線の東勅使交差点から三輪小... ...続きを見る

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2015/08/07 23:27
近江八幡:八幡城
滋賀県へはWeb城サイトを運営の”びわこ”さん等・近江衆の案内で2005年に彦根の佐和山城や湖北の小谷城、翌年には湖南の石部城・甲賀の黒川氏城や水口岡山城を城サイト仲間と廻って以来12年ぶり。近江八幡市への最初は、震災前の1993年八幡堀から日牟礼八幡宮を抜け図書館前を(普通は26号を選ぶのかも?)琵琶湖へ出て長命寺(西国第31番札所)への巡礼の旅の途中。   日牟礼八幡宮-八幡山ロ-プウエー 日牟礼八幡宮から市立図書館へ向かう八幡山(鶴翼山)丘陵上に近江八幡城(八幡山城)が、山麓には其の... ...続きを見る

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2015/07/09 21:40
穂積陣屋 加東
R175号線の滝野社インター入口交差点を右折し県道17号に入り、一つ目の北野交差点を左折(右折は中国道への入口)して道なりに直進する。中国自動車道高架が見えてくる右手には先日のブログ紹介のお食事処 まるわさん。中国道高架下を潜らず・沿道に沿って西に入っていく車道を約150m程に穂積陣屋(穂積城・公文屋敷)が在った。   前方に見えていた竹藪から北側の民家にかけての土塁付近が陣屋跡だが:以前と少し様子が違う。鬱蒼とした竹藪は東側一帯から民家傍にかけて、竹林は伐採されて、長さ・幅ともに大規模な土... ...続きを見る

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2015/05/05 22:03
新才城2 丹波市
R176号線(柏原多田バイパス道ではなく福知山線沿い)はJR石生駅手前・水分れ交差点で、R175号線(此処も多田バイパス道稲継交差点から城山トンネルを抜ける新道?ではなく、石生新町・穂壷城の支城:横田城への登山口側を抜け水分れ交差点に合流する。 新才城についてはHPやブログにレポート紹介済なので、其方を参照してください。    新才城主郭(北斜面より土塁虎口部を望む) 水分れ交差点付近から、JR沿いのR176号と城山トンネルを抜けるR175号が合流する坂交差点付近までが、両側を丘陵に囲まれ... ...続きを見る

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2015/05/02 22:34
長見城(再訪) 丹波市
氷上町稲継からカンジョウジ城(ガンジュウジ城・横田城)の丘陵下部を城山トンネルで抜けるR175号線が黒井盆地に入って来る。歌道谷交差点を左折し、北方に向かう直線道の左手丘陵に野山城(再訪)が、広い車道がT字辻で左折すると天王坂【但馬街道で豊岡に帰る大石良雄の妻りくが子を連れて越えた際の”りくの森”の伝承地】を氷上町桟敷へ越える。   土塁を挟む二重空堀(主郭土塁から) 天王坂へ向かうT字辻を右折すると急に幅狭い東方への車道を長王集落に入る。前方奥に千丈砦〜黒井城が見えているが、目前の瓢箪型と... ...続きを見る

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2015/04/30 20:17
香良城3 丹波市
地元の音頭や学校の校歌にも謳われる五台山は、ふるさと兵庫の50山にも採り上げられ、多くの山案内書やWebに紹介されています。…とは云え黒井城(猪ノ口山)からヨコガワ峰〜五大山や愛宕山〜五大山〜鷹取山〜小野寺山〜五台山へ・さらには井階山へと続く縦走尾根筋までのレポートは余り見掛けないが?。それだけに一般登山ルートは岩滝寺から独鈷滝・浅山不動尊から独鈷滝の上流にある不二の滝の水音を足下に聞きながら登山道を忠実に辿る。林道に出るが直ぐ先で再び登山道に入って展望の五台山に立つ…。 香良城T郭西端よ... ...続きを見る

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2015/04/27 21:58
石生西河原城 丹波市
弘治元年(1555)細川晴元側の赤井時家等赤井氏・荻野氏一族と、晴元に背いた細川氏綱方の三好長慶・松永久秀に付いた芦田光遠(沼城主)・足立基則(山垣城主)の連合軍が香良に集結した香良合戦は細川氏内乱の代理戦争として知られるところです。       「水分れ」 此の香良合戦では前年の天文23年(1554)叔父荻野秋清を殺害して黒井城主となった赤井直正も重傷を負い春日領内に逃げ帰っています。敵・味方共に多数の戦死者を出し、丹波の合戦でも最も激烈を極めながら勝敗の決っしていない合戦だったといわれま... ...続きを見る

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2015/04/24 22:45
野山城(再訪) 丹波市
氷上町側から城山トンネルを抜け春日町へ入って来るR175号線は、JR福知山線と並走するR176号本線(柏原町から丹波署や丹波年輪の里側を走り稲継交差点でR175号と合流するのは柏原・多田バイパス道)向山連山西北山麓の春日町歌道谷(うとうだに)手前・坂のY字交差点でR175号に合流する。   野山城:東斜面の複数曲輪段切岸に何ヶ所か土止め石積を見る ガンジュウジ城(横田城とも”幻の氷上城”にも比定されている)から霧山への丘陵尾根の東西を、城山トンネルや北近畿自動車道が潜る横田トンネルが抜ける付... ...続きを見る

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2015/04/22 20:28
伝黒田城Tから黒田城U主郭へ
伝:黒田城(黒田砦)については先日のブログ(黒田城T伝:黒田城&gt;)や・ブログ内にも過去の黒田官兵衛生誕地関連の周辺ポイントを紹介していますので参照してください。    黒田城(物見台)と天狗山(小苗前山山城) 中世播磨の土豪:黒田氏は加西市河内に城を築いた赤松則村(円心)の弟円光を始祖とし、観応2年(1351)黒田庄に来住した重光が黒田氏を名乗り初代となり、8代が黒田官兵衛の父重隆・兄の治隆が9代を継ぐが元亀3年(1572)石原掃部助(石原城主)・赤井忠家(丹波:高見城主)の連合軍に敗... ...続きを見る

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2015/03/31 21:51
黒田城T(伝:黒田城) 西脇市
NHK大河ドラマ化決定と放映をうけて2013-2014年度の西脇市内、とりわけても荘園名が今に遺る黒田庄町は荘厳寺に所蔵されている本黒田家略系図等の資料により、黒田官兵衛の生誕地説が有力視され、黒田庄町周辺が俄かに賑やかになってきた様だった!!。 伝:黒田城主郭から黒田城砦群尾根筋西端ピーク 以前より城山とよばれ・山上部に稲荷社を祀る標高Ca130mの半独立丘陵が案内板には黒田城(黒田砦)として整備され、東への尾根続き(稲荷社背後)の鞍部の遺る藪に覆われ見通せなかった堀切も、立木が伐... ...続きを見る

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2015/03/29 20:15
矢谷城館 丹波
”三ッ塚史跡公園・ライフピアいちじま”の南背後を東から約1.5qの半独立丘陵尾根が延び、丘陵尾根上には矢谷城が在る。戸平峠を京都府三和町側に抜ける県道59号(市島和知線)に其の西端を落とす。県道沿いに流れる鴨庄川を挟んで、更に西側にも東西約1q程の独立丘陵が在り、丘陵上に畑山城館があることは、先のブログに紹介しています。   矢谷城主郭?はパラグライダ・ハンググライダー基地? 共に城史不詳で、尾根筋に展開している曲輪と思える平坦地形や空堀らしい溝状も自然地形に同化して?、遺構等・縄張り(城域... ...続きを見る

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2015/03/14 21:45
畑山城館 丹波
県道69号で舞鶴若狭自動車道を潜ると国領交差点。南に国領温泉を経て瓶割峠を越えて鐘ヶ坂を篠山に出る峠越え道がある(登山に利用出来るが国領側へ下るには危険かも?)…。篠山側はR176号に出て金山城(明智光秀の丹波攻めには多紀・八上城と丹波・黒井城の中間の位置し両城攻めの本陣となった)への登山口。 日光寺背後の東西に延びる低丘陵上に在る畑山城 篠山側から瓶割峠を国領温泉に出るまで途切れる県道138号線は、国領交差点を北へ直進し割烹辻判前を通り竹田川を渡る。此処に巡礼橋の名が遺るが丹後・若狭... ...続きを見る

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2015/03/12 21:07
小富士城 丹波市
御着城には黒田官兵衛顕彰碑の側に「めぐすりの木」が植樹されており、信憑性はともかく・黒田家先祖は広峯神社の神官とも縁をもち、神符を配るとともに家伝の目薬を売って財を成し豪族へと成長していく。此の「黒田官兵衛ゆかり」の地にも小富士山播州小富士山(麻生山)があるが、奥丹波にも春日小富士(多利の小富士山)がある。   小富士城主郭南東の虎口? 今日は2月23日:フジサン(富士山の日)に合わせた訳ではなかったが、偶然此の日に小富士城をアップ。一夜城伝説は先のブログで紹介している。標高231m(比高1... ...続きを見る

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2015/02/23 07:40
尉ヶ腰城U 丹波
昨年末にも国領への所要で出掛けた際に寄った尉ヶ腰城は、旧遺跡地図や地元史誌等による城跡位置が、独立丘陵部の南尾根先の三角点峰:尉ヶ腰山(点標名:西山王153m)ピークに示されていたが、現:県考古博物館の行政地区の当該Web地図による分布位置は独立丘陵部ほぼ全域に跨っている。主要郭・とりわけ南端の尉ヶ腰山周囲には以前は無かった鹿猪避けフェンスが張り廻らされているので、北尾根側や西方からのルートでフエンス開閉扉を探すことが先決。   尉ヶ腰城北城(Ca170m)主郭・副郭間の空堀 尾根続き北方の... ...続きを見る

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2015/02/19 19:15
大新屋代官所 丹波市
加古川沿いR175号「稲継」交差点から萱刈坂を越え柏原町に向かう県道290号は、新井小学校前東約250m程に(式内社)新井神社への案内標識を見て大新屋集落内へ右折する入口に難波金兵衛(二代目)の高灯籠が建つ。初代難波金兵衛は良質の石材をもとめて春日?から此の地に移った。此の金兵衛の養子となったのが丹波佐吉で、金兵衛に実子が生まれると二代目を弟として育つが、家を継ぐのは二代目・・・と丹波を出て”旅の石工”として村上源照信を名乗っている。 ...続きを見る

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2015/01/19 21:35
篠山城大手馬出
慶長13年(1608)江戸幕府を開いた家康が実子?(落胤説あり)松平康重を3万石から5万石に加増され篠山藩(八上城)へ転封させ、篠山盆地中央部の小丘”笹山”に新城を築城させた。姫路城主:池田輝政を普請奉行に命じ、縄張りは藤堂高虎を起用し豊臣恩顧の西国大名【福島正則 ・毛利輝元・浅野幸長・山内康豊・蜂須賀至鎮】等約15ヶ国23の西国諸大名に賦役する天下普請で着手され翌:慶長14年(1609)9月頃には・ほぼ完成して同年12月、松平(松井)康重が初代の城主として入城します。  &gt;篠山城... ...続きを見る

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2015/01/15 09:45
馬背山城と堡塁  丹波市
年頭には干支の山をと思ったが未(ひつじ)は全国的にも少なく関西圏では府県境の櫃(羊)ヶ嶽だけ?。年を越してしまったが昨年末(2014.12.27)に登った干支の山(馬背山)のUPですが、過去のブログ(2007年・2008年)以後・数回訪れた高見城城塞群の一つです。高見城山の山頂より望む北方には、高見城山からの尾根続き・目立つ急峻な鞍部からの上り尾根、2〜3の瘤ピークを連ねるが、谷から一挙にそそりたつ大岩壁をのぞかせる山塊の山上付近にも城郭遺構を残す。   西尾根筋から馬背山堡塁のあるピークと右... ...続きを見る

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2015/01/06 10:11
香良城 丹波市
今年(2014年)の豪雨と土砂災害は丹波市にも凄まじい爪痕を各所に残している。 但馬:竹田城だけが天空の城ではないよ…と、黒井城の霧海を紹介するため 黒井城の丹波霧撮影に登った猪口山(黒井城)山頂から望む五大山から鷹取山〜五台山への稜線西側においても豪雨被害の大きかったことを聞いて後日:香良・岩滝寺に向かった。    香良城:共に断崖上の東郭から西郭側の城域を望む 実は此処には:10数年来の山城仲間のM君より案内を請われていたが、延び延びになっていた…、三好長慶ファン?の彼にとって見逃せ... ...続きを見る

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2014/12/26 21:03
上三井庄城館 丹波市
先のブログに丹波の女流(望郷)の詩人深尾須磨子をUPしているが、篠山市方面栗柄峠へ向かう県道97号線と分岐して、三春峠を越え天田郡(現:福知山市)三和町へ抜ける県道709号線に入る下三井庄町には下三井庄城館が在る。    三井庄川沿い県道709号から上三井庄城 更に三井庄川沿いに進む県道709号線は左手(北方)に東漸寺への案内表示を見て殿地橋を渡る・其の東側には点名:高谷309mから南へ延び出す丘陵尾根が三井庄川に落ち込む。此の南尾根の先端ピークに上三井庄城館(丹波市春日町上三井庄殿地)が在... ...続きを見る

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2014/12/23 09:30
下三井庄城館 丹波市
県道69号(春日栗柄線)は丹波黒井城から栗柄峠を下って篠山市へ、また鼓峠を経て京都府船井郡へ通じる要衝。南には三尾山の大岩壁をそば立たせる峻嶮な山容の北面に覗かせ、街道と並走する竹田川を挟んだ北方には三春峠を越えて船井郡美和町へ向かう県道709号沿いに春日町下三井庄・上三井庄の集落がある。 ...続きを見る

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2014/12/20 09:13
鹿場東城 丹波市
先のブログでは下地公民館北方約500m程の位置に在る鹿場西城館を紹介していますので、次に其の東へ約600m程に在る鹿場東城館へ。オレンジ色の屋根瓦が目立つ鹿場公民館の側近く、妙高山・神池寺へ延びる丘陵の南先端部が平野部に落ち込む地点。 ...続きを見る

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2014/12/16 19:38
鹿場西城館 丹波市
12月上旬に春日町国領に行くことがあり序でに立ち寄った春日部荘の城塞群尉ヶ腰城 と柚津城を訪ねたが、再度:国領の進修幼稚園へ行く所要があり、夕刻まで近場の諸城塞を訪ねる機会を得た!!。 ...続きを見る

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2014/12/15 23:10
柚津城  丹波市
黒井城を間近に望むR175号線から三尾山(三尾城)北山麓を、篠山市や船井郡京丹波町へ抜ける県道69号線 を国領に向かう。所用の妻を送ってきた進修小学校の北側:国領川沿いから見た城ヶ腰城へ寄った後、其の東側丘陵上の柚津城へも寄ってみる。柚津城もまた以前:野々間南城館から辿った点名柚津 (3等三角点269m)を南へ突き出す丘陵東側の南末端の228m峰に在る。     柚津城主郭北面の切岸 今回の再訪でも比高僅か120m程だが・柚津公民館側からの取付点探しには困る。以前に侵入した入口近くの山道は直... ...続きを見る

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2014/12/12 19:09
尉ヶ腰城 丹波市
北近畿豊岡自動車道(春日和田山道路)・舞鶴若狭自動車線の春日ICをR175号線に出た下野村交差点を南下する県道69号線に入り、自動車道高架を潜り出た”国領交差点”に向かう。先日立ち寄った国領城(流泉寺)も徒歩で150m程の距離にある幼稚園に所用の妻を送った際、国領川を隔てた北側の左手に尉ヶ腰城・右手の丘陵尾根先端部の陰で見えないが、奥隣の尾根先ピークには柚津城が在る。    進修小学校から竹田川を挟んで尉ヶ腰城(手前南郭と最高所) 共に南側からの登路は無く・明確な取付き点も見当たらないが、丁... ...続きを見る

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2014/12/09 22:14
久保城 綾部市
R27号(舞鶴道・丹後街道)の「上杉交差点」を府道481号に入って約350m程の所に上杉天満宮が在る。境内を含む一帯には何鹿郡八田郷のうち、上杉荘を領して上杉弾正少弼朝定が此処を居館とした弾正屋敷跡がある。     自然を要害上に在る久保城 八田郷上杉荘の上杉氏と足利氏について、及び安国寺と足利尊氏の生母:上杉清子と上杉朝定については上杉荘の城に纏めたプロローグ・上杉弾正屋敷…等を参照願います。天満神社前から府道481号を東へ約200m程に上杉荘(上杉・大石・久保・小嶋・施福寺・能勢・遠路)... ...続きを見る

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2014/12/03 22:15
八田城 綾部市
R27号線沿いの綾部市北部・平安時代の八田郷安国寺領に足利尊氏像が建つ。尊氏出生地の安国寺からの国道沿い・JR舞鶴線梅迫駅を過ぎると八田郷上杉荘に入る。上杉荘やこの地を拝領した上杉氏の居館については先のブログ上杉弾正屋敷にも触れているので省略します。上杉弾正屋敷と八田城(小嶋城)が居館と詰城セットの構成を窺わせますが、城主等城史詳細は不詳です。 ...続きを見る

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2014/12/01 19:05
今北砦 綾部市
綾部市上杉町の上杉荘と上杉氏については当ブログ内上杉弾正屋敷に、八田郷に一時期存在し、丹後街道の要衝で上杉荘の南玄関口を八田川左岸に並んで宮ノ谷砦(仮称)とともに警備警備したと思われる今北砦が在った。 宮ノ谷砦(仮称)側の横縄手から西縄手・今北背後の今北砦を望む ...続きを見る

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2014/11/29 15:25
宮ノ谷砦(仮称) 綾部市
R27号線を舞鶴方面へと八田川沿いに向かう綾部市北部:中世荘園の八田郷にあった安国寺領の足利氏・上杉荘の上杉氏との関係は先のブログ上杉弾正屋敷に紹介しているので省略します。八田郷安国寺領から梅迫を過ぎれば高城城(大槻氏)から東へ延び出す尾根末端を山麓のJR宮津線・R27号(丹後街道)に落とす。   日吉神社(上杉古墳2号・3号が境内に在る) ...続きを見る

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2014/11/28 21:17
上杉弾正屋敷 綾部市
綾部市街地を抜けR27号線を舞鶴方面に向う綾部市北部:国道傍に足利尊氏像が立つ安国寺【足利尊氏が全国に建てた安国寺の筆頭・足利尊氏の母(上杉)清子は上杉荘の上杉頼重の娘】への入口を過ぎ、京都縦貫自動車道(丹波綾部道路)高架を潜り・八田川沿いのJR梅迫駅から約400m程で”梅迫口”分岐。 ...続きを見る

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2014/11/27 21:40
円成寺上城(獅子山城)〈仮称〉
円成寺館と円成寺城については”旧氷上郡(丹波市)埋蔵文化財分布調査報告書(3)1196年3月 柏原町”城館・城址遺構として遺跡・位置も報告されている。概要説明には円成寺城については、円成寺の山号が獅子山なので!?獅子山城の別称も付記されている。    土塁残欠が認められる堀切 此の獅子山城?(円成寺城)の尾根を遮断する土橋付堀切からの尾根続き・・・に長く伸びる土橋状(自然地形か?)の先、山容からも想像できるが、点名譲権現(円成寺背後の尖峰・獅子山?三等三角点 348m)から西には約30m程下... ...続きを見る

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2014/11/23 22:41
円成寺U 円成寺城
鐘ヶ坂を抜け出て丹波市側へR176号線を下ってくると、奥丹波の土豪:足立・芦田・荻野(赤井)・久下氏等が覇権を競っていた荘園時代・久下氏が統治していた小椋荘(柏原町小倉地区)内の、県道86号線と合流する”下小倉交差点”。下小倉と上小倉の境界に円成寺がある。      円成寺城二ノ丸に建つ聖観音像 獅子山円成寺(曹洞宗)・円成寺館については先のブログ円成寺U記事にあり割愛する。県道86号は山南町玉巻(久下氏本拠の玉巻城が在る栗作郷)から奥野々峠を下ってくるが、R176と合流する手前・約500... ...続きを見る

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2014/11/21 19:25
円成寺T 円成寺館(丹波市)
篠山市からR176号で金山城の麓・鐘ヶ坂を抜け出た丹波市側は、県道86号線が奥野々峠を下りR176に合流する下小倉交差点の手前250mまでが上小倉。此の下小倉との地区境界に獅子山:円成寺(曹洞宗)がある。 山南町玉巻(久下氏の玉巻城が在った)からJR福知山線沿いの県道86号がR176に合流する下小倉交差点の正面頭上には、譲葉山から南へ派生する枝尾根は獅子山(点名:譲権現 348m 3等三角点)から西へ延び出す先端部に剥きだす大露岩(通称等の名も知らず獅子岩と仮称しておきます)を望む。    ... ...続きを見る

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2014/11/20 20:18
獅子岩-譲権現(3等)から譲葉山
標高僅か594mの譲葉山ながら氷上盆地の西麓:氷上・柏原町や金山の鬼の架け橋【明智光秀の丹波攻め陣城金山城がある。丹波吉野とも呼称され安藤(歌川)広重の名所図会にも描かれている】から望む譲葉山は堂々と雄大な山容を魅せている。   長見から:獅子山?(譲権現348m)と獅子岩(尾根右先端部) 一般的な登山コースは整備されている柏原藩陣屋・後期織田家廟所側から大安寺跡から尾根を辿り、撤去されたが旧電電公社の見長無線(反射)施設跡から譲葉権現堂が祀られた山頂を目指すが、展望が勝れず三角点峰でもない... ...続きを見る

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2014/11/19 11:47
国領城 丹波市
北近畿自動車(舞鶴若狭道)春日ICをR175号に出て、道の駅「丹波おばあちゃんの里」出入口前の車道を春日町棚原か、県道69号線なら舞鶴若狭道を潜って直ぐ「国領交差点」を左折する車道は橋を渡った先の四辻(”料亭辻判〈一度は寄ってみたい店だが臨時休業だったか?、それとも予約客だけの対応なのかも…?〉があり、旧街道筋・巡礼道の石道標があった筈だが?)で右折して「東中」交差点へ出る地区道を進むと長谷山流泉寺(曹洞宗)の山門前。   駐車場の塀の上に観音像が見える。境内に入れば判るが観音像と続いてL字... ...続きを見る

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2014/11/14 08:36
黒井城W 東出丸
天下統一を急ぐ織田信長天下布武の「丹波攻略」に当たった総大将:明智光秀は多紀郡(篠山市)を領する中丹波:波多野氏の八上城攻略と、氷上郡(丹波市)・天田郡(福知山市)・何鹿郡(綾部市)三郡を領した奥丹波赤井直正の黒井城攻略の為、郡境に金山城を築いて陣城とし氷上郡に侵攻して諸城を落としながら柏原八幡を陣城として黒井城に迫ります。柏原から石生に入ると左右に丘陵部が迫る、僅か700m程の山間の平地部を・日本一低い谷中分水界を分け由良川源流の黒井川が黒井盆地へ流れ出る。   堀切土橋を土塁虎口の主曲輪に... ...続きを見る

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2014/11/13 07:53
黒井城V 西ノ丸
黒井城本丸の南面:三ノ丸から二ノ丸・本丸の石垣下部を抜ける長細い帯曲輪の西端、現状緩斜面を伝うと、保月城石碑の立つ本丸西面5m程の切岸下部に位置する西曲輪に出る。西曲輪からも、本丸と三ノ丸間の空堀を見上げながら三ノ丸東端の櫓台の石垣下を四ノ丸の曲輪へと廻り込む、帯曲輪へ繋がる。    西の丸:二ノ曲輪西面の露岩の土橋堀切 【注:一般的には?、本丸から堀切を分けて二ノ丸と呼ばれているが、本丸への虎口は此のニノ丸から堀切を渡るより、空堀の南に三方石垣積み曲輪からの石段虎口?を本丸に入るものと思わ... ...続きを見る

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2014/11/11 20:37
黒井城U 前衛曲輪群
黒井城は主郭を中核に、尾根続きの全山を要害化した広大で堅固な城域です。    太鼓の段から多田方面領内を眺望 しかし人人人が押し寄せる観光地と化した但馬竹田城も、観光道路となった登城ルートから山名氏時代の超大な竪堀に気付く人・石垣の城がその後の赤松氏のよる改築・其の過酷な使役に駆り出された民衆の苦難にまで想いを馳せる人など皆無に近いのでは…?。    山麓からも目立つ石踏の段:赤門(山門)と赤井直正の顕彰碑(招魂碑) 竹田城の尾根続き・直ぐ指呼の間にある観音寺城へ向かう人なども殆どいない... ...続きを見る

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2014/11/08 07:51
黒井城T 主郭
天空の城として此処数年ですっかり、ツアー客でごった返す程の超有名な観光地となってしまった竹田城は、盆地に囲まれた円山川の川霧の中に浮かぶ幻想的な姿には誰もが魅了されることでしょう。但馬竹田駅ではなく丹波にも丹波竹田駅がある。 ...続きを見る

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2014/11/07 08:31
山下城 加西市
加西市の北条鉄道北条駅から県道117号を姫路方面へは、先日は後藤又兵衛の城南山田城や、黒田官兵衛ゆかりの小寺氏居城の御着城へ、数年前には南山田城の西:太尾城や小寺氏の山城:庄山城・恒屋城…等北播磨・中播磨方面の城廻りには此のルートで出掛けた、姫路に入る市境界の山下町に山下城が在る。  土塁曲輪跡らしい畑地から土橋付堀切・真上が主郭  平成23年に発掘調査後「ふれあいの森山下城跡」として整備され案内板や遊歩道も完備し、山上主郭には東屋の休憩所も設置された、市民参画事業による史跡公園化された山下... ...続きを見る

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2014/11/04 15:28
南山田城(再訪) 姫路市
ショッピングセンター”イオンモール加西北条店”へは時々出掛ける都度・お決まりのペットショップを覗き・「100均」に寄った後、ショッピングセンター西県道117号線に廻って南下、県道81号に合流する手前東方には山下城がある。此れから向かう南山田城共に2年程前に訪城済だが、山下城は最近整備されたと聞き、南山田城も、今年のNHK大河ドラマ”軍師官兵衛”で見直され・荒れ放題だった竹藪内が整備されていれば…と期待しての再訪です。    南山田城(南側から) 当時の訪城レポートはブログに南山田城【後藤又兵... ...続きを見る

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2014/11/02 00:12
カンジョウジ城(横田城) 丹波市 
丹波の波多野氏は八上城主(篠山市)波多野秀治【東波多野氏】が知られますが、丹波市にも氷上城に拠った波多野宗高【西波多野氏】が居た。西波多野氏は三代続いたが、信長の「丹波攻略」に滅亡します。其の氷上城が霧山城に在ったか、横山城(向山城・カンジョウジ城)であったかが問われ幻の氷上城議論では今も分かれているようです!!?。  黒井盆地を望む(中央奥の尖峰は千丈寺砦・直ぐ右手の黒井城が城域から見えない!!) 霧山城には以前から遺構は無く城ではない…?とか、周辺山麓に一族の菩提寺が無い・初代の宗高は実... ...続きを見る

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2014/11/01 08:48
鷹ノ尾城 三木市
三木城(釜山城)二ノ丸跡の市立図書館・全国的にも”金物の町”として知られる地場産業の金物資料館が本丸跡に建つ。戦国史に例を見ない22ヶ月もの長期にわたる悲惨な飢餓作戦「三木の干し殺し」と呼ばれ、過酷な戦闘に脱退者が居なかったといわれる三木合戦の舞台は、”今はただ恨みもあらじ  諸人の命に代わる わが身と思えば”の時世の句碑を遺した若き城主:長治と別所一族の落城悲話を伝える歴史の城。 ...続きを見る

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2014/10/29 07:54
三木城(釜山城)
三木市制施行60周年記念イベントとして祭り屋台大集合が開催された三木山総合公園の陸上競技場は、三木城の支城・出曲輪というより、三木城の大縄張り内の一角。三木市役所・勤労者体育センター傍には鷹ノ尾城(鷹尾山城)が、三木山森林公園・総合公園側には宮ノ上要害(宮ノ上砦)があった。      三木城本丸:天守台傍に立つ城主・別所長治像 布団太鼓屋台の練り込み(宮入・此処ではイベント会場への入場)まで少し時間もあり、市役所から現状では比定地付近に遺構も壊滅状態の住宅地内を抜けて三木城本丸跡に建つ稲荷神... ...続きを見る

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2014/10/27 07:46
黒井城の霧海
加古川(旧佐治川)沿いに氷上回廊を北上するR175号は稲継でR176号(多田バイパス道)に合流する。R175号は城山トンネルを抜けるバイパス道となり、春日町の歌道谷(うとうだに)で、JR福知山線柏原-石生駅へと並走してきた旧R176号 と合流する。   黒井城(保月城)主郭から:中央左に野山城(直正初陣!の城) 石生駅の南「水分れ」(日本一低い分水界)交差点を西へ流れる高谷川は柏原川に合流・さらに下流で旧佐治川に合流して現:加古川となり瀬戸内(播磨灘)に注ぎ込む…が、反対に北へ流れ出て氷上町... ...続きを見る

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2014/10/24 16:37
豊地城U 小野市
小野市立会館コミュニティセンターに在る誉田の館いろどりの模擬二層櫓は豊地城の復元図を模したものという。二階の望楼からは湾曲する東条川傍に突き出す丘陵部先端の小田城が目の前に望まれるが、豊地城は更に東条川の上流…。東条川流域の地形・水脈が豊穣な地となり”豊地”の名がついたものか?。 ...続きを見る

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2014/10/17 08:03
小田城 小野市
東条川沿いの県道85号線(街道筋)にある豊地は拾市とも呼ばれ、中世期頃よりは十日市場が立ち、此処からは北播磨から丹波・但馬・丹後方面へ、また三木市吉川へ抜けて摂津三田方面や、丹生山・三津田・淡河を西国街道神戸方面へ通じる交通の要衝地にあって、赤松氏家臣で東播磨の豪族・依藤氏本拠の豊地(といち)城がありました。    コミュニティレストラン[誉田の館いろどり]から小田城を望む ...続きを見る

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2014/10/16 07:18
冷泉氏/依藤氏塚 加東市
R175号から中国道「滝野社IC」とは付かず離れず「ひょうご東条IC」へ向かう県道17号線の社PA付近南の地道(県道17号)から、リウマチや関節炎等専門○○病院へは母の治療に何年か通った道。県道564号に抜ける林道然とした道だが、県道564号線は加東市役所や社高校前から兵庫教育大前を通って東条川沿い厚利・松沢へと学園道路を下りてくる。     冷泉氏・依藤氏自刃の地碑 ...続きを見る

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2014/10/11 22:27
(伝)竹中半兵衛陣所 三木市
県道38号線宿原西から県道513号線に入り平井公民館の観光駐車場をスタートして、竹中半兵衛の墓から、国指定史跡となった秀吉本陣跡【平井城・平井山ノ上付城】へも道標に導かれるように廻ってきた。10数年前にも”平井山の本陣跡”へ案内板により訪城したことがあったが、嘗て本陣跡とされた位置より谷を挟んだ南側に秀吉の本陣跡として”平井山ノ上付城”が発見・調査された。 ...続きを見る

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2014/09/26 22:59
秀吉の平井山本陣 三木市
平井山ノ上付城【平井城・羽柴秀吉の平井山本陣】は、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」放映(2014年)の決定を前に、三木合戦における三木城包囲作戦の戦国遺構として、三木城・三木城付城群や、包囲網多重土塁群を一体として平成25年(2013)に国の史跡に指定されました。 ...続きを見る

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2014/09/25 22:54
平井山本陣と竹中半兵衛の墓
10数年前・三木市平井の公民館から竹中半兵衛の墓として知られる白壁に囲まれた廟所?や、三木城包囲の付城群や羽柴秀吉の”平井山の陣(本営-本陣)を訪ねたレポートを掲載したが後日(H15.7)城郭ファン”KAIさん”から平井山本陣は此処ではなく、南側の山で遺構も残っているとの連絡をいただきながら、そのまま再訪の機会を失していた。     2003年訪城の際寄った半兵衛の墓所:現状と殆ど変らず  訪れたのは旧来より秀吉本陣(本営)跡とされ、道標や現地には「平成6年4月三木市経済部商工課」による平井... ...続きを見る

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2014/09/23 20:46
太閤腰掛石/極楽寺構居 西脇
ずっと以前桂松山城の山裾・福谷公園から県道294号に戻り、兵主神社前の岡交差点から室池傍を南東に約150m程に在る西岡山極楽寺(臨済宗妙心寺派)に向かったことがある。寺の裏(北)は小さな雑木の丘となり、南には蓮の湿地畠!!?と小山池?があり、寺域は南側から見ると3〜4m幅の外堀を廻らし・二つの池(濠)に挟まれた参道の先に在る極楽寺が、そのまま領主の構居の姿を留めているようにも思えた。    極楽寺参道の両側は蓮畑・中央左上部に宮池と其の奥に兵主神社 寺の杜の西面は県道294号に沿って溝谷が堀... ...続きを見る

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2014/07/12 19:33
御着城 黒田官兵衛 所縁の..
NHK大河TVドラマ化され今年(2014年)放映されている「軍師官兵衛」では、其の出生地や、其の活躍の中心的な舞台となる姫路市の姫路城や御着城…等々、関西の播磨地域が一躍知られるところとなり、後世”江戸時代の延宝6年(1678)に完成した”福岡藩の藩命による貝原益軒の編纂による「黒田家譜」や、司馬遼太郎氏の「播磨灘物語」等の内容が反映され、完全無欠の軍師官兵衛がヒーローとして登場しているという。 ...続きを見る

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2014/07/02 08:18
黒田家廟所 御着城3
御着城は別所氏の三木城・三木氏の英賀城と並び、赤松氏一族の姫路城代:小寺氏が守護:赤松氏に対抗する守護代浦上氏への備えとして築いたとも、西播磨最大勢力となった小寺氏が赤松氏からの独立を狙って整備したとも云われる播磨三大城郭の一つに挙げられます。 御着城跡公園二の丸には城郭イメージの姫路市役所東出張所・御国野公民館が、其の正面南には黒田官兵衛顕彰碑が立ち・直ぐ側には「メグスリの木」まで?植えられている。     黒田官兵衛顕彰碑 東出張所西側には落城・小寺氏滅亡後には城割された小寺氏三代(政... ...続きを見る

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2014/06/30 07:52
天川神社 御着城2
御着城跡公園の中央を東西にR2号線が分断しており、北側には城をイメージしたといわれる姫路市役所東出張所・御国野公民館が、その西側には黒田家廟所や、今年(2014年)放映されているNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」効果で盛り上がる御着城だけに、ボランティアガイドの常駐・黒田官兵衛の顕彰碑と背後には「目薬の木」まで植樹されている。 ...続きを見る

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2014/06/29 00:09
天川橋 御着城1
別所氏の三木城・三木氏の英賀城と並ぶ播磨三大城郭の一つ御着城は現在(2014年)NHK大河ドラマで放映中の「軍師官兵衛」で一躍知られた小寺(黒田)孝高(官兵衛・如水)が、主君:小寺政職(御着城主)に仕え家老となり・祖父・父の黒田家三代が姫路城城主となっていた由緒の城。 御着城公園の市役所東出張所(城櫓イメージの建物)裏手の濠跡に復元の天川橋 ...続きを見る

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2014/06/27 07:58
琵琶渕 篠山市
篠山川沿いの川代峡谷を抜ける県道36号は大山下交差点でR176号と合流し、国道を700m程南下したところで宮田川に架かる丹南橋を渡ったT字交差点に着く。左折すると西多紀アルプスの北麓を通って氷上・春日町や草山温泉を経て京都・三和町へ抜ける県道97号線です。負け嫌い稲荷伝説-黒田山兵衛を紹介した稲荷神社から新栄橋に戻り宮田川沿いにR176号の丹南橋交差点に向かい、舞鶴若狭自動車道高架を西へ潜った南側に伝説の地:琵琶渕の石碑をみる。 ...続きを見る

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2014/06/23 00:03
柴城 朝来市
丹波市から柴城へは、以前なら春日和田山自動車道を利用すれば遠阪トンネル(有料)の料金所を出たR427号線からは僅か数百m程下った柴集落端(取付き点に神社?・城址の丘陵上に秋葉神社の小祠が祀られており、参道が通じている)の取付き点となる神社?前に着いた。 ...続きを見る

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2014/06/09 06:24
仏南寺城 綾部市
JR山陰本線綾部駅南口を抜ける府道8号線は西町交差点で南北に市道を分ける。カラー舗装の南へ約250mで燦々堂の在る本町通りT字辻で府道709号に繋ぐ。西町交差点を北へはあやべグンゼスクウェアー(グンゼ博物苑・バラ園・あやべ特産館等施設がある)を抜け、由良川に架かる白瀬橋南詰めで府道77号線に合流する。綾部市民にとってランドマークの四尾山が南に・由良川を挟んで北に正対して立つ城山(位田城)は私にとってのランドマーク。   東郭:西正面虎口の土橋と空堀 白瀬橋北詰めを由良川沿い西へ向かう府道... ...続きを見る

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2014/06/03 20:23
小浜宿 宝塚市
前日のブログ小浜城で紹介した宝塚市小浜4・5周辺は、R176号と中国自動車道に挟まれた一隅にあって、僧:善秀が明応年間に小浜庄を開き・毫摂寺を建立し、小浜御坊とも称された毫摂寺(浄土真宗本願寺派)を中核として宗徒や町人により寺内町として発達してきた。 ...続きを見る

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2014/04/30 16:48
小浜城 宝塚市
西宮市に在住当時より、震災で居住地を彼方此方と代わったが・今も変わらず付き合い例年:何度か会っている震災前に近所の人達や同級生・職場やサークル仲間達と…妻の友人・知人は多い。そんな友達仲間でも異色で、ズッとお客さんでいて相談相手→友達あり→後に職場の先輩ともなり、彼女が定年後も年2-3回は丹波の田舎まで、旦那さんと一緒に訪ねてきてくれる人がいる。其の旦那さんが突然の入院されたと聞き・宝塚市の市民病院に見舞いに出掛けた。     午前中の面会時間までには少し時間もあるので、病院周辺を散策してみ... ...続きを見る

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2014/04/29 17:19
馬背山城と馬背山堡塁 U 丹波市
選択事由はともかく”ふるさと兵庫50山”石戸山登山として丹波市の紅葉三山の一:石龕寺から岩屋山-石戸山-高見城山-丹波悠々の森コースは丹波市にあっては同じ”50山”の五台山とともに比較的よく歩かれる人気コース。  ...続きを見る

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2014/03/17 20:35
行者山(馬背山) T 丹波市
行者山〜馬背山は展望の良い城山として登山対象となっている高見城山(485m)の直近にありながら断崖・峻険な岩尾根と、高低差30m以上の鞍部は激急斜面で尾根が断たれ、登山者・山城ファンの対象からも外され取り残された一帯を、佐野〜馬背山・行者山〜萱刈坂へと歩いてみた。    中央に馬背山と最奥は高見城山  戦国時代には赤井氏の城となり、但馬・山陰に向かう幹道は篠山から鐘が坂を柏原・氷上・春日へ通じる主要道に代わると、二つの道を繋ぐ北山麓の「鴨野」側に城下が移ります。氷上郡(丹波市)・天田郡(福知... ...続きを見る

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2014/03/13 23:02
南郷城 丹波市
加古川沿いR175号線稲畑の錦橋東詰【稲畑土人形や稲畑三番叟で知られる所で、錦橋親柱にも稲畑人形のモデルが描かれています】交差点を左折し、正面に白山(後谷山城跡で山麓は赤井野)を望みながら県道109号を北上・弘浪山(高山寺城)の東麓を抜けて氷上町成松に入る。   主郭に向かう上り土塁 成松中央部には葛野(かどの)川を渡る。下流約1.5kmで佐治川(現:加古川)に流れ出る葛野川沿いの県道78号線はたまごかけご飯が名物ともなっているかどのの郷前を通る。この施設とは県道を挟んで北に迫る丘陵上に南郷... ...続きを見る

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2014/03/07 23:24
水牢城  豊能2
大阪府豊能郡能勢町から野間峠を越えて豊能郡豊能町の余野へ下りてきた。交差点東北方向の高台に建つ城山高校跡(閉校)は、能勢頼弘の五男:頼幸が明応年間(1492-1501)余野氏を名乗って此の地に創築した余野城(幣の木城)址で、高山城主:高山飛騨守の妻は(高山右近の母)余野城主の娘であったとも。キリシタン大名となった高山右近もまた天正年間・余野氏とは親交があった。    城の腰城:主曲輪からニノ曲輪(西曲輪) 余野城を北間近に望みながら、未訪城の城の腰城と水牢城(余野本城も水牢城の別名を持つが、... ...続きを見る

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2014/03/02 21:03
城の腰城 豊能1
R372号線(デカンショ街道・京街道)は篠山市福住の小野新交差点でR173号に出る。摂津池田市から丹波綾部市を掬ぶR173号線は此処から北方・板坂峠を越え京都府に入る綾部街道・南へは天王坂を越えて大阪府豊能郡能勢町に入る能勢街道・池田街道となる。R173号森上からは府道4号(妙見街道)で名月峠を越え・野間峠を越えると同じ豊能郡豊能町に入る。周囲を兵庫県の川辺郡猪名川町・川西市・池田市、大阪府池田市・箕面市・茨木市、京都府亀岡市南丹市に境して、能勢町と豊能町に独立して自治体をもつところ。   ... ...続きを見る

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2014/03/01 00:40
塩山城と止々呂美城!!  箕面市
豊能郡豊能町の高山城・高山向山城のニ城に寄ったあと、昼食に余野に戻ったが予定していた店は休み・もう一軒は休業中なのか見つからず、此の時期でなくとも此の地域で外食の店が少な過ぎて困る。登山同様に傘と弁当は必携品なのかも・・・!!?。時間が余り過ぎるが余野では、先に寄った城ノ越城と水牢城の他に寄るべき見落としの城もなく?(大平城は畑地・果樹園か?遺構等不詳で未訪)、次に何処に行こうか?・・・   止々呂美城(止々呂美上城)の堀切 余野からは隣接の茨木市は、未だ一城も訪ねていないので、安威か佐保の... ...続きを見る

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2014/02/19 20:37
高山向山城 豊能
高山の里へは、もう45年ばかり昔:英知大学(旧名称)神学科のシスターや友人達と高山右近生誕地・高札場・マリヤの墓を訪ねた事がある。切畑や忍頂寺(資料館等は未だ無かった)へも行った様な・・・?気がするが、つい”隠れキリシタン”関連遺構ばかりが連想される。登山趣味からも暫らく遠ざかていたころで高山城の事は所在については殆んど知らなかった。   向山城主郭南端の空堀土橋 その後:明ヶ田尾山へは過去数回登ったが、高山公民館前の豊能町教育委員会の案内板”高山右近の里”によって少し判ってきました。西方寺... ...続きを見る

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2014/02/15 08:59
高山城 豊能郡 
高山城といえば普通・岐阜県高山市の高山城か、土岐市(美濃源氏:土岐氏)の土岐高山城を指すのかも知れませんが!!、私の場合は近畿圏内に固執しての山城巡りが主なので、余り知られることもない隠れた山城が殆んどですが此は北摂:能勢の高山城です。見るべきものは低丘陵部の尾根上に残された平坦地形のみ。削平痕跡があり・段差を持つ幾つかの曲輪でもあれば良し!!。しかし識者に”あれは城ではない・・・”と云われてしまえば、専門知識には乏しく・洞察力にも劣る私にとって気分も萎えてしまう。  高山城主郭から高山集落... ...続きを見る

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2014/02/14 08:35
友政城 丹波市
JR福知山線丹波竹田駅に近い、R175号竹田バイパス側に新道貝(東)城を再訪した後、旧R175号(旧街道)沿いを少し戻り、西山酒造場の西約100m程を左折東へ進み踏切を渡り、竹田川を越えると竹田川右岸沿いに県道708号を経てR9号線:福知山市六人部(むとべ)に出る車道に合流する。   友政城主郭(本丸台)から横峰山(高谷山)を望む 橋を渡った車道を渡り直進する狭い坂道の地区道内にある活眼不動尊は眼病に霊験ありと云う。竹田川が大きく東へ流れを変える取っかかり付近で、山裾を縫うように友政地区に入... ...続きを見る

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2014/02/04 08:52
新道具東城
舞鶴若狭自動車道「春日IC」を降りて春日町から市島町へと竹田川沿いのR175号を北上。八日市交差点を直上して塩津峠に向かう竹田バイパスから市ノ貝との分岐を旧道・JR丹波竹田駅側へ右折して直ぐ左手丘陵上一帯が新道貝(東)城(しんどうかいしろ)だが、竹田バイパスに入る手前・八日市交差点の50m程先で右手の旧道に入り、奥丹波の銘酒:小鼓で知られる西山酒造場とJR丹波竹田駅の中間点付近からバイパス・市ノ貝への地区道に入った方が取付き点が判り易い。    南北の空堀沿い(竪)土塁 地区道から丘陵上の墓... ...続きを見る

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2014/02/01 20:46
八上城中枢郭
丹波:篠山市の波多野氏の本拠城:八上城については、織田の天下布武”丹波攻略”の主将:明智光秀により落城後は明智の家臣:並河氏を入れ、序で(本能寺の変)秀吉家臣の秀勝・小早川・前田玄以が城代となるが関ヶ原合戦後、領地安堵を受けて前田茂勝が八上を継ぐが、改易となり家康の実子:松平康重が入るが篠山城を築き移り八上城は廃城となった事は八上城:主膳屋敷に触れた。    八上城主郭東北角(岡田丸から)また吉見(波多野)清秀が応仁の乱の戦功に多紀郡の地を与えられ、此の地に入封した子の元清(稙通か?)が八上... ...続きを見る

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2014/01/04 07:51
八上城:朝路池
籠城戦に限ったことではないが、山城にとっては領有地や街道筋の通行監視や、城砦間の通信・連絡手段は必要だが、水(井戸)と兵糧米・武具・武器類の確保・保守・管理も最重要項目ですね。山城への登山コース中の山麓や山腹に竹藪を見ると寺跡か?・居館跡か?・・・と思うが、尾根上に矢竹の密集地をみると曲輪も近いと感じる。竹矢来は勿論・山岳戦に有効な武器の弓矢は消耗品として、常に身近に用意しておく必要があったのでしょう。  尾根筋左肩に土塁線が延びる藏屋敷・・・ 八上城の水の手は三方を急斜面の囲まれ其の尾根筋を... ...続きを見る

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2013/12/30 19:21
八上城:曲輪群
篠山市の八上城は丹波市の黒井城・南丹市の八木城とともに丹波の三大山城の一つ。三城いずれもが山域最高所に主郭を置き、三方・四方へと延びる広大な山域の丘陵尾根筋に曲輪群を配し、山全体を要塞化した大規模な山城です。画像は登山レポートT:U:V・八上城・八上古城の奥谷城(蕪丸)にも分けて挿入していますので併せてご覧いただければと思います。    伝:鴻の巣(主膳屋敷から辿る尾根西未端:篠山盆地西方の監視所とされる!!?) 八上城の在る高城山は其の秀麗な山容と459mの標高から”シゴク美しい丹波富士... ...続きを見る

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2013/12/28 18:16
八上城:主膳屋敷
♪丹波篠山山家の猿が・・・ ♪デカンショデカンショで半年暮らす・・・全国的にもよく知られた民謡のデカンショ節ですが、歌詞も多く、替え歌等種類も多い様なので、正規?の歌詞なのか・また順序もよくは知らないが、丹波杜氏の里として、夏のデカンショ祭り開催場所となるのが篠山城大手前(北側)の三ノ丸広場周辺。篠山城内への極く一般的な入城口・大手門から篠山城天守台(天守閣は設けられなかった)から東方(約4km)を望むと、美しい富士型の山容を見せるのが丹波富士の別名さえ有る高城山です。   篠山城天守台側か... ...続きを見る

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2013/12/26 19:26
井原城館? 丹波
滝野社ICから福知山方面へ北上するR175号線を北に向い西脇市黒田庄町を抜けると、ミニ道の駅「山南仁王駅」のある至山山麓は、加古川(旧佐治川)と篠山川の出合い加古川本流となって瀬戸内に流れ出る。此処に架かる井原橋を渡って丹波市に入り、山間の緩やかな加古川(旧佐治川)流域沿いの氷上回廊を但馬・福知山方面へ進む延喜式の山陰道。   井原城館?南尾根:西面を土塁で囲む曲輪(中央右に竪堀?) 出合いに位置する至(イタリ)山から石金山への丘陵部が播磨・丹波の国境線。延喜式の旧山陰道はR176号の鐘ヶ坂... ...続きを見る

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2013/12/24 18:52
中佐治代官屋敷
全国的に知られるスカイスポーツの町・青垣町。岩屋山の基地からテイクオフしたハンググライダーが平日でも数基が空を舞っている。桧倉地区(高源寺・大名草方面)へ佐治川(現:加古川)を渡る橋の側のランディング場を挟んで、東向いには丹波冨士(大箕山)の姿が・・・。丹波側最後の宿場町:佐治を北へ進むと県道7号と427号線が合流する小倉交差点に出る。 北へは大名草集落を抜けて但馬生野へ、また西に北播磨の那珂郡や西脇市方面・交差点を右折する国道が東方・遠阪峠を越えて但馬朝来市へ向う山陰道(出雲道)。旧山陰道は... ...続きを見る

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2013/12/17 09:21
多田構居 西脇市
西脇市黒田庄町黒田に黒田城?関連中世の遺跡や分散地を兵庫県遺跡分布地図に調べてみても、城館跡として黒田構江遺跡の名と伝黒田城及ぶ天狗山への尾根上に黒田城関連の城砦遺構群が点在するだけ?。昨年(2012)は丹波でも福知山市・舞鶴市・亀岡市を主として明智光秀のNHK大河ドラマ化誘致に向け、明智光秀と娘:ガラシャ夫人・其の夫君の父:舞鶴・田辺城主の細川藤孝にスポットをあて、各市がリレーでイベント事業を展開していたが、気がつけば?姫路城主の嫡男としての黒田官兵衛が姫路城修復中の人気?とも重なってか・・・... ...続きを見る

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2013/11/13 07:53
福本藩陣屋
多可郡多可町寺内交差点でR427号線から県道8号線に入り、高坂峠(トンネル)を越えると神崎郡神河町。三国岳・千ヶ峰の水をあつめる越知川沿いに下り県道312号(生野道)に合流する。狭い旧道を抜けると粟賀交差点・バイパス道(一般道)が総合病院前交差点に出るが100m程手前を左折すると福本交差点でR312号に合流する。 ...続きを見る

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2013/11/06 19:39
姥が懐遺跡 黒田官兵衛生誕地
NHK大河ドラマ化(2014年度)の決定により西脇市黒田庄町を”軍師黒田官兵衛”生誕地としてPR、以前より黒田城跡の案内標識が立つ伝:黒田城周辺が俄かに慌ただしく感じるのは気の性かも!!。放映前なので未だ其の存在も知名度も低いが・・・ 「伝黒田城跡」への登城口(稲荷社へは溝谷(北谷川)に架かる参道橋を渡る)から山裾を回り込む整備された歩道には官兵衛生誕地PRの幟旗が靡く。通路沿いを約100m程進んだ先:田圃の奥に姥ヶ懐と書かれた案内説明板付の看板と”黒田官兵衛生誕地”石碑が立つ。 ...続きを見る

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2013/10/30 21:43
伝:黒田城 西脇 
有名な人物には出生から諸説・異説が有り、小説等でも様々に紹介される武将に、姫路城の城代:黒田職隆の長男として姫路に生まれたとされるのが通説の黒田(小寺)官兵衛孝高がいる。家系を誇ろうと身分の高い人の血を受け継いだ形式の系図を盛んに作った時代もあったようで、豊臣秀吉が氏素性:権威を高める為・公家の近衛家猶子となり藤原氏に改姓する例もある。・・・・・豊前国12万石大名で中津城主となった黒田氏も二つの系図があり信憑性が問われ真意は薄れます。     地元で黒田城とされる(伝黒田城)主郭:右端祠は櫓跡... ...続きを見る

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2013/10/25 21:07
淡河城南付城
中国・毛利攻めの軍議の決裂に、織田信長に背いて毛利に付いた東播磨の別所長治が三木城に籠城した三木合戦の、兵糧輸送経路の一つに花隈城【伊丹城主:荒木村重が神戸:花隈城に居て織田方に背いた】〜淡河城〜三木城へと運び込まれルートがあり、淡河城が其の中継基地になっていた。天正7年羽柴秀吉は毛利方からの救援物資搬送経路を断つべく、丹生山城を奇襲し・続いて弟小一郎秀長に淡河城を攻めさせます。   前は貯水池・背後の右手藪奥は傾斜の急な谷・左手が南付城で谷側に長い土塁が・・・!! ...続きを見る

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2013/10/19 23:02
淡河城西付城
織田信長による中国攻めに大将:羽柴秀吉との軍議が決裂、一転して毛利方に付いた三木城主:別所長治の籠城戦に始まった三木合戦に、各所から兵糧が運びこまれた。河川を補給経路とした毛利方の搬送ルートの他、神戸方面からは織田方の背いた荒木村重(伊丹城主)が丹生山ルートを兵糧経路とした。   西付城(低土塁曲輪の切岸と土橋付き空堀) ...続きを見る

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2013/10/18 22:06
淡河城 神戸北
萩原城から湯山街道【2年に及ぶ三木城包囲の飢餓作戦では、羽柴秀吉が有馬温泉へと三木の本陣から通った県道38号】を西へ走るとR428と交差する淡河本町に「道の駅淡河」がある。其の施設に向かう西南方には河川段丘の急崖の上に黒っぽい模擬櫓と「淡河城跡」の看板が見えています。 ...続きを見る

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2013/10/16 21:35
東畑城  神戸北
神戸市北区淡河町の僧尾・北畑に在って、多くの地元人にさ北畑城に比して東畑城え・其の存在感が希薄な、僧尾城や北畑城等の城史も不明の四っの城砦を県遺跡分布図により訪ねてきた。 共に淡河から吉川・三田方面に通じる街道?・間道筋に位置して、南北朝期:赤松氏に攻められた石峰寺が在る。   鞍部からの取付いて直ぐ空堀沿いに土塁道が延びる また室町時代末期(安土桃山時代)の天正年代:三木合戦には別所氏に付いた淡河城:淡河弾正定範に関連した城砦群で、織田信長の播磨攻略には・三木城への丹生山からの兵糧補給ルー... ...続きを見る

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2013/10/09 20:40
北畑城  神戸北
先に北僧尾城・南僧尾城を訪ねているが、両城の東方には北畑城と東畑城が在った。4城共に其の築城年代や築城目的・築城主等の城史一切が不明です。当ブログやホームページ上の記載内容については、古文書・郷土史等について未調査のため不詳で、何の根拠も無い推測・主観的なものであることを お含みのうえ各自ご検証・ご覧ください。お気づきの事等がございましたら・お知らせ願えれば幸いです。   低丘陵裾北端から神社を祀る曲輪に入る(三方に切岸を落とす) 北僧尾城・南僧尾城を約1km程東へ下ると石峯寺ですが、北畑城... ...続きを見る

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2013/10/07 22:25
南僧尾城 神戸
僧尾城(北僧尾城)から南僧尾城へ、神戸市北区淡河町の二つの城を訪ねた。信長の播磨平定に抗し三木城に篭城して秀吉の包囲網に耐えたが「干し殺し」と呼ばれた悲惨な三木合戦に、城内の兵等の保身を条件に一族が自刃し開城したが、此の三木城主:別所長治の義理の叔父:淡河定範の淡河城に関連した城砦と思われます。   小峠上:車道側から延びる上り土塁 僧尾城は比高30m程・南僧尾城は比高20m程の丘城で、先のブログにも記したが、淡河から吉川を経て東播磨の加東市・西脇市方面や摂津三田市方面に通じる。淡河城の東・... ...続きを見る

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2013/10/04 07:54
僧尾城 神戸北
中国自動車道の吉川ICを出てR428号線を南下すると、加東市東条方面からの県道354号と合流し、市境界を越えて神戸市北区北僧尾に入ってくる。R428号は更に山陽自動車道高架を潜り県道38号線と交差する。此処:淡河本町交差点側に”道の駅淡河”があり、西側・間近の丘陵上に淡河城が在る。 北僧尾の棚田風景と僧尾城(上部右手丘陵端) ...続きを見る

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2013/10/03 08:05
松倉城と八幡山段城<仮称>
丹波は絶好の登山シーズンだが:とうとう松茸山のシーズンともなって入山禁止・11月中旬に解禁されても、続いて今度は狩猟シーズンで春先まで登山・山城探索には心落ち着かない季節に入ってしまいました・・・・ その前に尾根続きに約2時間ほどで周れる二つの山城を先週再訪してきた。 R483号(北近畿豊岡自動車道)の青垣ICを降り、道の駅側からR427号交差点に向かう西方・旧佐治川(加古川上流)沿いが丹波市青垣町佐治:嘗ての延喜式:山陰道(出雲道)兵庫丹波最後の駅屋(”うまや”の佐冶宿)。全国「足立」姓... ...続きを見る

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2013/09/15 21:40
天神山城2
篠山市方面からR372号(デカンショ街道・京街道)で天引トンネルを下ってくると瑠璃渓口で府道54号と交差する。 瑠璃渓から土ヶ畑を抜けると天王坂から大阪府能勢町から川西・池田へ通じるR173号(能勢街道)に通じる。八木町や亀岡市へはR372号を直進するが、園部町内へは大概・此の園部川沿い府道54号線を走る。 府道の傍に在りながら今まで寄らなかった天神山城へは城下・西方の辻田垣内に在る竹井公民館の駐車スペースを暫くの間借用し、およそ250m程先の城址に向かう。城址は摩気神社前バス停の崖状丘陵の丁... ...続きを見る

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2013/08/01 20:56
天神山城 南丹
南丹市園部町の山城で天神山城と云えば、多紀郡(篠山市)八上城波多野氏の家臣で細工所城主でもあった荒木氏綱が拠ったとされる小麦山(小向山)山上に在ったとされる旧園部城?の事だと大概の方は思われるでしょう。   こんな所に!! 思いもかけない遺構が残る 園部城近辺で地図上に山名が表示されているのは小向山とは園部城を挟んで南東に位置する天神山(標高236m)なのですが!!?、園部藩として立藩した歴代城主小出氏の園部城は小麦山(小向山)に造営された詰め城と陣屋の事かと思われるが、此の天神山が城址であ... ...続きを見る

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2013/07/30 20:40
半田城 南丹市
半田城館と其の詰め城と思える半田城が直線距離で凡そ600m程西方の丘陵上に在る。 半田城館からの尾根続きではあるが、山麓の法積寺(曹洞宗)から本梅川沿いの園部町大西・宍人への山越え・峠から北への尾根上に在る半田城へ山麓を辿る登城ルートが大手道か?。居館と詰め城セットとしても谷間を丘陵上に向い進むだけで無理のない(離れすぎているとは思えない)範囲内と考えます。    峠からの尾根筋上部に低段差の曲輪群が現れる  半田城館も半田城も築城時代や目的・城主等の城史一切は不明だが、南北に延びる丘陵の... ...続きを見る

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2013/07/28 18:23
半田城館 南丹
先に大村城を訪城の際の取付き点の一つに考えていた大村城北山麓(R477号)に南丹市園部半田文化センターと清泉寺が在る。半田城館と半田城へは大村城の在る丘陵裾を廻り込み・半田川沿いに南下するR477号を見送るコーナー部に建つ農協の倉庫?側から真西へ向かう。   櫓台土壇(マウンド上も円状なので中規模古墳!!と思える) ...続きを見る

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2013/07/27 07:53
善願寺城 南丹
久方ぶりに・堀切や土塁も見ず、高低差は少ないが僅かに切岸らしい段差をもつ曲輪?2-3段に城跡?を偲ばせる古城!!?:善願寺城を探索。データベース化された京都府文化財・遺跡マップで存在と位置が確認出来るが、築城時期や城主等の城史一切が不明です。    取付き点の大蔵寺 園部IC付近の千妻城や蟠根寺城(高屋城)の南方に位置し、園部城や小山城(五合山城)とは園部川・JR山陰線園部駅・山陰道(R9号線)を挟んだ東北に位置する標高247mの低丘陵上に在る。丘陵部西山裾に廃寺・善願寺が在り、其の西に在る... ...続きを見る

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2013/07/24 22:07
小山館 南丹
先日立ち寄った荘林氏の小山城(五合山城)からの東北尾根先、現在は京都建築大学・京都伝統工芸大学・京都美術工芸大学のキャンパス内の一角?に小山館(荘林館)が在った。船井郡京丹波町(旧瑞穂町)の三ノ宮東城を調査されている京都府埋蔵文化財調査研究センターによる”南丹市内の城館跡…”資料No121に此の小山館調査報告がある。   小山館:春日神社も小山館の一曲輪か?・切岸下の甍は神宮寺?  調査年等の詳細は知らないが、キャンパス周辺の造成工事による事前調査だったか?。道路拡張で消滅する三ノ宮東城同様... ...続きを見る

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2013/07/22 19:24
上木崎城 南丹
黒田城の主郭からは東方へ一気に高度を下げ伸び出す舌状丘陵部中程?に上木崎城が在りました。    東郭(土塁道は近代・踏み固められた山道?か) 黒田城から上木崎城にかけての丘陵は南側を東西に府道54号線沿いに園部川が流れ、本梅川を蒐めてた園部川に架かる新黒田橋(東行き・西行き専用二本の橋が架かる)からは真北の低丘陵尾根上(起伏のない台形尾根だが)に木崎山城が在りました。…とは云え、新黒田橋を渡った横田地区で半田川沿いのR477号の合流し、再び蛇行する園部川に架かる横田新橋を渡るが、此の橋に北方... ...続きを見る

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2013/07/17 22:40
黒田城 南丹
R372号線(デカンショ街道・京街道)で。天引峠を越え瑠璃渓から続く園部川沿いに走る府道54号が、南八田から府道453で九品寺前を通って合流する船坂から黒田地区に入ると、北方に黒田・船坂工業団地が見えてくる。その一角には造成工事で発見された「黒田古墳」がある。口丹波最大の垣内古墳(4世紀末〜5世紀 )よりも約100年程古く、弥生時代から古墳時代前期にかけての我国でも最古級の古墳といわれているがブログでの詳細は控える。     南郭(虎口部から) ...続きを見る

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2013/07/15 13:03
園部城 南丹
南丹市園部町には今年5・6・7月と続けて城巡りには訪れているが、未だ肝心の園部城をブログには載せていなかった。今更…とは思ったが下記の様な幾つかの関連からピックアップが必要かも?。   園部城!!?と見紛う三層櫓の南丹市国際交流会館 小山城(五合山城)の荘林氏が創建した徳雲寺(案内板の由緒には荘林氏についての記述が無い)が後期:園部城主【天守を持たない陣屋だが、全国唯一:明治維新後もなお櫓門・巽櫓や三層の櫓が築かれ日本城郭史上・最後の築城としても知られる園部城】園部藩主:小出氏の菩提寺でもあ... ...続きを見る

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2013/07/13 09:35
太鼓山城 南丹
JR山陰本線船岡駅のホーム北側に半独立小丘陵が有り山上尾根に諏訪山城が在り、今年5月に訪ねたところですが、JR船岡駅を挟んで南側にも、蟠根寺城の北尾根続き先端部には太鼓山城が在った。    北郭の西側:土橋(手前)空堀 高屋城(蟠根寺城)からの西尾根末端部には千妻城が在り、此方は尾根筋山麓の朝倉神社”千妻の大杉”に降り立つ。 太鼓山城は蜷川城(蟠根寺城・高屋城からの北尾根続きの先端部に位置し、山麓部の”諏訪ノ森”の小丘を越えるとJR山陰本線船岡駅のホーム西端付近に出る。此のホームを挟んで北... ...続きを見る

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2013/07/12 07:36
千妻城 園部
南丹市園部町千妻岡崎朝倉神社の神木は「千妻の大杉」とも呼ばれ、府下最大級の杉の巨木はよく知られていますが、其の朝倉神社背後:直ぐ上方に小曲輪群を並べて尾根続きに展開する中世山城が在りました。   主郭:帯曲輪と櫓台?土壇 丘陵尾根最高所には帯曲輪の中央部を幅広い土壇(共に高低差も切岸も曖昧!!)の櫓台状マウンドが占める千妻城主郭部北曲輪・東への尾根続きに土橋付き空堀(此れも崩れ埋れかけて浅い溝状・空堀外側も明確で無いので、土橋は空堀端の低い上り土塁状に見える!!)が主郭部南曲輪部を分ける。 ... ...続きを見る

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2013/07/10 21:21
小山城(五合山城) 南丹
園部城の西約1km程の地点に大村城が、南方約1km付近には小山城(五合山城)が在り、園部城砦群の様な存在に見えるが、城史については不詳で関連も不明。どちらの城も初代城主は、足利尊氏に付いて軍功があったと云う南北朝期の築城。   小山城(五合山城)主郭北面切岸と帯曲輪(手前上り土塁虎口?) 小山城は五合山の山上部に土塁囲みの主郭を置く単郭の小規模な城郭だが、築城主は当地土豪として勢力をもっていた荘林氏で、山麓に小山館(荘林館)〈未訪&gt;を築き、居館南側の半独立低丘陵上に”詰め城”五合山城を... ...続きを見る

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2013/07/08 16:26
大村城 南丹
南丹市の園部城(厳密?には陣屋だが!!)は京都に近く山陰や摂津・阪神間への要衝の地に在って、近世:小出吉親が出石城より国替えで入封されて以後・明治新政府により更に堅固な城として「大政奉還」の翌年、諸藩の廃城に逆行して、再整備:慶応4年(明治元年 1868)から明治2年(1869)にかけて櫓門、巽櫓や小麦山山頂を詰の丸として篭城戦に備え、天守に相応する小向三層櫓を築く大改修が成され、明治以降に例を見ない国内最後の築城歴史を持つ城として知られます。   大門交差点付近からの大村城 しかし中世の園... ...続きを見る

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2013/07/06 23:02
城山城 西脇市
播磨で城山城といえば・足利将軍:義教を謀殺した嘉吉の乱(1441)に播磨・美作・備前の三国守護:赤松満佑が 自刃した”たつの市”の城山(きのやま)城が有名ですが、東播磨:西脇市の城山城を知る山城フアンは殆んど皆無かも?。周囲わずか80平方メートル程・比高20m程の極小規模の釣鐘状の独立した小山は、山を見れば城山か判ると豪語する山城探索家も此処を素通りして近くの城郭に向かっているようです。頂部に小さな2-3の削平段が有るだけ?の城山(じょやま)城は一部を除いて露岩と切り立つ断崖・露岩なら何とかなる... ...続きを見る

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2013/06/24 09:47
蟲生城新館 西脇市
以前:2010/2月に蟲生城館と蟲生城新館、及び蟲生城を、今年:3月には再訪した蟲生城館と、蟲生城をブログで紹介しています。前回同様:今回も月に一度は立寄る”東はりまフォルクス・ガーデン黒田庄のNa-Syaは以前ブログ食事&喫茶コンテンツのなかで紹介した店のひとつ。 土塁虎口内側から登城道:白く見える土橋付き堀切(水壕か?) 殊に郷土:丹波地域に特化し興味をもってもらい、丹波のポータルを目指し発展・活性化させていこうとする思いや趣旨は私のブログやホームページで充分感じられている筈ですが... ...続きを見る

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2013/06/22 21:30
正後寺城
坂室城とは正後寺集落の谷間を隔てた南方の低丘陵北東末端に正後寺城が在りました。     正後寺城:居館主郭東面の曲輪・空堀 堀越城の小倉左近太夫の家老市田彦五郎が正後寺城の城主であったと云い、天正7年(1579)”丹波攻略”に落城した塩見氏の横山城を明智光秀が改修した福知山城の築城に際して協力したという。其の後の消息が不明?なのは岩間城の吉良氏等と同様・福知山築城の秘密保持の為殺害されたものか?と勘ぐってしまう!!。反対に近在に隠れ棲み光秀の死後、秀吉方に付いて大坂の陣にも参戦した井本氏等も... ...続きを見る

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2013/06/20 15:12
坂室城 福知山
堀越城の在る小倉山(大蔵山・城山)の北山麓の山際:坂室と正後寺集落に坂室城と正後寺城の城館遺構が谷を挟んで存在する。 小倉氏の家臣には正後寺城に市田氏がおり、「丹波志」に堀越城主小倉左京太夫の家老:清畠氏(溝端?)甚九郎が堀越城落城の際・三俣の山に隠れ棲んだとある。井本氏の名もみえる様で、共に天正7年(1579)塩見氏の横山城(明智光秀により落城後・光秀が福知山城として再建した)落城。”丹波攻め”に運命を共にしたと思われる諸城ですが、家老:市田・清畠・井本氏等と堀越城との関連は一切不明です。 ... ...続きを見る

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2013/06/19 00:05
堀越城 福知山
堀越城の所在・位置説明する上で有効と思えるのが民話"金の椎の実"で紹介した”生野の里”。主郭を置く山頂部Ca165mの山名が小倉山(大蔵山)、東尾根上の出曲輪と思える三段曲輪部には上六人部簡易水道配水池の施設が建つ。配水池から尾根上方約60m程?の緩斜面途中には点標名:生野(4等三角点123.5m)の石標が埋まる。 此処は細野峠を越え京と丹後・山陰を結ぶ古道:京街道筋にあって、和泉式部の娘:小式部内侍によって「大江山 生野の道の遠ければ まだ文も見ず天の橋立」と、小倉百人一首に詠まれた山陰道の... ...続きを見る

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2013/06/17 21:34
平山東城 綾部
平山城館とは集落内の辻に立つ旧八幡宮の燈篭から南の舞鶴若狭自動車道の隧道”綾部17”を抜ける道路公団工事用と地区道の兼用道路?を分けて、西側の平山城館を先のブログで紹介しました。次に東側の民家背後、燈籠の立つ辻の東側地区道(幅狭い車道)からも2本ばかり、山腹の墓地への参道を進めば平山東城。    東面の高い切岸沿いに低土塁が築かれる 南北朝期初期の建武年間頃の高城城城主大槻備中守の下館が平山東城だったか?。地区内の八幡宮燈篭側から民家裏手へ斜上・または少し車道を進めば直接墓地へ向かう参詣道が... ...続きを見る

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2013/06/14 19:21
平山城館
木坂城を下り茗荷谷城に寄った後・府道486号を南下して府道485号に出て綾部JCT(舞鶴若狭道 )高架との中程、約150m程の地点(府道の西側に駐車スペースがある)から東へ、手動調整水門が側にある大谷川に架かる仲溝橋を渡り字名:西岡・東岡・奥ノ谷への幅狭い車道を進む。 ...続きを見る

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2013/06/13 19:38
茗荷谷城 綾部
小坂城の東麓を京都縦貫自動車道(綾部宮津道路)が走る。小坂城からは登路を引き返さず、自動車走行の車騒音を聞きながら北東側へ直接降る短い枝尾根筋から谷を降り、自動車道工事専用道を兼ねた作業林道?の終点に降り立った。    大土塁と堀切 自動車道隧道を潜り八田川源流?の谷川を渡ると府道486号線に出る。北上する山間の道は峠を越え志賀郷に出て犀川沿いに志賀郷町に出る。高屋城(物部城)を本拠城の上原氏一族の浅根山城・北野城や天王山城が点在し、志賀郷(志賀の里)の七不思議伝承が残る地。    西端の... ...続きを見る

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2013/06/10 09:21
木坂城 綾部
木坂城へは綾部JCT(舞鶴若狭道・綾部宮津道路)の高架下を抜ける府道485号線を西に向い府道沿いの高柳山慈眼寺(臨済宗)を目標に走る。 七百石町大釜田のコミュ二テイセンターに綾部JCT近場の名所?簡略案内図が有って、慈眼寺背後の低丘陵には小規模円墳の七百石中山古墳(完存)と木坂城が載せてある。府道485号線を挟んで慈眼寺の南300m程の独立低丘陵上には、先のブログで紹介した甲山城が在り、主曲輪がヒシロ古墳のマウンドを利用したものと思えたが、古墳についての詳細等は割愛する。   主郭の空堀・櫓... ...続きを見る

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2013/06/08 19:33
甲山城 綾部
高倉城南山麓の綾部(城山)工業団地を抜ける府道74号線は八田川に架かる岡安橋で、R27号(JR舞鶴線・渕垣駅)から分岐する府道484号線と交差する。交差点から府道74号線側に入る右手・岡安公民館・神社背後の丘上一帯には嘗て西八田城が在った。   甲山城:二段程の広い南曲輪(南端は切岸を落とす) 高倉城と共に高城城(八田城)の支城群の一つだったと思えるが、xx工場敷地造成により壊滅(粗消滅)状態。府道484号を直進すると八田川を挟んで姫城と嶋間城の在る嶋萬神社前を通過する。坊主山城と主城の高城... ...続きを見る

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2013/06/07 07:49
高倉城 綾部
高城城は周辺山麓・丘陵尾根筋に高城城の城砦群を備える程・何鹿郡(綾部市)に大勢力を誇った国人領主:大槻氏のスケールも大きな山城だが、綾部三大山城の一つ高津城(八幡山城)と鴻ヶ嶽城(甲ヶ岳城程には地元でも余り知られていない?。   帯曲輪の切岸と土橋付き堀切:右端に送電線鉄塔 展望が余り期待できず急斜面の雑木藪・登路ルートは城跡のある山上へ延びる送電線鉄塔への巡視路任せ?で、 現状:登山者も城山を訪れる人も城址への尾根筋や主郭付近に踏み跡も薄い城山ではある。高城城よりは幾分か知名度が高い?が... ...続きを見る

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2013/06/06 07:31
坊主山城 綾部
高城山山頂(4等三角点 299m)に高城城(八田城)の主郭がある。主郭東尾根側の二重土橋大堀切は当城の最大医見所ですが、北には土橋を渡す塹壕状の空掘、西尾根は西曲輪端の虎口を出て更に西出曲輪部にも堀切で主郭に至る三方尾根を守備している。     坊主山城北端堀切と曲輪切岸 主郭の南東尾根は急斜面の尾根筋両脇に大きな竪掘が落ち、鞍部を挟んで南側の平坦地形は舞鶴街道や安国寺町側の監視・見張り所だったのかも・・?主郭からはもう一本・南西尾根が府道484号線側の嶋萬神社付近に其の先端を落とす。綾部J... ...続きを見る

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2013/06/04 11:04
高城城3 綾部
綾部市北部の東八田・西八田・上八田地区は荘園:八田(やだ)郷。室町時代には其の中に本郷&lt;上杉氏領&gt;・上村(七百石町・上八田町&lt;安国寺領&gt;)・高槻保等の分領地があった。高槻保は上杉氏(足利高氏の執事・関東管領で山内家の租)・安国寺領は足利尊氏が南北朝期の初めに元弘の乱(1331ー33)以後に亡くなった戦歿者慰霊供養の為・国ごとに建設した安国寺の筆頭に挙げられ、此の安国寺等の分領地があった。   高城城(八田城):主郭東のの堀切 鎌倉時代に既に築かれていたとも云われる高城... ...続きを見る

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2013/06/02 20:48
高城城2 高城城砦群
綾部市北部のJR舞鶴線とR27号沿い・舞鶴若狭自動車道の綾部ジャンクション周辺の東八田・西八田・上八田地区が荘園:八田(やだ)郷。室町時代には其の中に本郷&lt;上杉氏領&gt;・上村(七百石町・上八田町&lt;安国寺領&gt;)・高槻保等が上杉氏(足利高氏の執事・関東管領で山内家の租)や安国寺等の分領地があった。   高城城(八田城):主郭東切岸下部の二重土橋と大堀切 安国寺に近いJR舞鶴線の梅迫駅西麓に丘陵裾を延ばす尾根を辿ると高城山(標高299m)に至る。此の山頂部一帯には南北朝期:正... ...続きを見る

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2013/05/31 08:08
高城城1 綾部三大山城
京都府綾部市の綾部三大山城の一つとして高津城(八幡山城)と鴻ヶ嶽城(甲ヶ岳城)が挙げられる様ですが、もう一つは…?何処だろう。綾部市と福知山市の一部は旧何鹿(いかるが)郡に国人領主:大槻氏が勢力を張っています。大槻氏は正慶元年(元弘2年1332)大槻左馬頭(右馬頭)清宗が足利尊氏に従い、何鹿郡・天田郡の地頭として入部し綾部北部の高城山に城を築いたと云われます。  府道484号から島萬神社と坊主山城・高城山(高城城)を望む 綾部北西部には鎌倉時代:上原氏が何鹿郡の地頭として入部し、細川政元の家... ...続きを見る

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2013/05/29 23:46
越方城 南丹
京都府南丹市園部町の大戸城(片山城)から桂川(大堰川)に架かる川辺大橋を渡ると府道25号線に出る。此の府道の南に佐切城(B)が在り、左折して北方へ約700mほど・越方(おちかた)集落に向かう丘陵上に送電線鉄塔の建つ山上部に越方城が在りました。   見張り台?(山上鉄塔付近)から眼下の府道・桂川流域と大戸城(正面)を望む 蜷川氏の現地代官:片山氏の大戸城 (片山城)と共に、桂川の通舟と府道25号線沿いに南へは八木町・亀岡市へ、北へは日吉町や船井郡京丹波町へ通じる要衝の街道監視に当たった、高屋の... ...続きを見る

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2013/05/25 05:41
佐切城 南丹
南丹市園部町にある佐切城は京都府の埋蔵文化財分布地図をみると、細ヶ谷を挟んで東には284mピークから西へ桂川(大堰川)沿いの走る府道25号線沿いの尾根筋に佐切城A支群が在る。八木町との町界に位置して字名:城ヶ谷にあり、此方が主城郭だろうか?。   主郭切岸下東西を取巻く帯曲輪 佐切城B支群が府道25号線佐切集落内の直ぐ側にあり、府道脇の取付き地点には広い駐車スペースもある。桂川を挟んで西方約7-800m程:武尾神社背後の丘陵上には大戸城(片山城)が在り、訪城の後に佐切城の存在を知り、前... ...続きを見る

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2013/05/23 20:24
諏訪山城 南丹
今年3月末に南丹市八木町の西田・刑部・北広瀬・新庄の各城跡を訪ねた後、園部町の藁無城にも再訪してきた。以前にレポートはHPにアップ済みだが画像が古いので差替えたが、藁無城では肝心の石積み遺構写真が無く・今回再々訪により先日リニューアル・アップしたが、其の際:府道19号線藁無城への分岐・六蔵前三差路から、諏訪山城の在る丘陵山麓周辺を歩いて・目星を付けたルートで訪城してきた。    二ノ丸!!の一文字土塁 諏訪山城へは藁無城登城目標地点の林松寺・治宮神社への府道19号線六蔵前の分岐から府道沿い北... ...続きを見る

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2013/05/22 06:52
藁無城 南丹
南丹市の八木から園部へ桂川沿いは先に野条城と畑中城を探索後、府道25号線を北上してJR山陰本線:船岡駅側からJRガードを潜り府道19号線に合流する付近、藁無の集落側に露岩累々の荒々しい山容の、いかにも城山を思わせる山が正面に立ちはだかります。    藁無城主郭南:腰曲輪の石積み 城址としてノーマークで未調査・未訪ですが私の近畿の山城(京都丹波)リストに記載の万躰山城(稾無高山城)が此の山上部に在るのかも?。この山に比して、冨士型の優しい山容の山が丘陵西側に見えてきます。この山(点名:松尾 4... ...続きを見る

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2013/05/20 07:29
畑中城 南丹
R9号線の”吉富”交差点を東へ・府道408号が城山新庄城北麓を廻り込み船井神社前を通り、府道25号線の”室橋”で交差する。畑中城へは府道408号を直進する。城山「新庄城」の東山麓に文覚池があり、東南斜向いの丘陵上には野条城が、野条城からは府道408号を挟んだ東北方に畑中城が在りました。   畑中城:北端曲輪のコの字状低土塁? 新庄城の東・野条城の東方と北方・畑中城の南に面する舟枝・野条・室橋一帯は圃場整備による遺跡調査により、弥生時代から奈良時代へと古くより利用されてきた土地は平安時代には後... ...続きを見る

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2013/05/17 21:36
野条城 南丹
先月(4月)南丹市の新庄城を訪れた際、取付き点の文覚池や船井神社について調べてみて、新庄・室橋・野条一帯が圃場整備による遺跡調査(平成10年?)が実施され、弥生時代の土器や灌漑の為大規模な用水路跡や、奈良時代-平安時代の掘立柱建物跡や柵列・土坑・溝・土師器や須恵器が出土しており、古くより利用されてきた土地。    野条城は地滑り防止工事中の左上部(中央は府道25号) 平安時代:承安4年(1174)に成立した後白河院・法華寺領の吉富荘、其の後:後白河院から神護寺に寄進され、神護寺を再興した文覚... ...続きを見る

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2013/05/16 20:33
高峰城(粟賀城) 神崎郡 
T氏を生野古城へ案内して朝来市へ向かう途中・多可郡から高坂トンネル越えで神崎郡粟賀へ降りてきた際に指呼した高峰城(粟賀城)へは、生野古城訪城後の帰路に寄ってみた。此処も7-8年ぶりの再訪。 ...続きを見る

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2013/05/15 08:03
生野古城 U
生野古城へは8−9年前・登山目的で生野町口銀谷の生野義挙碑の前から寺町の教徳寺の立ち寄りながら”びわの丸公園”から古城山&#12316;太盛山&#12316;釜床山へと縦走したことがある。山城に少し興味をもち始めた頃だったので、登り着いたV郭やU郭は下草藪に覆われ、荒れた曲輪内を足探りで主郭に向かった。それでも気になるU郭西面切岸の下草藪を払い石垣跡を見つけた。   生野古城主郭南面切岸の石積 登山口から荒れた登山道は有ったが城や登山で訪れる人は稀だたかも。今回の再訪でも登山者は少ない様だが... ...続きを見る

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2013/05/12 22:00
生野古城T
但馬:朝来市の生野町は丹波市や北播磨の多可郡・神崎郡との境に位置しており、生野峠(真弓峠)では但馬:山名氏VS播磨・赤松氏による宿命のライバルによる合戦場ともなった。嘉吉の乱(1441年)には峠に布陣した赤松(赤松満祐の弟:義雅)軍を幕府追討軍の山名(宗全)持豊が追い返し、反対に播磨に侵攻した。後:文明15年(1483)赤松政則が但馬へ侵攻の際も山名氏勢に攻められ、赤松軍は敗走・播磨側へ退却します。   生野城V郭の虎口を入ったU郭側切岸の石垣跡 生野城は生野峠(真弓峠)を越えて侵攻してくる... ...続きを見る

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2013/05/11 22:51
首里城 沖縄
琉球赤瓦屋根・鮮やかに天然の漆が塗られた柱や壁が朱に染まる絢爛豪華な正殿は、日本唯一の朱(あか)い城。沖縄では最大級の木造建築の首里城は、琉球王国の表舞台。   守禮之邦(礼節を重んじる国である)扁額の守礼門 ...続きを見る

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2013/05/07 09:50
中城城 沖縄
中城城は沖縄東海岸中部:太平洋を望む東に中城湾 ・東シナ海を望む西に勝連半島や知念半島を見渡す標高167mの石灰岩丘陵の東崖縁を天然の要害として立地している。中城城の創築年代は定かでないが14世紀中庸頃まで先中城按司【城主等資料もなく、此処では護佐丸以前の按司(領主!?)】により基礎が築かれ、中山の尚巴志による三山統一まで続き大手側の主要郭が築かれた。   城壁と石塁の曲線が美しい!!二の曲輪と一の曲輪(主郭)の城壁とアーチ門 ...続きを見る

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2013/05/03 10:18
勝連城 沖縄
勝連城は沖縄中部東海岸の北は金武湾 ・南は中城湾に面した勝連半島(与勝半島)の南の付け根付近にある。 ...続きを見る

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2013/04/29 22:48
座喜味城 沖縄
沖縄中部西海岸の名勝:残波岬に近い読谷村の東シナ海を臨むリゾート、某ホテル直ぐ側の教会からは、前方は足下から?見渡す限りの碧い海。前夜からの雨は式・披露宴の後もズッと降り続く。雨でも何処かへ…と御多分に漏れず前日の今帰仁城近…美ら海水族館へ昨日の国道筋を通って行ってみる。  前方に沖縄中部西海岸の砂浜と東シナ海が拡がる某ホテルの挙式場:チャペル  さて翌日は昼過ぎに空港で落ち合うまで自由… 某ホテルからサトウキビ畑を抜け…最寄りの座喜味城(読谷山城)へ向かう。前郭・主郭の二郭から成る中規... ...続きを見る

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2013/04/26 20:23
今帰仁城 沖縄
夢のよう? 初めて?近畿圏外の貴重な城廻り経験が出来た!!…が単に遊びで行くわけではない!!…と自由時間が余りとれず・しかも沖縄では珍しい!!?朝から深夜まで降り続く雨の一日を挟さみ、おまけに?車・道路等の交通事情では時間ばかりとられて計画通りには捗らなかったが、疲れ気味の妻君を騙し騙しそれでも…ユネスコ登録の世界遺産「琉球王国のグスク関連9資産」のうち沖縄の城(グ_スク)城5城と首里城公園に入れば自然と目前を通る「園比屋武御嶽石門」を訪れたが、公園内の王陵・近隣の識名園に寄れなかったのが心残... ...続きを見る

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2013/04/24 20:42
後谷西砦 丹波
黒井城主:荻野(赤井)直正【幼名:才丸】は荻野十八人衆と呼ばれた武家集団:荻野氏の本拠朝日城の盟主にと乞われ養子に迎えられた。其の後の勇猛と軍を収束し躍進するリーダーとしての手腕は此処で語る必要もないほどに知られます。 後谷西砦?の連続する古墳墳丘部は切岸のない曲輪状 此の才丸こと荻野(赤井)直正の父が後谷城主赤井時家で、其の父:赤井伊賀守忠家が赤井一族の本拠として赤井野に築いた後谷城(後屋城)は現在の白山神社境内に遺る本殿前の空掘と大土塁に囲まれた内部で、車道や(わんぱく?)子供広場横か... ...続きを見る

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2013/04/20 21:57
後谷山城南郭
  後谷山城:西尾根曲輪のヒカゲツツジとミツバツツジ? 後谷城(後谷館・赤井館・下野城)の”詰め城”として白山山頂部:白山神社跡地が後谷山城の主郭とされている様ですが、黒井城落城により荻野・赤井始め丹波の国人は悉く滅亡・敗走した後:白山城址には文禄元年(1592)白山神社が奉斉されたが、造成に因るものか往時の城遺構は曖昧になっています。    低土塁を廻す後谷山城南曲輪(三角点峰) ...続きを見る

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2013/04/18 22:12
後谷城:二人の赤井忠家 
標高僅か95mで日本列島を南北に分ける日本一低い谷中分水界「水分れ」は加古川水系が瀬戸内へ、竹田川の由良川水系は日本海へと流れ出る。山間に挟まれた丹波市付近の流域低地帯を氷上回廊と呼ばれます。春には加古川流域の河口付近から小野市・西脇市を丹波市に入り氷上町から青垣町へ、氷上町から春日・市島町へと続く河川沿いに桜を植樹した花回廊が延々と花のトンネルを形成していきます。      白山を背に赤井伊賀守忠家の墓碑が立つ 水分れ公園から西方に開く氷上盆地には南方の高見城から高度を落としながら延び出す... ...続きを見る

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2013/04/17 21:22
新庄城 南丹
新庄城へは先のブログ船井神社から文覚池に出て、堰堤防を渡った対岸の農作業小屋からの山道を辿ってみた。新庄城主郭から南郭への尾根中間部の堀切のある鞍部を目指す方が良いのかも…?     文覚池付近からの新庄城(主郭) 鹿猪除けフエンスを開閉して続く山道は直ぐ落葉で隠れる程に、しかも急登で足を取られ滑る。主郭から船井神社側へ落ちる東尾根側に、土塁が曲輪の南半分を囲む東曲輪に詰め上がる。東尾根先端の緩斜面にも出曲輪がある。東曲輪に戻ると一段高く露岩を抱く大土塁があり、北側を回り込む曲輪先の見上げ... ...続きを見る

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2013/04/12 07:36
北広瀬城 南丹
R477号線沿いに西田バス停南側の大日寺から向かった西田城…北へは三俣川を渡った住吉神社側からは多国山の尾根上に展開する?城址遺構が残る刑部(おさべ)城へと、三俣川を挟んで呼応したと思われる古いタイプの山城を廻って住吉神社近くの駐車スペースへ戻ってきた。   三俣川から住吉神社の杜と宮山の北広瀬城を遠望 水溜も無いコンクリート川床の三俣川ですが、住吉神社を直ぐ下方に見る川沿いは、200m程だが桜並木とカラー歩道の河川公園。堤防沿い桜並木の先・田圃の中に鎮まる住吉神社の西方に低丘陵・宮山の姿が... ...続きを見る

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2013/04/09 20:26
刑部城 南丹
南丹市のJR山陰本線八木駅からR9号(山陰道)を越え桂川に架かる大堰橋を渡り東へR477号線を進むと京都市右京区嵯峨越…に向かう。八木町・京北町・亀岡市千歳町との境界が入り混む。R477号線が桂川の大堰橋を渡る付近へは、R477号沿いの三俣川を挟んだ南側に西田城・北側には高低差の少ない多国山(東西およそ550m・南北およそ250m程)で稜上は長いテーブル状を呈した独立低丘陵がある。東西に延びる緩斜な丘陵尾根の東端から西端にかけて刑部城の城遺構が点在する?。 住吉橋近くからの多国山(最高所が刑部... ...続きを見る

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2013/04/08 21:50
西田城 南丹
篠山市からR372号(京街道)を福住・安口(はだかす)から天引峠を越えれば南丹市に入る。南丹市八木町の多国山(刑部城)周辺の山城を目指すが、東本梅町宮前から府道73号を千代川へ進むコースは既に亀岡市。未だに南丹市と亀岡市の区別!!?・境界がよくわからないが、2006年に船井郡園部町・八木町・日吉町、北桑田郡美山町が合併して誕生したのが南丹市。   西田城:主郭の金毘羅神社と南面の腰曲輪(南丸?・僅かな段差もあるが) 京都縦貫自動車道の千代川ICを潜り、JR山陰線を越えR9号線は以前八木城へ向... ...続きを見る

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2013/04/07 09:21
後谷山城(仮称)  丹波市
白山(赤城山)山頂には赤井氏の守護神:白山権現を祀る白山神社跡が、石垣・石積・祠の石礎檀や石燈篭を遺して残っている。もと後谷山城の主郭跡と思われ:高城とも上ノ城とも呼ばれ、旧名の赤城山は”赤井氏の城”の意味なのかも!!?。創建時の白山神社は山上から再び現在の白山山麓に遷移されている。赤井氏発祥の地に鎮座する白山神社社殿の建つ位置が後谷城(後屋城)主郭部の後谷館・赤井館で、下ノ城とも呼べる赤井氏の居館。典型的な居館(下ノ城)と詰め城(上ノ城・高城)セットの構成ですが、県遺跡分布図等資料に後谷城(居... ...続きを見る

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2013/04/04 20:30
後谷東砦(仮称)
赤井氏発祥の地・赤井野の谷村・新郷には白山(赤城山)山麓に、鎌倉時代・建保3年(1215)井上九郎為家が栗住野城(青垣町)から新郷に移って芦田姓から赤井姓を名乗り、天正7年(1579)丹波攻め:明智光秀の援軍として攻め寄せた丹羽長秀・羽柴秀長の連合軍による攻撃に穂壷城 ・保月城(黒井城)と共に落城するまで、約360年に渉る戦乱期を耐え・生き抜いてきた国人:赤井氏一族の本拠地が在った。      後谷東砦:主郭と帯曲輪 為家から9代目の赤井伊賀守忠家から時家・家清・五郎忠家へと4代続いた赤井一... ...続きを見る

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2013/04/03 20:37
後谷城(後屋城) 丹波市
R175号線を加古川(旧佐治川)沿いに走る氷上回廊は、今:河川堤防沿いは桜廻廊として淡いピンクの帯びとなって続く。佐野から萱刈坂を越え鴨野(高見城下)から柏原町方面に向かう分岐・稲畑の錦橋交差点付近からは、露岩を魅せる堂々の弘浪山と白山の姿が望めます。左折して錦橋【親柱に描かれているのが稲畑土人形で伏見人形の流れを汲む赤井練人形で知られる】を渡り県道109号に向かう正面の白山山麓付近が赤井野と呼ばれた谷村・後屋・沼貫・新郷等の地に赤井氏が居館後谷城(後屋城)を構えたとされます。   後谷城(... ...続きを見る

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2013/04/02 20:54
高山寺城 丹波
弘浪山の山頂直下の山腹に、平平宝字元年(757)法道仙人の開基を伝え、仁平3年(1153)源平の兵乱により焼失。平安時代末期:文治5年(1189)源頼朝の命により東大寺の俊乗坊重源上人により再興された古刹高山寺は、源平・南北朝や元亀・天正の兵乱と…・度重なる戦乱の兵火に遭い焼失・再建を繰り返しているが、建保 ・承久年間(1213-21)関東から荻野一族が来住すると、土豪や足利氏との交戦に要害の地にある高山寺は全山が城郭化された高山寺城として度々戦場ともなります。    高山寺跡(仁王門・本堂へ... ...続きを見る

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2013/03/31 19:30
蟲生城U 西脇
蟲生城は以前のブログでも紹介済ですが再度… 福地の村上氏は応永年間(1394-1428)九条家から黒田荘内に采地を与えられて下国した村上霜台が播磨守護職・赤松氏の被官となり、応永26年(1419)村上盛弘が黒田荘を20貫文で九条家から代官請けしています。 播磨・備前・美作の三国守護:赤松万祐が室町幕府6代将軍:足利義教を暗殺した嘉吉の乱(1441)に敗れて、没落した赤松家の再興を願う赤松氏の遺臣(赤松浪人)等が、奥吉野の後南朝の行宮を襲い皇胤:自天王・忠義王の兄弟を討ち、神璽を奪い返した長禄... ...続きを見る

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2013/03/06 21:22
蟲生城館 西脇
フォルクスガーデン黒田庄のNa-Syaで妻が此の日午後からの”うたごえ喫茶”を楽しんでいる間の時間調整。近くの福谷公園から桂松山城に寄った。桂松山城から望む南側の福地集落内の低丘陵上に稲荷神社の祠が見える。 ...続きを見る

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2013/03/05 19:24
桂松山城 西脇
R175号線の西脇市黒田庄町で多可郡中区へ向かう中央橋交差点を右折・加古川を渡り県道174号・県道294号を南へ走ると車窓に白山&#12316;妙見山へ延びる山稜に露岩を見せる山頂部が望まれる。二つの山を繋ぎ南西に延びる尾根を結び南山から友尾山城まで完全縦走も出来るが、普通!!?登山者は秋谷池からフォルクスガーデンへ下山されるでしょう。    福谷池と岡福谷古墳 時々立寄るフォルクスガーデンNa-Sya の直ぐ近く:岡の福谷公園に向かう。JR黒田庄駅の真東約700m程に福谷池がある。大概は「... ...続きを見る

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2013/03/04 20:28
味間南城 篠山
JR篠山口駅前から国道176号線の北正面に住吉台の丘陵を見て、西に回り込むように走ると国道は西側丘陵との間を抜ける位置に”丹波茶の里・大国寺”の案内板が立つ西古佐の三叉路。左折して西脇市に抜ける県道36号に入るコーナー北の丘陵上の火燈し山に平井山城が有り、更に山裾通って5〜600m先・味間北の集落入口北方の集落内の低丘陵部には味間北城が在る。    墓地背後の土塁・空掘 味間谷の中央部を住吉川が流れており、味間北城と平井山城の間:南方には松尾山(高仙寺城)&#12316;白髪岳の山並みを望む... ...続きを見る

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2013/02/24 09:18
平井山城 U
篠山市味間地区については、前のブログで少し紹介していますが、八上城主:波多野秀治の遺児・甚蔵が八上落城の際:乳母の里:味間に逃れた後…篠山藩主松平忠国に仕え、味間・黒石・市原等7ヶ村の代官となり、味間には波多野甚蔵屋敷の長屋門が遺るが、殊にR176号線から県道36号を味間地区に入る分岐点付近から味間北城の北方に入り込む谷間の三釈迦山・里見山山麓一帯から田圃の中にも数多くの古墳が点在する。   平井山城:主郭と東面の切岸 過去に紹介済の平井山城(西古佐小屋床・西古佐城)も山麓から火ともし山山頂... ...続きを見る

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2013/02/22 22:21
味間北城 篠山
丹波栗・丹波黒(大豆)・丹波大納言(小豆)、名を記さなくともブランドの猪肉・松茸等、丹波特産品のなかでも大化年間(645〜650)より伝わり其の魁となった丹波茶が静岡茶・宇治茶の名に霞んで知名度を失っているようです。しかし品種改良が進められ丹波霧の里で栽培される三田の母子(もうし)や味間の里に代表される丹波茶の方が高級茶葉となる要素は大きく、県下の主産地として良質の丹波の茶所は大国寺【国宝は無いが篠山市内の仏像で重文の1/3は此処に安置されている】を中心に例年”丹波茶まつり(ページ内下方ブログは... ...続きを見る

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2013/02/21 21:13
大沢城 篠山市
北近畿・舞鶴若狭自動車道の篠山ICを出てR176号に出る手前・JR福知山線を跨ぐ県道94号陸橋を越えると正面にコンクリートで固めて切立つ断崖から南へ延び上がる低丘陵尾根が見える。其処が佐幾山城が在った処。JR篠山口駅とはR176号線を挟んで西に三角オニギリ状の山容を見せるのが禄庄城。此の二つの山城は先のブログで紹介済ですね。   大沢城主郭東尾根の切岸と僅かに堀切?形状。片堀切がある 禄庄城から南へ延びる尾根筋が西方へ方向を変える尾根上には大沢城が在りました。これ等の山城の築城主を初田酒井氏... ...続きを見る

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2013/02/18 23:22
禄庄城 篠山市
篠山口駅から歩いて廻れる歴史と自然のハイキング道「大沢ロマンの森」があります。酒井党については先のブログ「佐幾山城に触れていますので参照してください。八幡神社がスタート地点で禄庄城・大沢城の縄張図と簡単な説明板が立てられています。    八幡神社からスタート(正面登山道) R176号を挟んだJR篠山口駅から間近の丘陵上には、同心円状に曲輪を重ねる輪郭式構造をもつ禄庄城が在り、尾根続き南には初田酒井党の主城で若き城将:酒井勘四郎が護る大沢城、そして味間へ抜けるバイパス道路拡張工事かと思っていた... ...続きを見る

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2013/02/16 22:18
佐幾山城 篠山
三田市からR176号で市境界の日出坂を越篠山市に入ると、R372号線(デカンショ街道・京都街道)に沿っての要衝を波多野氏の被官・酒井佐渡守重貞が居城した油井城をはじめとして(古森・油井・波賀野・栗栖野・当野・矢代 ・初田…等)酒井党【鎌倉時代:承久の乱(1221)の功績で、相模国(神奈川県)大住郡酒井郷?の豪族:酒井氏が地頭職・公文職を与えられて多紀の地に来住したのが始】一族の武士団が、摂津(阪神・三田方面から西国街道を繋ぐ)・東播磨(小野・社への山陽道を繋ぐ京街道)への玄関口を守備しています。... ...続きを見る

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2013/02/15 22:33
木器城 三田市
JR新三田駅から有馬富士公園前を通り志手原はら県道37号線に入る。羽束川沿いを北上する高平地区の玄関口・下槻瀬の蓮華寺手前で、大坂峠を越え猪名川町に向かう県道323号線への三叉路。左折する323号線の南側丘陵上が木器(こうづき)城です。   木器城:主郭北斜面下の小曲輪からの切岸 点名:城山U(4等三角点 245m)に主郭を置く木器城は独立する独立丘陵部の東を南北に羽束川が自然の水濠となって流れ、城の北側・県道323号線が猪名川・宝塚北部方面から大坂峠を越えて東西に、南側は県道68号線が川西... ...続きを見る

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2013/02/13 20:44
酒井北砦 三田
高売布神社前から地区道を北へ進むと酒井公民館前交差点を右折すると羽束川を渡り県道37号線酒井・十倉側へ向かう。酒井北砦は酒井公民館前を北へ直進すると北西方から延び出す低丘陵尾根末端が地区道に落ち込み。地区道が此の山裾を回り込み進む上方だが、手前左手から民家で行き止まりか?。    友松寺山門(酒井北砦への取付点) 其れとも林道になるのか?と思える様な山手に向かう幅狭い車道を進む。案内標識等は無い?が友松寺(曹洞宗)に向かう参道。山門に向かう石段参道には春には見事な花の門になるだろう桜木が立つ... ...続きを見る

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2013/02/12 14:50
高売布神社と酒井砦  三田市
木器(こうづき)から後川(しつかわ)へと羽束川沿いに遡る高平地区に上瀬瀬砦・十倉城へと里山ハイク・山城を巡るが、高平地区の南玄関口の京・摂津・丹波・播磨を結ぶ要衝の地点に木器城は在るが北進する県道37号線は小柿からは山越で後川へ抜ける間道。多田氏の庄園領地に属し、源満仲の嫡孫:福田陸奥守(源)ョ遠が平安中期に領主として入っている。福田氏が十倉城主:森本氏の子孫と云われるが、高平地区内には他姓の小領主や代官名は不詳で、十倉城の城砦群の一つと思える?木器城に定かではないが光月氏?…の名がある以外は不... ...続きを見る

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2013/02/11 18:50
川原砦 三田市
羽束川に沿って県道37号線を北上・大船山の裾を走り、右手に観福寺の茅葺山門が見える県道507号(島・川原線)分岐の先・低丘陵部先端が県道に落ち込む側を通って高平ふるさと交流センタに着きます。交流センタの裏山一帯は「観福の森」として(H11年5月)里山のハイキングコースが整備されています。  川原砦:金毘羅宮は出曲輪!!? 十倉城:Tブログに記した観福寺背後の半独立低丘陵部の山頂:堂山に主郭を置く川原砦がありました。先の県道507号線は昔:紅葉の新名所?として知られるようになっていた方広寺(黄... ...続きを見る

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2013/02/09 21:08
十倉城U 三田
大船山山系の西山麓・羽束川沿いの高平地区を南北に県道37号(三田・後川上線)が走る。高平地区は”三田米”とりわけ特産の「もち米」産地で上槻瀬砦に在る”高平ナナマツの森”里山コースの基点「つくしの里」は名物の”もち処”が幟旗にも記されるトレードマーク。    十倉城:自然石を切岸の三ノ丸(西曲輪)と帯曲輪 更に北上する「高平ふるさと交流センター」を基点の「観福の森」里山コースがあり、丘陵部南麓には観福寺が在り・背後の山上部には川原砦があった。大化年中(645頃)法道仙人開基を伝える真言宗の古刹... ...続きを見る

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2013/02/08 11:03
十倉城T 三田
羽束(はつか)川沿いに県道37号を北に向かう高平地区の「高平ナナマツの森」に上槻瀬砦を訪ね、更に北上する高平地区中央部にも里山ハイクの「観福の森」がある。高平地区の十倉から小柿を経て丹波篠山市の曽地・日置に通じる丹波街道筋にあたり、平安時代:多田庄に属し多田源氏の時代から開かれた文化の中心地が光明山観福寺です。孝徳天皇の大化年中(645頃)法道仙人開基を伝える真言宗の古刹は長元元年(976)大地震で伽藍が大破したが、寛和2年(986)頃より源満仲(多田源氏の祖)が伽藍を造営し鎮護国家の道場とした... ...続きを見る

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2013/02/07 09:50
上槻瀬砦 三田
R176号「新三田駅前」交差点から有馬富士公園前を通って志手原交差点に出る。直進は県道68号線で千刈ダム北を川西市方面に向かう。ダム下流はJR道場駅に出る。志手原で左折し後は県道37号を進み蓮華寺手前のT字辻で大きく北に進路をとる。右手へは羽束川を渡り宝塚市に向かう県道323号線。右手の低丘陵(比高4-50m)上には木器(こうづき)城が在るり、今日の城巡り最期”帰りの駄賃!!?”に立寄ってみるつもり・・・。    主曲輪西面切岸と堀切 此れよりは千刈ダムに流れ込む羽束(はつか)川沿いに北に向... ...続きを見る

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2013/02/05 22:42
門村構居 U
中世末期に突然?:杉原氏により築城された居館と詰め城(門村構居・笛草城)や、位置さえ不明だが地元には案内標識さえ立っていた稲草城が在る?。何故要衝でもない此の地域の中央部に立地するのか?。軍功等により領地をを賜った…経緯もなさそうですが?。  西脇市方面から多可郡に入り杉原谷を播州峠に向かうR427号線は丹波市青垣町に抜け、遠阪川沿いの旧山陰道・但馬街道を但馬:朝来市に越え和田山町…に至る。青垣町を南下すればR176号を篠山・亀岡へと京街道に繋がる。何よりも播州峠を越えた青垣町側からは林道の様な... ...続きを見る

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2013/02/04 19:51
門村構居 T
西脇市の北方・多可郡中町に出て杉原谷に沿ってR427号を北上すると案楽田で、東方には妙見山に延びる 二つの尾根が有り貝野城と尾根中程に送電線鉄塔の建つ段ノ城が有ります。妙見山から篠ヶ峰続く山並みとはR427号線・杉原川沿いの平野部を挟んで、西方には遥かに高く優美な姿の千ヶ峰が姿をあらわしてきます。千ヶ峰&#12316;マタニ山〜三国山へ神埼・朝来・多可の郡境尾根となって播州峠で篠ヶ峰から竜ヶ岳の稜線につながります。 ...続きを見る

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2013/02/02 22:11
鍋倉城 丹波市
山田川が篠山川に流れ出る東側丘陵部にあり、JR谷川駅の東南方向に東山(鍋倉山4等三角点459m)がスッキリした綺麗な山容を見せています。北麓を県道77号線(旧山陰道)が走り、篠山川を挟んだ北方には西から玉巻城(久下城)・JR谷川駅裏手の丘陵上に池ノ谷主計屋敷・大河城・西山城…・が横一列に並びます。   東山三角点峰東鞍部の土塁曲輪 ...続きを見る

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2013/01/30 19:16
西山城 丹波市
先のブログ:大河の嫁ヶ橋(丹波のむかしばなし:にも集録されている)の北向の丘陵上には大河城が在り、黒鼠子佐渡守屋敷が其の西麓に在った。鬱蒼とした薄暗い杉林の中に在ったが、今は砂防堰堤上の河原の端になったが、国相守神社旧跡の石碑だけが残る。移遷された国相守神社は大歳神社・高座神社境内に合祀されています。此の大河城とは北太田川を挟んだ東側の丘陵末端部に位置して呼応する西山城が在りました。 北太田川を詰め上がると方井寺跡で、柏原町との境界尾根を北へ降れば九十九折れの旧県道86号の峠に繋がる。久下城(... ...続きを見る

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2013/01/29 08:22
小山城 三田市
R176号線の広野「上井沢交差点」で東へ・県道308号に入り千丈寺湖(青野ダム)に向かいます。末の末吉橋が見えてくる手前で青野ダム・青野記念館の標識を見て公園内の駐車スペースに車を寄せます。此処 「青野ダム記念館」には発掘調査により 出土した須恵器や須恵質の陶棺【昭和26年:青野川右岸台地・東山の古墳から出土している(県指定文化財)】などが常時展示されているので、古墳フアンならビギナー・マニアを問わず必見です。   土橋付堀切 ...続きを見る

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2013/01/25 19:05
鳥山城 三田市
本庄丸山城を降りて、本庄小学校から県道309号を西へ:R176号「四ツ辻」交差点に戻る手前・東本庄付近から南下。井ノ草地区を抜けてR176号線の長坂に繋ぐ地区道に入る。南北に流れる武庫川が井ノ草地区の西から南へと囲こい、天然の濠を形成する要害の地…?    地区道を挟む地区内の左右には多少の起伏は有っても圃場整備された大地が拡がっているだけの土地?ですが、此処に鳥山城(別称に井草城・猪ノ草城・中村城・烏山城)が在りました。 井ノ草天満宮は享禄2年(1529)鳥山城主中村広忠入道信斎が社... ...続きを見る

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2013/01/23 08:33
本庄丸山城と森鼻居館 三田市
蛇行して南北に流れる武庫川流域の中でも極端に屈曲する所、穴口山山塊に突き当たって東へと流れを変える所には堀氏の曲り城が、穴口山山上には三田攻めの秀吉軍に落ちた姫の落城伝説が残る穴口城がありました。   丸山城:主郭西面の切岸 R176号は武庫川を跨ぐ波田橋を渡り、穴口山山塊から東へ延びる鞍部の峠を越えて南側の”四ツ辻”交差点で県道309号と交差する。此の峠から須磨田三山を巡る低丘陵尾根が東へ延びる。武庫川は此の丘陵裾を縫って流れ丘陵東先端を回り込んで再び南へ流れを変える東本庄付近。 ...続きを見る

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2013/01/22 08:50
千ヶ坂城  三田
JR福知山線の広野駅を出ると、武庫川沿いの田園地帯の中を、ただ一直線に汽車は三田駅に向かっていた。其の中間部に新三田駅が出来たのは、車移動が主となって国鉄(JR)利用が遠のいた45年以上前?頃だったか!!?。三田駅から北方へ丹波街道(R176号)をはしっていると、新三田手前で川除・大原を通過するが、大原交差点に”青原寺”の表示版を見る。   千ヶ坂城の低土塁(70‐100cm程) 青原寺方向へ右折して直ぐ:民家側・田圃に裾を落とす竹藪の低丘陵が大原城。城址の主郭に祀られる姫山神社には、文永(... ...続きを見る

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2013/01/16 21:27
大原城 三田市
有馬富士公園に向かう県道570号と交差する「新三田駅前交差点」を南へ直進するR176号線沿い・「三田工業団地前」交差点を左折(東)すると田圃の先に大原邸(お屋敷を店舗とした食事処:がんこ三田の里)が在る。当ブログ内での”食事&喫茶”カテゴリでは紹介していませんが何度かは利用した。大原邸並びに鎮まる大歳神社からは、背後の丘陵上に在る天神ノ尾城をブログでも紹介していますが、周辺の城砦遺構に肝心の大原城が未だ未紹介!!でした。   大原城の主郭(左端竹薮)・東郭(竹薮中央・二ノ丸?)・三ノ丸?(畑・... ...続きを見る

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2013/01/15 21:24
中村構居 多可
先のブログ紹介の”あまんじゃこの長石”むかし話に登場する二つの山の一つが丘山(岡山)です。此の”奥中の長石”とR427号線を挟んで東向かいに位置する独立低丘陵が丘山で、山上部には単郭の中村構居が在りました。   西面に3‐4mの切岸を落とす中村構居 以前にはまだ建てられていなかったモニュメントの”奥中の長石”からではなく、目の前の小さな峠を越えた北側:杉原川沿いに中町の情報発信基地アスパル・中町中央公園から、中町健康福祉センタ・日赤病院に向うい、日赤橋を渡り南方の中町中学校裏手の車道を進んで... ...続きを見る

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2013/01/13 20:55
金水寺城<仮称>
丹波市山南町側から奥野々峠(県道86号)を越えてR176(旧山陰道)に合流する下小倉地区に下ってくる。武蔵7党に属した豪族・久下氏は源頼朝の挙兵に”一番”に駆けつけた事で名を挙げ、承久3年(1221)丹波栗作郷(丹波市山南町上久下・久下地区)の地頭として来住し、足利尊氏:篠村八幡宮の旗揚げの際にも「一番」を旗印に一番に駆けつけたことは良く知られます。   主郭尾根筋の土橋付き堀切は8m程で折れて竪堀で落ちる ...続きを見る

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2013/01/08 21:06
大部谷城 丹波
山南町側から県道86号線が奥野々峠を越えR176号に合流する付近・下小倉地区は鐘ヶ坂を越えてくるR176号【旧山陰道】に円成寺館・円成寺城(獅子山城)が、県道側には独立低丘陵上に大部谷城が在りました。大部谷城の北西・JR福知山線側の丘陵上には、埋蔵文化財分布調査報告書には未記載の城遺構・金水寺城(仮称)が在り、二城が奥野々峠を挟んで呼応して玉巻城(久下城)の北東側玄関口を警備・監視したものか?。諸城との関連や築城目的・年代・城主等の城史は何れも不明で、推測の域を出ませんが・・・・。   大部谷... ...続きを見る

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2013/01/06 19:17
小南山城 丹波
丹波の森公苑の北西方に穏やかな丘のような山が見える。登山対象は正面の譲葉山や清水山に譲っても、手近な散策登山道があり、柏原町の中心街を直近に見下ろす。柏原八幡社の杜に三重の塔が見える。八幡山城が在ったところで此処:小南山も低丘陵だが主郭ぶから北二方向に延びる尾根上の広範囲に曲輪段・出曲輪を遺す小南山城址。     小南山山頂 正面奥・主郭 仁木氏・久下氏・赤井氏と時代と共に城主や大手筋を変えながら城域を拡張・改修され、黒井城支城として存在した高見城の城砦群だったか?。八幡山城が黒井城攻略の明... ...続きを見る

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2013/01/05 20:03
山ノ神城 丹波
嘉暦2年(1327)築城の丹波では最も古い城であり、丹波守護職・仁木頼章が拠った 高見城(佐野城)は展望の良さから登山対象の山としての人気もあり、何度となく ”丹波悠々の森”の公園施設入口等から高見城へ向かったものです。悠々の森入口に広い駐車場からは、左手側には古墳群の間を悠々の森の公園施設に向かう車道と、右手正面には仁木頼章の墓がある三宝寺への入口となる。左手にベルピーマンへの営業中・入口を示すサインボードが林の中の道を示す。南へ直進する道が丘陵尾根を山南町側へ越える県道291号線ですが、徒歩... ...続きを見る

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2012/12/31 13:58
東鴨野城 U
南北朝期:加古川沿いの氷上回廊に面した西麓の佐野を大手とした高見城は「太平記」に佐野城とも呼ばれ、[観応の攪乱]後の直冬(高氏の庶子)が高氏がを討つため呼びかけ参軍する但馬・山名時氏が京に攻め上る為・高見城下を通過する際、丹波守護:仁木ョ章は一矢も酬い見過ごした。仁木氏は既に南朝方へ傾倒していたのか?、仁木氏は二代で衰退・山名氏が丹波守護となると玉巻城(山南町)の久下時重を守護代として高見城の置くが、やがて…応仁の乱後は新勢力:赤井氏(氷上町)の城として北麓の鴨野・大新屋を大手として改修されてい... ...続きを見る

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2012/12/26 22:21
東鴨野城 T
京を追われた足利高氏が二度までも久下氏を頼り逃れた石龕寺(丹波の紅葉三山)から岩屋山(石龕寺城)&#12316;石戸山(ふるさと兵庫100山だったが・・・今は?)&#12316;高見城山&#12316;悠々の森へと縦走登山コースがある。石戸山から南へ延びる尾根先(篠山川を望むJR谷川駅近く)には久下氏の拠城:玉巻城が在る。石戸山から鉄平石採石場跡?の”賽の河原”を抜け送電線鉄塔のピークに向かう。  東鴨野城域(尾根筋東末端)の曲輪 ...続きを見る

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2012/12/25 20:21
行者山砦 丹波
猪ノ口山山頂の本丸を中心にして、三方に広がる尾根上に西太鼓の段・百間馬場・東山砦・的場砦等、丘陵尾根の末端にまで数多くの城砦を築き、全山を要塞化した一大山城の黒井城。石垣の本丸・土塁と土橋付き大掘切を遺す土の城の西の丸・尾根続きに尖峰を見せる千丈砦から南へ突出す尾根先には兵主西砦が在る。 黒井山称名寺背後の行者山砦 ...続きを見る

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2012/12/08 00:14
岩洲城 朝来市
天誅組みの大和義挙に呼応し、但馬でも一足早い”勤皇の志士達”が挙兵し、幕府領となっていた旧朝来郡官吏の代官による年貢等取立てに苦しむ民衆の為に立ち上がり、生野代官所を農民達と襲った”生野の変”ですが、既に天誅組は敗れており、挙兵を断行した生野の志士達は、僅か3日で破陣し「妙見堂」に籠るが大挙して攻め来る幕府軍に民衆は、反対に志士達を襲い囲む。麓に降り自刃したり、討死した若き志士達の無念を閉じ、殉節忠士として祀られる山口護国神社から、妙見堂に向かう。 妙見堂背後:尾根続きの空堀(堀切と竪堀... ...続きを見る

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2012/12/05 19:13
立脇城 朝来市
物部城・木ノ内城から物部神社に戻り、旧国道(県道70号線)を播但線沿いに西へ走ると直ぐJR青倉駅前を通り、船之宮古墳(県指定文化財)の前方後円墳を見る。此処から道なりに約2km程・直進してR312号線(道の駅あさご)方面に左折する交差点を越える立脇地区に朝来中学校・朝来市役所朝来支所・図書館等が建つ。   電柱右手丘陵上に緑の反射板が見える 図書館前からは県道と朝来市役所朝来支所・朝来中学校を隔てた西側丘陵に緑色の無線施設:反射板が見える。目指す立脇城は反射板の上部・丘陵稜線の直ぐ向う側の峰... ...続きを見る

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2012/11/29 19:37
三波城 朝来市
先のブログ”天空の城撮影ポイントT”に記しているように、此の城への訪城は三波地区山林内は松茸山の為、止め山解禁を待って出掛けてきた。 ...続きを見る

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2012/11/27 08:46
木ノ内城 朝来
過日:松茸山の為入山出来ず登城を残念せざるを得なかった物部城と木ノ内城の二城が、物部神社から北に向かう作業林道・宮谷川を挟んで呼応しているのでリトライしてきた・・・・が天候には恵まれず、此の二城をナントカ制覇しただけで、意欲削がれてもう一城・物部城最後の城主:物部治政が、主君:竹田城主の太田垣朝延を護って、山内城の足羽是高らと籠った岩洲城を今回もまた残念した・・・。   木ノ内城:主郭部東端の堀切 物部城は鎌倉時代:弘長年3年(1263)物部庄地頭として来住し、地名を姓とし物部氏を名乗り子孫... ...続きを見る

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2012/11/25 21:20
物部城U 朝来
先日出掛けてきた物部城・木ノ内城は、生憎の松茸山シーズン中の”止め山”の為、城址への入山が出来無かったため、いまひとつ・天気がスッキリしないが…松茸山が開け:入山禁止が解けた本日・再訪してきた。  物部城主郭:北尾根側の切岸   前回の物部城?は播但連絡道路の白い高架橋が見えているトンネル南出口付近上部ではなく、物部八幡神社の背山で、西国ミニ霊場巡りの山道が通じる乳母山?(東屋休憩所が建つ)だった。曲輪段が有るだけで物部城の出曲輪と思えるが物見の砦としての存在価値は有りそう?。   播但連... ...続きを見る

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2012/11/24 08:44
内神城 三田市
中国道の吉川ジャンクションから・北方の篠山市方面からは、毎鶴若狭自動車道三田西ICを降りテクノパークの交差点を右折すると県道720号線に入る。三田ウッデイタウン&#12316;フラワータウンへと・・・神戸電鉄公園都市線沿いに、片側二車線の広い直線車道が続く。   内神城主郭東面の二重空堀と土塁 内神城は三田西ICを出て県道720号線に出ると約700m程で・三田物流センタのある「淡路風車の丘」交差点。此処から約300m程の緩やか坂を下りきったところ:上内神交差点で県道316号線と交差する。此の... ...続きを見る

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2012/11/17 21:24
山内城 朝来市
ホントの物部城には行き着けなかった様ですが、物部城の物部治政と山内城の足羽是高は竹田城5代城主:太田垣朝延の武将で、共に天正元年(1573)山口の岩洲城(播但連絡道路の朝来SA付近対岸の丘陵上)に籠って、播磨の赤松広秀(天正13年竹田城主となる。現状の総石垣の城は広秀が居城時期に完成したと推察されています)勢に対峙したが、攻め落とされ退却の際:物部氏は討死、山内城の足羽氏も山内に潜伏し後・帰農したと伝えられます。 山内城へは物部神社から県道70号線をJR青倉駅方へ・駅手前で東方へ左折・円山川を... ...続きを見る

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2012/11/15 21:33
物部城 朝来市
R312号線とは円山川を挟んで、JR竹田駅を発ち播磨方面へ南下する播但線が県道70号線と並走する。次の駅:青倉駅の直ぐ手前に150m程?に物部八幡神社があり、此処から北方に向かう谷間に、播但連絡道路の白い高架橋が見えている。左方の専用道路手前の丘陵部に木ノ内城、谷間を挟む右手・専用道路の奥に物部城が在った?。   山内城側から望む・・木ノ内城と播但連絡道右奥に物部城 左右の城址への取付き店を探して谷間を奥へ進む地区の作業林道?入口に、入山禁止の貼り紙がある。松茸山の止め山の為で此の時期に松茸... ...続きを見る

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2012/11/14 21:50
竹田城 朝来市
但馬:竹田城はホームページ開設した10数年来・・・・天空の城として、また干支の山:虎臥城(古城山)として紹介してきました。四季を通じての素晴らしい感動は、始秋から晩秋にかけての雲海に浮かぶ竹田城の姿でピークを迎えます。麓から僅か1時間足らずで得られる感激は、ハイカーや山城の遺構を巡る城フアンだけのものにするには惜しい・・!!?。       南千畳 雲海を見られる時期以外は余り人影を見なかった竹田城も今は昔。「天と地と」をはじめ・最近では高倉健「あなたへ」では此処でコンサートまで・・!!... ...続きを見る

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2012/10/24 22:10
観音寺城 朝来
雲海に浮かぶ竹田城の画像を、此処数年:此の時期にTVや新聞で見ない事が無い。出掛ける前日もTVのニュース番組でやっていた。しかし現状からは:山として・山城としての素晴らしさを多くの人に知ってもらえる事の功罪に心境は複雑です。日本100名城とか日本三大山城としての単に観光地!!。    竹田城:南千畳 何時も利用する寺町通り(竹田駅)側からの林道は下り専用一方通行。上りは北麓の”山城の郷”から花屋敷下の駐車場へだが早朝から既に満車。麓から空待ちの長い車列が続く。NPO法人xxxxは此処をプロポ... ...続きを見る

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2012/10/23 22:34
新町城 丹波
先日の「うまいもんフェスタと織田まつり」の時代行列の出発予定時間までには1時間ばかり余裕があり、直ぐ近くの丘陵上にある新町城を再訪してみた。 ...続きを見る

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2012/10/18 19:52
仁田城 福知山
福知山市六人部(むとべ)の大内と宮地区の間を南北に延びる低丘陵上を北近畿(舞鶴若狭)自動車道が走るが、其の丘陵部最北端の麓・丹波市市島町から福知山市六人部の土師川を渡るとR9号(山陰街道)に、県道708号線が 合流する6−700m程手前:頭上を自動車専用道が走り抜ける高架橋の側近くに一宮神社が鎮まる。 ...続きを見る

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2012/09/25 08:55
城ノ尾城館
丹波市春日町から市島町に入ると塩津峠越えで福知山市に向かうR176号線を別けて由良川源流の竹田川沿いに走り R9号(山陰道)に繋ぐ 福知山市六人部(むとべ)に向かう。右手前方に北近畿舞鶴若狭自動車道高架橋が見えてくる辺:下地の交差点を右折すると六人部郵便局:集落内の東丘陵上には前回・再訪した大内城や後正寺城館が在る。   北近畿自動車道六人部PA付近:道路公団専用道!?右手下方に城ノ尾城館が在る 此処に「芦田均先生生誕地」の大看板を見て左折し直進する西約80m程・左右に田園風景が拡がる先には... ...続きを見る

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2012/09/23 10:56
岩間城 福知山
福知山市街地の東南方:土師川流域の右岸に長田地区と向かい合う岩間地区は丹波市との府県境にあって、東方を竹田川が回り込む様に土師川に合流する田野と、西方はJR福知山線と塩津峠を越えてくるR175号(水分れ街道)が岩間口(出戸&lt;三軒茶屋&gt;)に降ってくる。   岩間城:丘陵北東側の土塁・外側に空堀!? 土師川沿い北へ進路をとって直ぐ堀地区に境する。川沿い東方に六人部七天神のうち,明治期に六ノ社と七ノ社が合祀された天神社?が鎮まる。其処から南へ500m程・低丘陵北端に建つ高浄寺が目的地... ...続きを見る

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2012/09/20 00:39
高橋屋敷 福知山
丹波市から福知山市へJR福知山線沿いに走るR175号(水分れ街道)は塩津峠を越え、冬場のスリップ止めか・スピード抑止効果を狙ったものか!?馬の背(ラクダの背?)カーブの坂を下りきった所から国道は土師(はぜ)川沿いに走る。JR線のガードを潜って直ぐの信号付き交差点(福知山温泉への案内看板がある)を右折すると岩間地区。   長田川?が流れ出る土師川(正面の堤防道) 今回探索の岩間城は此処から地区内の高浄寺(曹洞宗)を目指せば良いが、土師川の左岸:長田地区に在った郷士高橋氏の居館を探し、つい何時も... ...続きを見る

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2012/09/18 23:13
後青寺城 U
大内城とは低丘陵続きで北近畿舞鶴若狭自動車道の六人部PA付近・高架下部に在り、福知山市遺跡情報に後正寺古墓(発掘調査により城館の可能性が高いと推察される)は、先にブログで後青寺城Tとして紹介しました。  後正寺城:主郭虎口の大土塁と土塁沿いの通路 ・・・・が遺跡分布位置には後正寺古墓とされている居館跡?)は、小谷を挟んだ尾根続きの斜面上:低丘陵(比高20m)部一帯は緩斜面で風化等による崩壊か?・低い段差の曲輪群が拡がる。実測していないが東端は北近畿自動車道で寸断されている尾根筋の南東端が... ...続きを見る

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2012/09/14 18:47
後青寺城 T
以前のブログにより紹介した大内城には平家政権下で大成した源氏の武将:源ョ政が居た様に?、鎌倉幕府の政権下において、平頼盛が此の地:六人部荘を領して大内城に拠っていました。    大内城東端北部:折れを伴う高土塁と曲輪切岸 平治の乱の際に敗れ捕らわれの身となった少年期の源頼朝を平頼盛の母親【平忠盛の正妻・池禅尼平清盛の継母にあたる】が清盛に命乞いして救ったことから、元暦2年(1185)屋島・壇ノ浦の戦いに平氏が滅亡し、追討で平家の関係者が抹殺されていくなか、建久3年(1192)源頼朝が征夷代将... ...続きを見る

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2012/09/12 21:50
福知山城と明智光秀
NHK「大河ドラマ誘致に向けてのリレーイベント共催事業」3回目?の今回は福知山市で行われている。(9・10まで)京都・兵庫丹波地方において、大河ドラマに登場させたい人物:視聴率:人気先行を考えれば、武将として屈辱的な最期を遂げた多紀郡(篠山市)八上城主の波多野秀治、丹波の赤鬼の異名で恐れられた無敵の武将:氷上郡(丹波市)黒井城主の荻野直正や実弟で三尾山城の智将:赤井幸家がいる。全国的には知名度が低いが、当地に於いてもっと認知度を高めたい国人には・旧福知山市の横山城の塩見氏や何鹿郡の大槻氏や物部の... ...続きを見る

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2012/09/09 23:30
譲葉山西城
織田信長による「天下布武」命に、丹波攻略の総指揮者:明智光秀は波多野氏傘下の諸城を一つ一つ落としながら本拠の八上城を包囲し、赤井・荻野氏の丹波黒井城に迫ります。多紀郡(篠山市)の八上城・氷上郡(丹波市)黒井城攻めの明智勢力は、其の両城を分断し街道と両城の監視の為に、郡境の鐘ヶ坂に金山城を築き本陣としていました。    譲葉山西城曲輪U東の堀切 八上城を包囲した明智勢は黒井城攻略の為:金山城から柏原八幡山城に本陣を移します。その八幡山城の麓は八幡神社の門前町として・市が立ち賑わった所。織田神社... ...続きを見る

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2012/09/06 17:39
譲葉山城 U
譲葉山への登山案内は→http://tanbakiri.web.fc2.com/TANBA-yuzurihayama-docu.htm 紹介済ですが、植林帯の中を歩く暗くて展望も殆んど望めず、山頂には三角点も無いためか人気は薄く、此の譲葉山だけを登山対象とする人は少ないかも・・・。しかし残暑厳しく湿度も高い不快な時期だけに、谷通しに小さな瀬音を聴きながら、流れが消えても深い谷筋を風が流れ、尾根筋は比較的緩斜面が続く。    譲葉山城(西郭)【仮称】の仕切り土塁  後期織田家廟所前を通る東奥か... ...続きを見る

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2012/09/04 07:50
譲葉山城 丹波
丹波市(旧氷上郡)の政治の中心地は元々・氷上町成松にあった様で、現:丹波市役所に向かい加古川(旧佐治川)を渡る橋は京橋。江戸期に入り織田家柏原藩陣屋が置かれて以降・丹波市が成立する迄は柏原町が其の中心地。織田家柏原藩陣屋跡・地方裁判所・税務署・歴史民俗資料館・藩校の跡地には法務局が在る。小さな町の歴史を巡るスタートはボランテイアガイドが待機する!!観光案内所のある柏原八幡神社参道鳥居前・木の根橋の側から・車道を挟んで織田神社(前期:織田家三代を祀る)が在る。 ...続きを見る

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2012/09/03 20:00
八幡山城 丹波
福知山方面へとJR柏原駅を発車した電車の窓から・またR176号線沿いからも、朱色の三重の塔を乗せる入船山 の姿が望めます。此処に三たん(丹波・但馬・丹後)一の大祭「柏原の厄神さん」で知られる柏原八幡神社が鎮まります。八幡神社は万寿元年に京都 ・岩清水八幡宮の丹波別宮として創建され、参道沿いに門前町が形成され柏原の町並みの原型ができてきました。    配水施設背後:二段曲輪には土塁の残欠・・・・ 南山麓には天然記念物の「木の根橋」や前期柏原藩織田家三代を祀る織田神社・大正昭和期のレトロな洋館の... ...続きを見る

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2012/09/01 20:00
網掛城 篠山市
JR篠山口駅の北/篠山ICを出て306号を西へ進み舞鶴若狭自動車道高架を過ぎると、北方:中央図書館の北に西吹城のある独立極小低丘陵が見える。左手前方に「丹波の森:四季の森会館」施設が並ぶ東にも比高60m足らずの低丘陵が見える。 ...続きを見る

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2012/08/30 18:03
波多野甚蔵屋敷
JR篠山口を出てR176号を北進・西古佐南交差点で左折して県道36号に入る。北側に迫る丘陵上には平井山城が在る。”丹波茶の里”味間谷の玄関口で、南方には福井館・味間南城、北側には味間北城等が在り、八上城の西方を警戒・防禦する城砦群の一つ。嘗ての延喜式山陰道は京・亀岡側から福住・篠山を抜けるが、柏原・黒井方面へ馬で超えるには険悪な鐘ヶ坂峠を避け、また此の先の篠山川(川代峡谷)沿いの悪路をも迂回する味間から現:山南町阿草へ抜け、佐治川(現:加古川)沿いの氷上回廊を但馬へ向かった。また此の峠を西に進ん... ...続きを見る

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2012/08/28 20:39
南郷城 丹波
先日ブログ紹介の下新庄城の麓から西へ、かどのの郷の前を直進して清住の里に向かう。回り込んでいく丘陵上に南郷城(森山城)が在る。山城域の尾根西麓一帯が清住の里で、カタクリの自生地(短絡的な考え方と思えるが観光で知られる様になり市花に指定されました。 ...続きを見る

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2012/08/19 21:04
下新庄城 丹波
R175号線「稲継交差点」から北に直進する県道7号線の「氷上北」三叉路交差点を左折して、丹波市役所・成松商店街の北方を西へ直進して、高山寺近く安全山南麓の「常楽」交差点に出る。常楽交差点の西北・安全山へ向かう林道東側の極低丘陵南端の半独立峰(比高15m程)には遺跡分布図にもある丸山城(城砦かどうかも不明?)が、しかし其の西約400m程にも北方から南へ延び出した半独立丘陵の先端が富士型の姿を見せる小さな峰が在る。 ...続きを見る

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2012/08/17 20:16
三草藩武家屋敷
三草藩陣屋(三草城)へは滝野社ICから県道17号・藤田交差点でR372号線に入って北東へ約1.7km程。県道144号が上三草交差点でR372号に合流して約500m程。やしろ国際学習塾の北側に三軒の三草藩武家屋敷が残り、その中央が旧尾崎家住宅。   藩陣屋は正確には・・?やしろ国際学習塾の北・此の屋敷群の裏手一帯の空地や駐車場・畑地らしい?。元文4年(1739)越後頸城郡高柳の藩主丹羽和泉守薫氏 (しげうじ)が大坂定番に任ぜられ、美作・河内両国を領換後の江戸時代中期:寛保2年(1742)加東郡等... ...続きを見る

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2012/08/06 21:52
金鑵城 小野市
県道349号加東市からは播磨中央公園前を通り、河高から小峠を越える直線道路。峠を南へ越えて小野市へ降る西方の低丘陵一帯が青野ヶ原(自衛隊駐屯地)。JR加古川線青野が原駅の次・河合西駅の西方には南北に起伏の少ない低丘陵が延びている。正面の丘陵に見える木製の櫓台が室町時代に播磨守護:赤松氏の家臣・中村氏が築いた「金鑵城」の模擬櫓台。 ...続きを見る

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2012/08/02 22:01
衣笠城 朝来
JR山陰本線梁瀬駅前を円山川へ流れ出る与布川はR9号(山陰道)を渡りヒメハナバチ群生で知られる楽音寺前を抜け南へと県道276号線を遡って行くと、丹波市境界(丹波・但馬国境)の粟鹿山南尾根を越える山道で行き止まる・・が一端途切れた県道276号線は丹波市青垣町大稗!?から紅葉三山・高源寺でR427に繋がる。 衣笠城にある主尾根に向かう北尾根の土橋と片堀切状(登城の堀底道?) 与布土氏館のブログでも「お杉地蔵」の伝承にふれた様に、遠阪峠を越える要衝とは別に・国境を越える生活道路・間道として利用され... ...続きを見る

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2012/07/20 20:20
与布土氏館
北近畿豊岡自動車道(R487)と併走する県道136号は、茶臼山古墳の南裾を抜けて和田山IC・円山川沿いR312号に合流する。先のブログやホームペーで筒江城・加都城・安井城の訪城に利用した車道ですが、更に南方を東西に走る県道277号が与布土川を渡り、金梨山麓・立雲峡を過ぎ正面に竹田城を望みながら下ると「竹田交差点」でR312号線に合流する。    主郭内:中央部の空堀状と北堀切側の大土塁は櫓台? 丹波:丹波市・但馬:朝来市を分ける国境線に粟鹿山があり、丹波市青垣町から粟鹿峠を越える厳しい冬の逢... ...続きを見る

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2012/07/14 20:07
諏訪城 朝来
丹波市側から遠阪峠を越えるR427号の山東町一品交差点から北近畿豊岡自動車道の山東IC近くの高架を潜って、粟鹿川・自動車専用道沿いの広域農道を西へ走ると与布土川に架かる新諏訪橋を渡り県道276号に合流すると右手・車道側の丘陵上が目指す諏訪城ですが、これでは少し判りにくいかも?。    北郭(主郭)の西&#12316;北角へ延びる土塁線 丹波市・福知山市側からはR427号からR9号線に出る手前・矢名瀬(朝来市役所山東支所)から、生野・和田山の円山川沿いの和田山IC・R312号を結ぶ県道136号... ...続きを見る

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2012/07/12 21:06
大月城ノ越遺跡
但馬:朝来市の与布土川沿いの城館を訪ねて諏訪城に向かったが、諏訪城とは車道(県道276号)の北・300m程の低丘陵(比高僅か15‐20m足らず)が気になり立ち寄ってみた。    堀切(現:切通道) 東西に伸び出した尾根先端部を県道に落とす低丘陵の緩斜な尾根の南面は「大月城ノ越霊園」で、霊園前の墓参道は直ぐオフロードというより幅狭く・軽トラがナントカ抜けられる切通しの山道で、北へ越える先には鹿猪除ゲートがあり、抜け出ても小さな谷間に圃場が拡がるだけ。     段曲輪? 切通し道は堀切だった... ...続きを見る

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2012/07/11 19:27
真野城 綾部
府道1号(小浜綾部線)を上林川沿いに口上林地区の沼ヶ谷城・赤道城 ・梨子ヶ岡城・東中山城・佃城等を訪ね、綾部市最古の歴史をもつ「延喜式内社河(珂)牟奈備神社 (旧郷社で祭神は天下春命)が鎮まる)の小峠を降ると、中上林地区に境する折山城を南東に見て中上林地区の睦合町に入ってくる。   真野城主郭:土塁上の4等三角点 睦合町真野には第一区の丘陵頂部に大谷城(未訪)・府道1号線側に突出す丘陵部に城主:温井又三郎の土野(肘野)城(未訪)が有るが、所在位置等未確認と車道沿道に駐車スペースを見つけ出せず... ...続きを見る

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2012/07/06 12:02
井根城 綾部
上林川沿いに府道1号線(小浜綾部線)を走り、赤坂城・沼ヶ谷城・赤道城・梨子ヶ岡城を、先日は東中山城・佃城・折山城へと、口上林地区を訪城し、其々に当ブログやホームページ「丹波霧の里」・「別冊丹波霧の里」にレポートしています。   井根城唯一の遺構が凄すぎるU字状の大堀切 先日:府道1号線の十倉交差点(折山城へ向かった)を直進して、十倉名畑町から伊根町への標識に従って幅狭い井根川沿いの谷間の車道を進むと、辻堂橋に着く。谷沿いは農道となり、集落へは橋を渡り前方の丘陵上に続く急斜面をツヅラ折れして登... ...続きを見る

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2012/07/05 08:37
折山城 綾部市
JR綾部駅前から府道8号線を東へ走り由良川に架かる丹波大橋を渡るとR27号。今迄:上林地区へは由良川沿いを南下して「山家」から府道1号線を北上していたが、R27号を北上し”下八田”から「あやべ温泉 サインボードを見て広域農道を旭町に向かい、十倉町名畑町で先方で行止りとなる府道481号の上林川沿いに以前:赤道城・梨子ケ岡城を訪ね、今回東中山城の再訪とリトライした佃城訪城を果たした。   大堀切(現在:切通道)から西郭(稲荷社参道)へ 広義の!?上林地区(口上林・中上林・奥上林に区分される様です... ...続きを見る

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2012/07/01 23:24
佃城  綾部
昨年(1211)2月:綾部市口上林地区【上林川沿いの十倉志茂・十倉名畑・十倉向町・武吉】に赤坂城・沼ヶ谷城・赤道城・梨子ヶ岡城を廻り佃町の東中山城へ向かった。    東中山城東南尾根端の堀切を越えて佃城へ下る 東中山城へは其の尾根先に佃城が在り、佃城から東中山城へと尾根続きの二城を攻めるつもりだったが、佃集落背後の山並みと、丘陵に向かう山道以外に取付けそうな場所もなく、手近の佃城を見残して、上り一辺倒の激急斜面を登って尾根筋の堀切に辿り着くと、其処が東中山城の城域中間付近。積雪が尾根一面を被... ...続きを見る

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2012/06/28 09:22
赤坂坪砦 綾部
以前・綾部市に田野城を訪れた際に赤坂坪砦と思えたコート?(ゲートボール場か?)背後の藪中と其の東・民家背後には西に2段程の曲輪状!!、東に土橋・片堀切(短い竪堀状)を見て、正面奥の主曲輪?に曰く有りげな”廣田大公神の祠”を見た。 ここから安場城を目指したが城域の丘陵頂部付近の尾根筋は長く緩斜面ながら城址の痕跡を発見出来ず引返した。今回:市の遺跡分布地図を見て場違い・・?  改めて城址推定地点を探して田原城麓から田原川?を渡り西方の低丘陵部に向かった。   赤坂坪砦(墓地)への入口/大島・高津か... ...続きを見る

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2012/06/11 00:50
安井城 朝来
丹波市側から遠阪トンネルを抜ける北近畿豊岡自動車道(R487号)と併走して矢名瀬 (梁瀬)から楽音寺前を南下する県道136号に沿って、筒江城に寄り・加都城? からは幅狭い加都集落内を抜け、和田山ICに繋がるR312号(但馬街道・播但道)の加都北交差点を西へ円山川を渡って直進する。    主郭を取巻く2-3段の帯曲輪 竹田城址へ北西から登城する車道が通じ所々に案内板を見る。行止りの県道136号は此の先に観光スポットが無い筈?なので、時折通り過ぎる観光バスは客を竹田城へ運んでいるのでしょう。物産... ...続きを見る

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2012/06/08 09:02
加都城 朝来
雲海に浮かぶ天空の城・竹田城を望む立雲峡からの写真をよく見かける。此の但馬竹田城を但馬街道(R312号)と円山川を挟んで真東の金梨山からは、よりダイナミックに総石垣の山城を眺望出来ます。    竹田城の落城の姫様の”悲しい山”としての伝説を遺す金梨山から北へ延びる尾根は先端付近で舌状に流れ出る低丘陵となり、最北端を筒江橋の交差点:北近畿豊岡自動車道高架下付近で県道136号の筒江・加都の分岐点の其の先端を落とす。此の分岐点から筒江城へは先のブログで紹介済ですが、此の尾根先端部には県遺跡分布地図... ...続きを見る

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2012/06/05 21:30
筒江城 朝来
北近畿豊岡自動車道(春日和田山道路)道の駅「但馬まほろば」近くに茶すり山古墳が在る。春日和田山道路沿いの南側を県道136号が並走する。其の茶すり山古墳と春日和田山自動車道の和田山ICの中間点付近に、此の筒江城が在りました。   筒江城:土橋付き堀切、下方に主郭裾を捲く横掘と土塁が見える 筒江城の東北方に茶すり山古墳を望むが、筒江城の西方直近には大型の横穴式石室を持つ城ヤブ 1号墳が有り、筒江城北端の地区道路分岐には”筒江城と1号墳”の案内標識が立つ。【朝来市市内でも屈指の巨大な玄室】で玄室... ...続きを見る

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2012/06/01 21:39
観音山城
朝来市和田山町で観音寺城と云えば、雲海に浮かぶ天空の城として、いまは但馬を代表する観光スポット:竹田城の尾根続き東に存在して、石垣も残る竹田城の出城:観音寺城が知られており、また但馬の城史としては豊岡市日高町には垣屋続成・光成の鶴ヶ峰城(観音寺城の別称がある)が知られるところですが、此の土田の観音山城(観音寺城)は但馬の城史にも登場せず?、存在を知る人さえ少ないと思われる埋もれた古城?の一つです。  主郭北尾根:観音堂上部の祠から続く曲輪群の先に大堀切 先のブログで紹介の土田城の方は南北に長... ...続きを見る

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2012/05/28 20:50
土田城 U
鳶ヶ城・遠見ヶ城・土田富栖城の別名を持つ土田城は、土田地区にも城址の存在は知られており、西土田集落のR9号の和田山トンネル南口からは”鳶が城”・大歳神社近くからは”土田城”への城址案内板が架かる。   南尾根上の三角点峰(239m)南西尾根側の堀切 其のいずれのルートからも激急斜面を城址の尾根まで、整備された山道は無さそうです?・・・・が夏場は兎も角として、下草藪の悩まされる事もなく比較的短時間のうちに城域に達するのが・・・・延々1km近くの長い尾根上に連続する城砦遺構の内の北尾根側。 数... ...続きを見る

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2012/05/25 19:58
土田城 朝来
但馬竹田城を望みながら円山川沿いに北進し、和田山ICを過ぎると”一本柳”交差点でR9号(山陰道)に入る。養父・八鹿方面へと新和田山トンネルを抜けると土田地区。左手前方の丘陵上には南北に延々・約1kmにわたり、際限なくどこまで続くのかと不安と期待で縦走したが、城砦遺構が連続して続く。   最北端東:トンネル上部の同心円状郭から帯曲輪状2段 それだけに城域部分を区分できない程?。しかも土田地区の西土田集落内からは二ヶ所の登城口案内板を見るが、 厳しい尾根上の城址迄は明確な登山ルートが嘗ては有った... ...続きを見る

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2012/05/24 23:40
竹貫城 豊岡
水生(みずのお)城とは同一尾根の延長線上に竹貫(たかぬき)城が在る。竹貫城を含めて水生城と呼ばれる事もあるようです。  竹貫城東郭:枡形虎口 ...続きを見る

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2012/05/17 20:46
水生城 豊岡
水生城(水尾城)は但馬空港から東へ延びる豊岡市と旧城崎郡日高町(現:豊岡市日高町)の境界尾根上に在り、円山川に先端を落とす丘陵上:東端から一直線に独立した城郭遺構が4箇所並ぶ。   水生城U郭:主曲輪南下の竪掘(手前)と尾根上の三重堀切 水生山長楽寺背後:東西ほぼ一直線上に延びる尾根上には独立性の高い四ヶ所に城砦をもつ城砦が有り、以前から知られている三ヶ所が一般的に水生城と呼ばれている様です。尾根西端に位置して・水生城とは一線を劃する縄張の特徴を持つW郭は、羽柴秀吉の第二次但馬攻めの際・水生... ...続きを見る

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2012/05/15 23:38
伊福城 豊岡
伊福(いう)城はJR山陰本線江原駅の北東方約1.5km程の地点:日高平野の南東部に位置する。R312号のバイパス道が宵田城直下の城山トンネル・国分寺城の在る国分寺トンネルを抜け、従来?のR312号が円山川沿いに豊岡市街地向かい「土居交差点]で合流する。  伊福城:主郭南切岸の石垣 江原駅前から但馬国分寺前を通り円山川に出ると「鶴岡橋交差点」。山名氏の本拠:此隅城・有子山城の出石に向かうR482号、円山川に架かる鶴岡橋(171m)の東詰めに先端を落とす丘陵上に伊福城が在りました。 伊福城... ...続きを見る

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2012/05/05 19:41
国分寺城
国分寺城は山陰本線JR江原駅の北背後に在って、南山麓には奈良時代:天平13年(741)聖武天皇が国家安泰を祈願し 諸国に建立させた但馬国分寺跡がある。 R312号のバイパス道の城山トンネル上部には宵田城が、トンネルを北に抜けるとR482号線が交差する岩中交差点。但馬国府が置かれた祢布には祢布城が在り、直ぐ前方に見える国分寺トンネル上部には国分寺城が在る。    北郭(右手は土塁櫓台?)から空堀を挟んで主郭の切岸 但馬国分寺跡&#12316;;護国山但馬国分寺&#12316;;国分尼寺跡?(... ...続きを見る

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2012/05/01 21:05
祢布城 豊岡
宵田城の在る城山トンネルを抜けたR312バイパス道はR482と合流する「岩中交差点]に出る。”天平の径”が延びる奈良時代の但馬の中心地:国府が在り、聖武天皇が国分寺を建立した地。   但馬国分寺跡:中央礎石は塔跡の礎壇     大堀切から見上げる祢布城主郭 此処に祢布城(祢の古名禰を充てて禰布城の名もある)が有り、バイパス道が国分寺トンネルに入る手前で左折して祢布(ニョウ)地区の楯石神社に向かう。神社参道の急な石段上からの山道を辿れば大堀切に達し、東面の高い切岸(約10m程)上に祢布城の主... ...続きを見る

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2012/04/29 00:07
宵田城 豊岡
円山川沿いのR312号線は宿南の先で城山トンネルを岩中交差点へ抜けるバイパス道と進美寺山裾へ向かう赤崎橋を宵田・JR江原駅前を通り但馬国分寺跡を道に分かれます。城山トンネルの真上に位置する宵田城は、バイパス道は勿論・どの車道を通っていても、山上に送電線鉄塔が建ち・側に主郭部の曲輪と切岸を立てる山容は城山と判かります。  宵田城主郭より神鍋山・三川山方面の残雪を望む 豊岡市へ・玄武洞や城崎へと、此のトンネルを通る度に一度は訪れたいと思いながら今日になってしまった。R312号側から直接取り付ける... ...続きを見る

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2012/04/27 00:41
幻の氷上城「霧山城」
丹波市にも遺跡分布図に調査公表されていないが、堀切・竪堀・切岸加工された曲輪・数少ない土塁や畝状空堀さえ遺す山城や、丹波黒井城攻め時の明智の陣城と思える織豊系縄張りの城郭も、都度にホームページや此のブログに報告してきました。しかし:年表・古書等の諸々文書に登場するが実体不明の人物もいる。丹波守護:仁木ョ章の守護代【延元2年?&#12316;康永2年(1337?-43)【】となっていた荻野朝忠は、南朝方として児島高徳と高山寺城(弘浪山)に籠り北朝軍と戦い、仁木氏は引責から守護職を引いている。丹波史... ...続きを見る

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2012/04/21 21:15
大江堀城
山陰道(R9号)は南但馬トンネルを八鹿バイパスで抜ける。「道の駅:但馬楽座」を挟んで右折して、約2km程北方で円山川に流れ出る大屋川を渡りR312に入る。円山川沿いに並走する山陰本線養父駅前を過ぎ上小田北交差点で円山川を渡り東へ約2km程:世賀居バス停で右折する。   2−3本の竪土塁さえ見せ10数条の畝状竪堀が放射状に落ちる 車道脇の丘陵上には坂本城(三重堀切が遺ると云う)を知らず、幅狭く感じる谷沿いの車道を進む。車道脇に駐車スペースが無く、少し行き過ぎるが大江公民館前まできた。此処から... ...続きを見る

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2012/04/17 08:18
小和田城
丹波市青垣町の小和田城はJA・青垣町民センターとの交差点を右折すると、遠阪川を隔てて正面間近に見える丘陵上に小和田城が有ります。全国の足立姓の祖:足立遠元の孫・遠政が武蔵国より佐治郷(丹波市青垣町)の地頭職を得て来住し、山垣城を本拠としたが、遠政の二男:遠信が築いて山垣城の支城としたのが小和田城。     小和田城主郭 山塊最高地点の点名:中佐治(4等三角点295m)から西南へ延びる尾根上各ピーク毎の平坦地形は古い形態の山上曲輪群なのか?は解らないが・・・尾根筋は下方で東南方へと尾根を二分す... ...続きを見る

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2012/04/15 23:43
片山城 南丹
南丹市に八木城を訪ねた後、園部町へ廻っての帰路途中、片山城に立ち寄った。園部町内の片山城と云えば黒田の片山城が畝状竪堀等でも良く知られているところですが、此方は大戸の片山城です。   取付き点付近の広い平坦地は屋敷跡(一部) 園部町大戸と高屋に挟まれた武尾神社の南背後丘陵上に位置する片山城を知る人は少なく、訪城しようとする奇特者は更に少ない超マイナーな山城の様です。JR八木駅前を東へ・大堰橋を渡り府道25号を北上していくと、八木町から園部町入る頃・車道は再び大堰川(桂川)沿い走り、川辺大橋で... ...続きを見る

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2012/04/12 17:41
内山城 南丹
丹波八木城訪城の際のスタート地点:春日神社からも見えている内山城と東方の丘陵部に位置する川関城の二城は、山陰道(R9号線)要衝監視と、本拠の八木城に通じる街道警備・監視に当たった出城か砦だったか?。 ...続きを見る

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2012/04/11 07:59
川関城 亀岡
八木城を訪城に向かうR9号線の、亀岡市千代川町から南丹市八木町八木に入る両市境・東所川が八木城登山口の春日神社・内藤如安の顕彰碑の東&#12316;内山城!?の北端を縫って、大堰川(桂川)へ流れ出る河口近くに落ち込む低丘陵上に川関城が在りました。     主曲輪南側の上り土塁? 川関城(川関砦)の所在位置は行政上は亀岡市千代川町川関だが、桂川(保津峡を嵐山迄が大堰川・渡月橋から桂川かと思っているのですが?違ったかな?、加古川の上流・佐治川が加古川となったと同じ?、郡市統廃合で歴史的名称がカタ... ...続きを見る

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2012/04/10 08:39
丹波八木城U
JR山陰本線千代川駅・八木駅の南西に連なる山塊に一際目立つ標高330m峰が城山丹波八木城で、山頂部に本丸を置き・四方に延びる尾根筋にも其々に多数の曲輪群を積み並べ・堀切・土塁等の防備施設は石積みによる補強もされた城郭施設は広大で、山全体を要塞化した複合梯郭式の巨大な山城。    茶屋跡側から空堀・土塁と対面所曲輪 城山の本丸を守備して派生する三方の尾根上にも、其々の守将を置いた曲輪群が主郭を守備する一大城砦群を形成しており、丹波国内でも有数の規模を誇り、八上城(篠山市)・黒井城(丹波市)と並... ...続きを見る

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2012/04/07 20:05
丹波八木城T
関西圏の八木城は但馬にも山名氏の八木城があり、織田信長の「但馬攻略]に山名氏滅亡後は別所重棟が入った但馬:八木城があるので、丹波の三大山城として、また三強の居城として丹波氷上(丹波市)猪ノ口山の黒井城(荻野直正)、丹波多紀(篠山市)高城山の八上城(波多野秀治)とともに口丹波の南丹市にある八木城(内藤有勝)を丹波八木城と表記します。 ...続きを見る

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2012/04/05 19:52
白髪城 綾部
白髪城(精ヶ城・白ヶ城)は先日のブログ紹介野田城からの尾根続き、須知山(白髪城山3等三角点253m)に主郭を置く山城ですが、展望も無い藪道の急登。    白髪城本丸の切岸(5−6m程)と元秋葉社が祀られていた!?北面の帯曲輪 井根山公園遊歩道を尾根に登り着き、秋葉神社へ向かいカーブする遊歩道のコーナ部の鞍部からは、南へ少し下るミニ霊場廻りの祠横から松茸山!?の踏み跡を辿るが、尾根筋の登山道は荒れて段々不明瞭になってくる。明治期に井根山公園側に移された秋葉神社は此の先・白髪城山(井根山)に在っ... ...続きを見る

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2012/04/02 09:59
野田城 綾部
野田城と言っても知らない人は多いと思うが、井根山公園と云えば知らない市民は少ないかも!!?。由良川沿いのR27号線からR173号線へと新綾部大橋を渡ると南方の須知山(白髪城山 3等三角点253m)から急斜な北方へ尾根筋を落とす丘陵の北端ピークが井根山160mで、山裾を由良川と新綾部大橋に落とす。 山上部へは伊根山公園入口ゲートから遊歩道が延び、正暦寺八十八ヶ所ミニ霊場巡りの巡拝道とも重なる。展望台からは足元に新綾部大橋と由良川の清流域沿いに綾部市街地が望まれる。此処に市のランドマーク ・イメー... ...続きを見る

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2012/04/01 19:05
田野城 綾部
T氏が以前に話されていた田野城については、てっきり福知山市に在って丹波市境の田野城の事かと勝手に思っていた。この日も其の田圃の中!!?の田野城を望みながら側を抜けて綾部市に向かった。T氏による綾部史談会の講演を拝聴する為。将監城や周辺の城郭参考資料を見て気付いた。    赤坂坪砦?側から望む田野城 丹波守護代:八木城主内藤宗勝が天田郡(福知山市)・何鹿郡(綾部市)侵攻の拠点として築いた鴻ヶ嶽城へは、京都八木から天田郡(福知山市)三和町川合に抜けて、府道709号を綾部市田野に下りて綾部城に至る... ...続きを見る

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2012/03/31 17:48
堂屋敷南東砦V
堂屋敷南尾根上の城砦T・Uを見て廻り、秋葉神社の祠まで引き返してきた。参道を降ると谷筋の林道入口付近の”いぼ地蔵尊”祠の小場が見える。此の林道が入り込む谷とは反対の東側・小谷を挟んでは堂屋敷峰から南東尾根の末端が牧・勅使の間、由良川沿いのR175・R176に其の先端を落とす。  (堂屋敷南東尾根城砦V) 鉄塔下部の平坦段からは足元に丹後への街道を見下ろす   国道筋からも断崖状の丘陵上に関電送電線(綾部石井線No6)の鉄塔を乗せており、丹後宮津・舞鶴方面へのR175・R176号・主要幹線道の... ...続きを見る

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2012/03/27 19:05
堂屋敷南砦U
堂屋敷南尾根城砦Tより土塁・高低差のある二重堀切を越えて更に堂屋敷(3等三角点375m)に延びる幅狭い南尾根を辿る。   (城砦U)副郭から主郭に入る”上り土塁”虎口 細い尾根筋は幅広く、傾斜も弱まってくると正面に主郭の切岸を立てる”上り土塁虎口”を通って主郭に入ると、左脇(西角)には石材が残存する直径4−5m程の円形窪地が有る。半地下式倉庫を兼ねた木戸門でもあったか?。侵入する敵に対して構える塹壕だったか?。    (城砦U)副郭から主郭に入る虎口部の円形窪地!!? 主郭北奥の正面... ...続きを見る

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2012/03/26 21:49
堂屋敷南砦T
福知山市牧地区北背後の丘陵上に堂屋敷(3等三角点375m)がある。廃寺の大谷寺の堂宇:観音堂があったことが城名の由来か・・観音屋敷の地名も残るという。市の遺跡分布図には三角点峰付近に堂屋敷城が記されており、昨年(H23)登ってみたが三角点峰ではなく、西へ延びる尾根上に堂屋敷城址遺構が有った。    秋葉神社背後の土塁・空堀状山道(此の先で南尾根城砦Tの堀切を見る) 城史は不明だが北山麓:大呂地区の天寧寺城・奥谷城・金山城・桐村城を築く金山氏に関連した城と推察されており、大呂地区から観音堂跡を... ...続きを見る

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2012/03/25 19:17
観音寺城と居館
何鹿(いかるが)郡(福知山市の一部と綾部市)の在地国人:大槻氏勢力の本拠・綾部市側に高津八幡山城や将監城・談山城、福知山市側に洞玄寺城・栗城城等支城群を先に訪城済みですが、先日:T氏が調査されていた将監城の特異な縄張りから丹波支配の三好氏や、八木城の内藤氏・管領:細川氏の丹後一色氏攻めに於ける奥丹波の軍事拠点としての観点から・・・・綾部史談会で講演されるので、拝聴させていただいた。    副郭の上り土塁虎口から主郭に入る 講演に先立ち将監城からも尾根続きの福知山市境界に在る観音寺城を調査され... ...続きを見る

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2012/03/22 21:31
法界寺山ノ上付城
三木合戦に於いて、這田村法界寺山ノ上付城は三木城の西面に築かれた付城群の拠点となったと思われる大規模な陣城で、空堀状の通路を挟んで東西の二郭には土塁で囲み・土塁横堀を廻した30m四方の東郭(主郭)と、土塁は低いが更に広い(南北に約30mX東西45m程)西郭(副郭・U郭)がある。    主郭北下方の曲輪群から土塁空堀を挟んで主郭北西角と切岸(約4m) 主郭部の東南には藪地を抜けて一曲輪(V郭?)が在り、此処には神変大菩薩(役行者)を祀る石碑・鳥居があり、以前に三木ホースランドパークからの遊歩道... ...続きを見る

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2012/03/19 20:12
包囲網多重土塁(朝日ヶ丘土塁)
織田信長の天下布武の号令に大将:羽柴秀吉は毛利氏の中国地方へ侵攻を始めます。毛利攻めの先陣を務める筈だった三木城主別所氏が、軍議の際:家臣と羽柴秀吉との意見の相違から、信長に叛き毛利方に付いた事により天正6年(1578)・・に始まった三木合戦の籠城戦。   U字状に曲がりながら延びる遊歩道内側の藪の中にも遺る包囲網土塁線 包囲網多重土塁は、別所氏と同盟関係にある中国地方の大名:毛利氏が、救援物資を魚住の浜(明石)に陸揚げし、三木城へと搬入していたことから、これを阻止するために築かれたもので、... ...続きを見る

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2012/03/17 11:06
正法寺砦 三木
西脇市方面からはR175号を南下して小野市に入り、県道18号(加古川小野線)を加古川沿いに走ると美嚢川が加古川に流れ出る合流地点「美の川橋」を渡る。加古川市・小野市・三木市が境界を分ける地点でもあり、三木市内へと船底の浅い高瀬舟での水運による物資輸送や街道往来の要衝となっていたのでしょう。 ...続きを見る

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2012/03/15 20:10
石野氏館 三木
永禄11年(1568)足利義昭を奉じた織田信長の入京に、氷上郡(丹波市)黒井城の赤井氏・多紀郡(篠山市)八上城の波多野氏はじめ多くの領主は、恭順の意を示し織田氏に付き、東播磨の雄:別所氏も例外ではありませんでした。しかし天正6年(1578)中国征伐に際し、別所氏は毛利氏攻めの先陣を務めることになっていたが、総大将:羽柴秀吉と別所氏重臣の間で意見が対立し、小寺氏等と連携し毛利氏に組みすることとなり、戦国史の例を見ない22ヶ月もの長期にわたる悲惨な飢餓作戦「三木の干し殺し」と呼ばれる三木合戦が始まり... ...続きを見る

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2012/03/14 21:25
池尻城 小野市
R175号「市場東」交差点を左折して県道23号「市場」交差点に向かい西へ約600m程の下り坂の途中・左(南方)に見える丘陵が池尻城で、車道を挟んで西側道沿いの下に大歳神社の祠が建ち、東側の登城口に池尻城址の説明案内石標が立つ。 小野市の史跡案内石標の頭部には市花”ひまわり”の絵が付けてあります。大都市神社に一帯は城主の居館跡と云われます。三木市との境に在って東播磨の多くの領主等とは赤松氏傘下にあり、三木城別所氏が織田信長に対抗すると別所氏に付いて、秀吉軍に抗戦しています。 城主や築城年代等の... ...続きを見る

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2012/03/12 17:17
恒屋城 姫路
JR播但線溝口駅西方・恒屋川沿いの県道409号を北上して姫路市立休養センター「香寺荘」を目指す。其の香寺荘と県道・恒屋川を挟んだ東の丘陵上に高岡城(恒屋城・中嶋城)が在りました。    恒屋城(前城)お堂前の竪堀群 播磨・備前・美作三国の守護赤松氏が嘉吉の乱に衰退し、中興なった本拠が置塩城。其の北東・直線距離で約4km程の地点には赤松氏家臣・恒屋氏の大規模城郭が在る。二つの峰に前城(Ca200m)・後城(最高所の236mに本丸を置く)があり、姫路市内では唯一と云われる畝状竪堀群が存在する。 ... ...続きを見る

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2012/03/11 09:39
恒屋城関連遺跡
姫路の奥座敷:塩田温泉から東への山越えで香寺町中村へ下りてくる。此処に中村温泉があり直ぐ南には近世城郭風の白亜の香寺荘が建つ。姫路市立休養センターで香寺温泉「竹取の湯」がある。泉質・効能が同じかは知らない。此の香寺荘からは県道409号線と恒屋川を挟んで東正面に恒屋(つねや)城の後城(本丸)が見える。    恒屋城から恒屋城居館(香寺荘)と中村構居(右手) 西方から延び出す高低差の少ない舌状の低丘陵東末端部に建つ香寺荘が通称お屋敷とよばれた恒屋城居館で、恒屋城主の居館跡と云われます。ただ施設建... ...続きを見る

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2012/03/09 16:20
田野城 姫路
此処一連に訪れた姫路市東部の諸城は南山田城・太尾城・庄山城そして田野城と・・・播磨守護:赤松氏の旗下にあって、何れもが天正年間の毛利氏の中国征伐の際:山名氏の但馬平定・赤松氏の播磨平定により、(殊に東播磨一帯に覇権を持った三木城主:別所長治の重臣と秀吉の間で毛利攻めの意見が合わず対立・信長に離叛して始まった三木合戦)に、播磨の諸領主は別所氏方に付き、為に羽柴秀吉軍の攻撃うを受け落城していきます。   田野城:東峰山頂 ...続きを見る

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2012/03/06 08:17
庄山城  姫路
城山中学校の西北背後に露岩の鎧を纏って聳え・切り立つ荒涼とした山容は、山陽自動車道の山陽姫路東ジャンクションに近づくと前方左(南方)に見え、低山ながら一度は此の山塊を歩いてみたいと思いながら、既に数十年が過ぎてしまった。 ...続きを見る

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2012/03/03 22:55
太尾城 姫路市
「槍の又兵衛」の異名を持ち、家臣として迎えたい諸大名からの仕官の道も、元の主君:黒田家との不和から閉ざされ浪人となっていた豪傑:後藤又兵衛は「大坂夏の陣」に討死・・・其の又兵衛:若き頃ほんの僅かな時期・城主であった南山田城から西へ、播但連絡道路に出る手前・豊富町の城山を目指す。       太尾城主郭?東端の堀切 ...続きを見る

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2012/02/29 00:17
南山田城【後藤又兵衛の城】
先日寄った加西市の山下城は市境界を境する県道117号と県道81号線の分岐点から東に約800m程。姫路市に入った分岐点を西に約1km程・山田町南山田の集落中程に、此の小さな丘城が在りました。  小さな城域の四方を地区道が取り巻く東面を公民館に、南面は城域の半分以上を造成して今は児童公園の広場に造成され、北側の竹薮内に僅かに数段の平坦地(曲輪)と土塁が遺る南山田城。     南山田城主曲輪と大土塁 ...続きを見る

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2012/02/26 19:28
山下城
加西市の北条鉄道播磨横田駅と長(おさ)駅との間・西方の山下町に昨年(H23)”ふれあいの森山下城跡”として案内板や遊歩道が整備され、山上の主郭には東屋の休憩所も設置された市民参画事業により、史跡公園化された山城が在ります。 ...続きを見る

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2012/02/17 18:59
池ノ谷主計屋敷
JR福知山線谷川駅のホームに立っと丘陵の山裾を、北方から西面へと廻り込んで大阪方面行きの列車が滑り込んできます。西陽を受けて照く丘陵南端の峰上には、足利尊氏が元弘3年(1333)京都・六波羅に北条氏を攻めるため丹波篠村八幡宮(亀岡市)で挙兵した際、「一番旗」を靡かせ・一番に馳せ参じた久下弥三郎時重の玉巻城(久下城)が有りました。 旧氷上郡(丹波市)遺跡分布図の池ノ谷主計(かずえ?)屋敷跡はJR谷川駅に・ホームの北丘陵上に在って、沿線はこの丘陵西裾・久下城(玉巻城)から八の瀬(423m峰)を経て... ...続きを見る

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2012/02/13 00:28
猪倉城 亀岡市
R372号線:亀岡市の奥座敷:湯の花温泉を西に抜け出て、緩やかに峠を越える篠山街道の、小峠から直ぐ右手集落に入っていく先には、天正10年(1582)織田信長を本能寺に討った明智日向守光秀が中国攻めの最中に急を聞いて引き返してきた秀吉軍に”山崎の合戦”に敗れ、坂本城に向う途中、山科の小栗栖で斃れたという。近臣で光秀を介錯したとされる溝尾勝兵衛が、その首を持ち帰り葬った「光秀の首塚」のある谷性寺があります。    城域の尾根南先端を堀切と大土塁・内側には空掘が廻る 小峠を西へ下りR477号に出る... ...続きを見る

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2012/02/10 22:58
鳥坂城  豊能郡
豊能郡能勢町のR173(能勢街道)栗栖から府道4号線(茨木能勢線)で野間から野間峠を越えると、妙見山(関西の身延山とされる真如寺があり、開基が地黄の丸山城主:能勢ョ次)へ通じる府道4号を分け、直進する府道605号を豊能郡豊能町の野間口へ下る、R423(摂丹街道)に合流する亀岡市との境界も近い。    浄福寺から摂丹街道(R423)を望む 野間口集落の浄福寺背後の丘陵尾根上に鳥坂城が在った云う。知る人も非常に少ない超々マイナーな城砦ですが、城の比定地に平坦地形以外に明確な城砦遺構が無い?。寧ろ... ...続きを見る

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2012/02/09 00:10
余野本城 豊能
余野城は明応年間(地方史年表では明応2年)余野山城守ョ幸【能勢ョ弘の五男!?】が築いた幣の木城に始まるが、天正期に高山右近に攻められ落城。近世に余野城として再建されたのか、廃城を余野城と呼ばれるのか城史等は不詳ですが、余野本城もまた幣の木城(余野城?)の前身の古城となるのかは不詳。   地方誌の遺跡分布図の余野城とある余野本城からの南尾根鞍部の片堀切!!? 余野本城もまた在地豪族(清和源氏)能勢氏の庶流の能勢(某?)が文治年間(1185〜89)に余野山城【余野本城(水牢城)】を築き、余野氏を... ...続きを見る

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2012/02/06 01:30
余野城 豊能郡
箕面市最北端にある塩山氏の止々呂美の下城・中城から余野川沿いにR423号(余野街道)を更に北上し、豊能郡豊能町余野で亀岡市境界に向かう府道109号(亀岡街道)との分岐:切畑口交差点に着く。余野・切畑口は二つの街道が合流する摂丹街道の要衝。切畑川(寺田川)が余野川に流れ出る地点でもある。    遊仙寺参道(最後坂)から裏門?は余野城空堀後を経て主郭へ・・!!? 合流地点からは余野川の東の旧城山高校跡地の平山城に余野城が、西に山城の余野本城(水牢城)が望まれます。既成の概念から私も以前より二つ... ...続きを見る

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2012/02/04 21:06
塩山城(止々呂美下城)  箕面市
近畿の山城(大阪)編に塩山城(岡ノ上城・止々呂美下城)として、また塩山城・青龍寺の北丘陵上の城砦遺構を止々呂美城としてリスト整理していた箕面市の山城では、箕面グリーンロードのバイパス北口(止々呂美)付近では、第二名神自動車道 ・箕面IC工事の為の事前遺跡発掘調査中で、市や工事関連では止々呂美城とされる塩山氏の居城。   止々呂美下城(岡の上の城・塩山城)の二ノ丸から主郭 未訪だった青龍寺北方・簡易郵便局東丘陵上の砦遺構や尾根続き最高所付近の平坦地形を含めて城砦遺構とすれば止々呂美城としていた... ...続きを見る

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2012/02/01 20:27
止々呂美上城
豊能郡能勢町の片山城は南北朝期ノ応安年間(1368-75)塩山備前守義道により築城されたといい、応仁の乱(1467-69)頃 塩山肥前守景信が居り塩山城の城主でもあったと云う。 塩山城(止々呂美下城)主郭(右の杜)と二ノ丸(平坦尾根部)・左端方の東郭部が遺跡調査中 山辺・栗栖周辺の:片山城はじめ多くの能勢氏・西郷衆の諸城が集中するがR173(能勢街道)から、R477(池田街道・摂丹街道!?)野間に出て妙見山を越えてR423(池田街道・摂丹街道!?)豊能郡豊能町の野間口へ下りてくる。キリシタン... ...続きを見る

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2012/01/31 23:53
山辺城 豊能郡
山辺城Tで東出曲輪を紹介しましたが、山辺城が能勢町北部最大規模の城郭で有ることは、二つの峰からなる山上部の(主郭・二ノ丸・三ノ丸・中ノ丸・三ノ丸東曲輪等から成る)曲輪の何れも広く、切岸高く削平も丁寧。     山辺城東出曲輪と西土塁虎口(空堀土橋から) 切岸に自然地形の大岩を利用している部分も有るが、なによりも石積み・石垣が多用されている事で、単に能勢の多田家御家人:西郷衆の一で大町氏が天文年間に居城していたとされますが、豊能郡領主:能勢氏が築城し大町氏を守将として入れたものか?。 ...続きを見る

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2012/01/28 23:00
山辺城(東出曲輪)
R173号(能勢街道)はらがたわ峠を南へ降ってくると東方に鷹爪山を望み山辺口の交差点で左折し、小峠を越えると月峯寺前を通過する。鷹爪山は秀麗で能勢富士とも呼ばれる目立つ山容。この山上に山辺城が在り鷹爪城とも小富士の城とも呼ばれます。月峯寺はその山辺城への登山口の一つです。 ...続きを見る

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2012/01/27 23:57
宿野城 豊能郡
R173(能勢街道)ではらがたわ峠を越え瑠璃渓(南丹市)への731号分岐を見送って能勢街道を南下してくると、能勢富士(城山)の山容を望む山辺口。山辺口から山辺城址の能勢富士の南山麓を抜け、井内城と下見砦南山麓を大路次川沿いに北上する54号線(園部能勢線)は嘗て丹州街道の要衝。     宿野城北端の切岸・大土塁    才の神バス停:宿野区公民館前から宝林寺への狭い車道に入る先に宿野城が在りました。大路次川沿いの54号線(丹州街道)は宿野から青少年野外活動センター【剣尾山への登山口の一】前を過ぎ... ...続きを見る

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2012/01/23 21:09
越水城 西宮市
例年:この日に、被災した西宮市の満池谷霊園前の震災慰霊碑を訪れる。バス道を挟んで満池谷(ニテコ池)から南へ降る住宅地内の車道を東側へは急斜な坂を駆け上がり、100-200m程の丘陵上の比較的平坦地を過ぎると・また急斜面を駈け下る。    越水城址碑が立つ大社小学校前 満池谷霊園南の丘陵上部一帯:電柱標識に「城山」の文字。東側北の広田神社から西側の満池谷へ抜ける車道は西宮市全域でも屈指の急坂!!?。広田神社から城山東面沿いに桜谷町への南北線も西のニテコ池側以上の傾斜面で丘陵上部を分けています。... ...続きを見る

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2012/01/21 20:20
栗栖城 能勢町
栗栖城は以前(2002.08.10)洞雲禅寺から伸びる山頂の通信施設への巡視路専用管理道を詰め登った事があった。 低山で狭い山域の中央部に位置する山頂が城址と勝手に解釈して向かったものの・尾根上突き当たりの山頂広場には通信施設が建ち、傍らには朽ちかけた祠が祀ってあったが、周辺の尾根上のも斜面にも城砦遺構らしいものは 一切見当たらなかった。     栗栖城南端から望む片山城 山頂は4等三角点で点名栗栖322m。此の山頂から西への尾根先に吉村城・東尾根先と山麓部に大里城・そして南尾根先が栗栖集落... ...続きを見る

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2012/01/20 00:11
下見砦 能勢町
能勢町宿野一区に宿野城・二区に井内城が在り、井内城には昨2011年年8月に訪城しているが、其の際:304mピークから井内城への分岐尾根を違えて、直進しかけた西尾根先に位置する4等三角点279m峰(点名:宿野?か)一帯に下見砦(宿野三区?)が在りました。 城史については不詳ですが、宿野地区・宿野一区の宝林寺付近に在る宿野城の別名が井内城?。城主田口氏の宿野城ですが、織田信長に離叛した荒木氏(伊丹・有岡城主)に同調した能勢氏等の諸城は天正7年丹羽長秀・中川清秀等に攻められ悉く落城していきます。 ... ...続きを見る

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2012/01/17 21:30
吉良居館 豊能
篠山市から豊能郡能勢・川西市一庫ダムへと抜けるR173号線(能勢街道)は、北摂の山城廻りに限らず・よく利用するが、大きく蛇行して府県境界を越える天王坂を降って、最初!!?の集落天王に吉良居館が在る。天王の集落を過ぎると、長い直線が”はらがたわ峠”に向かう。峠のトンネル手前から左折する731号が名勝:瑠璃渓を経て京都府南丹市に向う。 ...続きを見る

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2012/01/16 19:49
大里城? 豊能郡
北摂に二大勢力・川辺郡(猪名川町・川西市)の塩川氏と豊能郡の能勢氏が府県境を挟んで対峙していました。中世期塩川氏の本拠:山下城を訪れた後、一庫ダムサイトを通るR173号(能勢街道)を北進すると県境の二本の能勢トンネルを抜け能勢町に入る。トンネル上の丘陵に平通城が在る。能勢トンネルからR173号をやくkm程直進すると栗栖交差点。 双方の領民による領地争いが元で起きた「杵根ノ宮合戦」に能勢氏方の西郷衆が森上城・今西城に寄り、侵攻した塩川氏と合戦に及んだ所。    西端の平坦尾根途中に片堀切が・・・... ...続きを見る

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2012/01/15 20:54
山下城 川西市
山下城は別称を龍尾城とも呼ばれるドラゴンの城。辰年の最初の城ブログとしてもGood 廃城後につけられた名称の様ですが、古城山の主郭から二方の尾根に段曲輪を遺す形状を表したものか?。私には更に北東方の242m峰から二方に延び出す尾根先の古城山に山下城の本城?、一方(北西)の尾根先:向山に別郭が在り、双頭の龍の城を想像します。前のブログ山下城(向山)に余りWeb紹介されていないと思える山下城(別郭)を画像紹介しました。本城の大規模城郭:山下城(古城山・獅子山)に比べ、単郭ながら諸々の遺構に見所も... ...続きを見る

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2012/01/14 20:37
山下城(向山)
北摂には川辺郡(兵庫県)に塩川氏・能勢郡(大阪府)には能勢氏が粗(ほぼ)同等の勢力を持っていたが、両郡境では度々・領地争いが展開され天文18年(1549)≪天正12年の事か?≫には「枳根之宮合戦」に発展し、天正12年には能勢氏が秀吉の九州遠征に従軍中の留守に能勢二侵攻した塩川氏に対し、天正14年:秀吉のお膝下で勝手に戦を仕掛けたと秀吉軍の塩川氏討伐軍を前に山下城主:塩川国満は開城して自刃。     山下城(向山)のクランク状空堀(横堀)と外側土塁(曲輪) 塩川氏の本拠城が此の山下城ですが一蔵... ...続きを見る

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2012/01/13 22:23
吉村城 豊能
森上城・今西城を拠点として森上城主:能勢小重郎が、能勢に侵攻し稲地の天神山に布陣した多田城・山下城の塩川勢と対峙して戦った枳根(岐尼)ノ宮合戦では、敵将の塩川修理亮・主膳正の兄弟を討死させている。 ...続きを見る

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2011/12/31 01:03
為楽山城 豊能
慶長6年(1601)能勢氏中興の祖とされ、深く法華経に帰依した能勢頼次が、日蓮宗中興の祖とされる京都本願寺第十三世貫主:寂照院日乾上人を開山に創建されたのが「関西身延霊場」無漏山真如寺で、地黄城(地黄陣屋)から妙見奥の院への参道を辿り真如寺から奥の院を経て妙見山への巡回路も今は登山者が利用するだけなのか?。 三角点石標柱が埋まる妙見山は(為楽山660m)は点名:奥の院だが本来の奥の院は上記のように別場所。修験道場の雰囲気が漂う展望には優れない場所。現在の能勢妙見(妙見宮)は天平勝寳(749-7... ...続きを見る

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2011/12/30 20:17
地黄陣屋 豊能
能勢頼次は 「山崎の合戦」のおり明智光秀に属しており、秀吉方の追討に丸山城は落ち、塩川長満と交戦に敗れて能勢の地を追われ浪々の身にあったが、徳川家康が京都の日蓮宗寺院に休憩した際・住職が能勢ョ次の弟であった事が縁で徳川家康に召抱えられと云います。 関ヶ原の合戦(慶長5年 1600)に戦功をたて旗本として旧領能勢を回復し、1万石で復帰して能勢氏中興の祖といわれます。翌:慶長6年に丸山城内にあった寺を、父能勢頼幸の菩提を弔うため城下に移し創建された清普寺は能勢氏一族の菩提寺となっています。   ... ...続きを見る

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2011/12/30 00:41
丸山城 豊能郡
野間の大けやき近く・野間中交差点からR477号バイパス道を走る。東方のR477号線街道筋側に警察署や東中学校の体育館が見える辺り・丸山新城(地黄陣屋)がある。陣屋の名称ながら旗本:能勢氏の単郭ながら周囲を石積で堅固な居城なので後で訪ねるとして、正面に見えてきた比高50m程の低丘陵に向かう。 田圃道の奥の山影に医薬門の山門を見せる能勢氏の菩提寺清普寺への車道北・山裾に源満仲の宝筺印塔・石造九重塔が見えているところが丸山城への大手登城口。 丸山城主郭から帯曲輪尾根側の土塁虎口部?と二ノ曲輪(... ...続きを見る

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2011/12/29 09:22
福泉寺城
福泉寺跡と福泉寺城は小金ヶ岳への登山ルート途中に在るが此処を目的に登る人も少ない。多紀アルプスの三山(西ヶ岳・御嶽・黄金ヶ岳)の中でも露岩の岩尾根を辿るアルペン気分と展望が楽しめ、標高は御嶽(1等三角点798m)に負けるが人気は一の山。御嶽&#12316;大タワからの縦走か、篠見四十八滝からの縦走で訪れる登山者が多い。   現状:城域中央部の低土塁曲輪 多紀アルプスの大タワを越える県道301号線から小金ヶ岳へ、唾市ダムから・小金口登山口(福泉寺跡案内板がある)から・大タワ手前のヘアピンカーブの... ...続きを見る

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2011/12/20 23:21
谷山城 篠山市
京都から播磨・摂津へ抜ける要衝には主に篠山川を挟む二本の街道筋があり、源平合戦に「一の谷」へ向かい、又兄源頼朝から追われた義経が逃れた丹波道には、先のブログで紹介した東本荘市谷城等諸城砦の在る県守・車塚古墳を繋ぐ県道301号沿いには笛吹山伝説を初め・義経や其の従者:伊勢三郎や那須与一・鷲尾三郎等に関する伝承が彼方此方に残ります。R372号【(デカンショ街道・京街道)は亀岡方面から福住を経ての古来よりの基幹道で四季山城麓の馬池等にも義経道の伝説を残すところです。     谷山城の段曲輪群 八上... ...続きを見る

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2011/12/18 22:37
東本荘市谷城
篠山TV中継所施設の建つ衣笠山485mから東南へ流れ出す尾根筋が、県守集落と東本荘集落を分ける。其の低丘陵尾根上の283mピークに東本荘市谷城が、更に下る尾根先端ピークには口県守城が在り、二つの集落を繋ぐ地区道に落ち込む。尾根続きに半独立丘陵(約300mX150m程??)の南で県道702号線に出る。東側には雲部車塚古墳がある。    二段の東曲輪(右端に土塁残欠・左に回り込む虎口) 市谷城へは東本荘の集落から谷沿いに衣笠山に至る山道が地図には破線で示されており、適宜・踏み跡なり藪漕ぎで登城は... ...続きを見る

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2011/12/16 00:16
口県守城 篠山
県道702号線沿いに見る丹波地方最大の前方後円墳:車塚古墳の西側から、北に向かう谷間に拡がる県守集落への道は、直ぐ左手に幅狭い東本荘地区への道を分ける。此車道へ落ち込む低丘陵上に口県守城が在りました。     三ノ曲輪(東に土塁)と二ノ曲輪の切岸 東本荘市谷城と口県守城は8年振りの再訪ですが、前回同様・二つの地区を分ける尾根伝いに二つの山城を訪ねます。比高80m程か?・・藪漕ぎもなく薄いが踏み跡も有り、辿れば10-15分位で城域には楽に到達出来る。    二ノ曲輪の上り土塁と主郭側の切岸 ... ...続きを見る

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2011/12/15 00:35
城山城 篠山市
紅葉の名所で知られる洞光寺からも近い雲部車塚古墳は、垂水区の五色塚古墳に次ぐ兵庫県下では第二位とされ、丹波地方最大の前方後円墳です。     城山城は車塚展望台からすぐ・・・ 此の車塚の東側には北方から南へ延び出した低丘陵が県道702号線に其の先端を落としています。松ヶ鼻とよばれ、丘陵東麓を篠山川が流れ、川沿い300m程上流民家側には方墳の北条古墳(県指定)や、此の後向かう車塚古墳西北の県守(あがたもり)には山ン谷古墳が点在する一帯です。ブログのコメントから・・:古墳についてのトラウマで割愛... ...続きを見る

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2011/12/13 20:53
篠山城内堀
東西・天下分け目の関ヶ原合戦に勝利した徳川家康だが、豊臣方の大名達はまだ勢力を温存しているとして、大阪城の監視・包囲の戦略的要地の名古屋・彦根・亀山(亀岡市)や篠山等に天下普請の築城を急いだ。 ...続きを見る

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2011/12/10 22:42
篠山城外を周回
曇時々雨模様の一日 篠山城の外周をゆっくり散策してみた。         南馬出 篠山場外とはいっても西方は観光スポットの武家屋敷群内から南馬出・東馬出・北馬出への濠(外堀)沿いですが・・西堀は現在:水抜き中で、渇水後はボランテイアによる清掃作業が計画れています。      西濠 遠方からの城フアンには 時間的余裕もなく 案外見過ごされてしまうが     南馬出の外濠 外苑風情と城外からの遺構や、更に外側には東方の黒岡川の河川の流れを西方へと直角に付け替えて濠とし、その濠の内側を土塁... ...続きを見る

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2011/12/08 00:09
長谷山城 U
丹波市内の山城オフには嘗て丹波三郡【氷上郡・天田郡・何鹿郡】を領した赤井直政の本拠:黒井城のお膝元・春日町からスタートした。但馬山名氏が丹波の領内に侵攻した際には、反対に反撃し但馬竹田城をも落とし、山名氏は織田信長に助けを求めた。此の黒井城攻略の主将が明智光秀。      長谷山城:主郭の櫓台土檀 若狭方面・播磨方面からの援軍を併せての二回目(天正6年)の攻撃では圧倒的大軍による戦闘に黒井支城群は次々と落城。黒井城を包囲する付城群は此の時築かれり・落とした城を改修したものでしょう。本陣の茶臼... ...続きを見る

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2011/12/07 13:41
東中城 U
春日ICから野村城の東側を通り、三尾山の東山麓・県道69号線を栗柄峠に向かう街道筋は、黒井城主:赤井直正と明智方に付いた八上城主:波多野秀治の謀叛による”呼び込み戦法”に、明智光秀が命からがら栗柄峠・鼓峠を越えて逃れた道。    副郭櫓台・虎口側より土塁を挟む二重横堀(中央横堀の左手下方に登城虎口!!) ...続きを見る

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2011/12/06 19:11
野村城 U
丹波市の栗住野城や篠山市の大山城の平城や大渕館(土居ノ内)の居館等、平野部に在って珍しく遺構が残る野村城(野村居館)が、黒井城攻めの付城群が東西に並ぶ低丘陵部の北側に在る。城域の北西隅は木寺公民館・城の守護神として祀られた八幡神社境内で農道?と側溝が南北に走る線が西面境界と思えるが、開墾され更に圃場整備等が成され判然としないが、北・東・南隅をコの字形に囲む内堀跡に沿って屈曲した高く分厚い土塁線や、田圃の中に遺される方形櫓台? が明確に遺る掻き上げの城です。    濠跡と土塁が廻る掻き揚げの居館... ...続きを見る

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2011/12/05 00:32
惣山城 U 丹波
明智光秀の丹波”黒井城攻め”付城廻りは、黒井川を挟んで対峙する陣城:茶臼山城を皮切りに、次は少し東へ移動して惣山城に向かいます。小さな溝谷の側から高さ15m程の断崖を呈してそそり立つ露岩の細長い低丘陵(南北約60m・東西約18m程)上には毘沙門堂が建ち、堂内には毘沙門天と大黒天が祀られている。    惣山城主郭東面の腰曲輪から ...続きを見る

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2011/12/04 08:52
茶臼山城 U
R175号を東へ走っていると六反田交差点左手に黒井城跡・春日局の里の立看板を見る。左折して北方に進むと春日庁舎・黒井駅に向かう正面丘陵上に黒井城が望まれます。 六反田交差点を右折して南方への直線道の先に、お椀を逆さにした様な円錐形の低丘陵が見える。明智光秀の丹波黒井城攻めの陣城として、一夜城等の伝説を残す小富士城とともに茶臼山城が在ります。今回オフの訪城初めはJR黒井駅からも近い茶臼山城です。北近畿自動車道を潜り、野村城側を通って栗柄峠を篠山や鼓峠を京丹波町へ通じる県道69号に合流するバイパス... ...続きを見る

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2011/12/03 00:08
前木戸城 U
丹波市内に有っては特異な縄張り・しかも残存状態も良い前木戸(サシド)城へは幾度か訪ねた。今年も年頭に訪城しブログに掲載した城址ですが、早々にも城サイト仲間を案内したいと計画していたオフ会も、諸々都合で延び延びになっていたが、松茸山の止め山も解禁になった11月に実施した。 取付き点近くの二村神社から前木戸城 天正期:明智の丹波攻めに篠山市の八上城籠城戦の包囲網・向城群は城郭研究の専門家・教育委員会・地元協力により報告資料等もあって知られていますが、丹波市の黒井城攻城については、信長公記... ...続きを見る

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2011/12/02 00:03
至山城 丹波市
岩屋山(506m)に在った石龕寺城(岩屋城)は、南北朝期:建武3年と観応2年、都を追われた足利高(尊)氏が二度共に丹波の此処に石龕寺に逃れてきます。丹波攻めの天正7年:最後の城主は広沢綱忠で、援軍として播磨から侵攻の丹羽長秀・細川藤孝等の連合軍に攻められ、久下氏の玉巻城と共に落城。   イタリ山山頂・三角点 主郭!? 石龕寺から長い谷間の岩屋集落内を経て、岩屋谷川が旧佐治川と篠山川が合流する地点に流れ出る。河口迄約300m程の地点には足利高氏が追っての探索を逃れ隠れた二重川伝説の足利橋がある... ...続きを見る

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2011/11/30 00:40
井脇城  船井郡
此処:京丹波町では25ヶ所の山城が確認されていると云う。丹波綾部道路建設に伴う事前調査により、先日は三ノ宮東城の発掘調査現地説明会が行われたところですが、当日は参加出来なかったが後日に出掛け見学してきた。此の城の調査を最後に11月末には道路工事が着手される様ですが、此の丹波綾部道路建設に伴う本格的?発掘事前調査で最初に実施されたのが井脇城だったようです。   井脇城主郭北角の切岸と低土塁 ...続きを見る

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2011/10/28 21:41
三ノ宮東城 船井
此の急斜面で「取付く島もない・・」程に鬱蒼として、獣道ともつかない僅かな踏み跡を侵入口として取付いた藪山の中に、切岸高い曲輪段や最奥に堀切と土塁が地表確認できただけの山城が三ノ宮東城。R9号(山陰道)から府道26号線を繋いでR173号(綾部街道)との合流点:三ノ宮に出てくると、山内氏の三ノ宮城と三ノ宮東城が街道の要衝を挟んで呼応するかのように並んで見える。  主郭の櫓台土塁・手前は礎石建物跡・一輪車側に貯蔵穴 二つの三宮城の関連は不明ですが現在:丹波綾部道路建設の為・事前発掘調査中で、大河ド... ...続きを見る

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2011/10/26 21:15
三ノ宮城
京都府船井郡の旧瑞穂町(現:京丹波町)の三ノ宮に三ノ宮西城と三ノ宮東城を再び訪ねた。三ノ宮東城は以前は次いでに訪ね、猛烈な藪の急斜面を駆け登り、辛うじて高い切岸の曲輪の平坦段と、藪中の大堀切と土塁・竪堀らしい溝が何とか確認出来る程度で、城域の全体像が想像も出来なかったが、道路拡張?(丹波綾部道路)工事の為・発掘調査中、先日・現地説明会が有ったが参加出来ず、しかし調査後は道路工事により消滅の運命のある。 未訪の城なら敢えて見学するつもりは無かったが、石積み虎口や畝状ともとれる竪堀群や柱穴・礎石建... ...続きを見る

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2011/10/20 23:17
八幡山段城
但馬国境近い丹波市最北の宿場:佐治宿から向かうR427号が遠阪峠を但馬:朝来市に越える。現在では遠阪川を挟んでR483号(北近畿豊岡自動車道)が東面の丘陵麓を縫って併走する。連続するトンネル群に山垣トンネルがあり、山垣城の直下を抜けてゆく。足立一族の元祖で武蔵国足立郡を領し、北条氏に仕えた豪族久保田(足立)遠元が足立姓を名乗ったと云われ全国足立家の遠祖とされています。 丹波へは承元3年(1209)佐治郷に地頭職を得て足立遠政が入部し、その後:山垣城を本拠城として周囲には数多くの城砦群が築かれ、... ...続きを見る

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2011/10/15 12:00
井中城  丹波
円通寺砦の二重堀切【尾根を遮断するはずの堀切だが尾根に掛かる部分が浅い!!?】を越え、段々傾斜を増す北への尾根筋を4等三角点峰302mに向かうと井中城が在る。尾根筋に更に関連する城遺構が暗示される。北尾根続きには氷上と青垣の町境には沼城が在る。 芦田氏の沼城も香良合戦の敗戦?後は赤井・荻野氏傘下に組み込まれ、氷上郡(丹波市)領主:黒井城配下の”繋ぎの城”となったか?、敗色濃い砦を後にして・尾根先に次々と拠点を移しながら逃れた”逃げの城”が有るのかも・・・?。何箇所か平坦地形は有るが・・・其れら... ...続きを見る

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2011/10/08 19:32
円通寺砦 U
以前に紹介した円通寺砦を再訪した。季節を変え・取付きを変えたりして訪れると、行く度に遺構に対して違った感慨を持ったり、新発見があったりするものですネ。    小曲輪・帯曲輪の側から落ちる短いが数状の竪堀と竪堀痕を観る 市史や県史は無論の事・遺跡分布地図にも関連図書・古文書等にも表記されていない新発見の城については特に周辺の所在や立地位置にまで思考が届かず、再訪によって少し考え方が違ってくるのかも・・? 冷めた目で推測・確認してみても・やはり不明のままの城砦があるものです・・?。   主郭... ...続きを見る

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2011/10/07 21:00
奥谷城
天寧寺城とは西に約500m程・府道528号線を挟んで奥谷集落の天満宮境内一帯の山林内に奥谷城が在りました。比高20m程の丘陵上の城域ですが、東に大呂谷沿いに金山城山麓を三岳山の東麓を通り坂浦峠をR176号に出て丹後・加悦に向かう街道と、南側足元を西に向かう桐村谷が鹿島神社(北の丘陵には桐村城が在る)側を抜ける山道が但馬・但東町へ通じます。    桐村谷側の車道を見下ろす。見えない裾側にが田圃や谷川があり、切り立つ激写面は体感出来る筈 丹波から丹後・但馬に通じる間道とはいえ、往時は要衝だったの... ...続きを見る

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2011/10/06 10:26
天寧寺城
丹波の古刹:天寧寺の背後の丘陵上に天寧寺城が在りました。金山郷を領した金山氏は常陸国に発祥した大中臣那珂氏の後裔で鎌倉時代末期:大中臣那珂五郎三郎経久(つねひさ)が天田郡佐々木荘下山保(金山・三岳地方等!?)地頭職を任じられ、其の子宗経・盛経ら一族と共に丹波に来住してきたことに始まるとされますが、南北朝期:貞治4年(1365)地頭:大中臣(金山)宗経の嫡男宗泰が足利尊氏に従って上洛し、丹波金山郷に移ったとの説もある様です。     天寧寺城南郭南端:秋葉社を祀る曲輪  三代目大中臣(金山)宗... ...続きを見る

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2011/10/04 20:41
天寧寺
金山郷は鎌倉時代末期:常陸国那珂郡の地頭大中臣那珂五郎三郎経久(つねひさ)が天田郡佐々木荘下山保(金山・三岳地方等!?)地頭職を任じられ、其の子宗経・盛経ら一族と共に貞治4年(1365)足利尊氏に従って上洛し、丹波金山郷に来住してきたことに始まるとされます。その後:嫡流の宗経が金山氏・庶流盛経は桐村氏を名乗り子孫は丹波に土着して戦国時代に至ります。    天寧寺:左から本堂(薬師堂)・開山堂・方丈!!?     福知山市大呂に在る丹波の古刹:紫金山天寧寺(臨済宗妙心寺派)は、宗経の嫡男:三代... ...続きを見る

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2011/10/03 23:34
堂屋敷城
由良川沿いに大江町・宮津市へ向かうR175号線と、牧川沿い・JR山陰線沿いに但馬へ向かうR9号線が分岐する福知山市の牧地区に牧氏居館と牧城を再訪した後、麓から北方に遠く望む緩やかなスカイラインを見せる山稜に向かって、山懐から奥深く谷筋に食込む林道を辿る。   堂屋敷城:段曲輪東端の切岸と露岩の虎口?・右手の帯曲輪が主郭西端の堀切まで延びる 向かう山稜上の三等三角点(点名:堂屋敷? 375m)には、福知山市のWeb遺跡地図で探すと堂屋敷城が在る。実際は三角点峰ではなく、更に広く緩やかな主尾根西... ...続きを見る

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2011/09/30 16:07
平通城 豊能
上杉下所城と共に平通城(岡崎城)もまた、府県境に位置して塩川氏を警戒する能勢氏最前線の城で、天文18年 (1549)塩川氏が能勢郷に侵攻した杵根ノ宮合戦の際には、大きな役割を負った城塞であったと思われます。   土橋付き堀切の北斜面側(自然露岩の散在か?石材は多く見かける) 城史は不明ですが天正7年(1579)織田信長の摂津攻めに織田信澄・塩川伯耆守国満の連合軍によって、能勢町の能勢氏や西郷衆の多くが討死し、 悉くが落城し・残った西郷衆も帰農して終焉する。平通城の城主として岡崎四郎義實・左衛... ...続きを見る

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2011/09/27 20:52
上杉下所城
川辺郡の塩川氏が豊能郡に侵攻して、迎え撃つ能勢氏と配下に付いた能勢の土豪:西郷衆とが合戦に及んだ杵根ノ宮合戦の舞台となった森上城下・岐尼神社から府道602号を南下して以前:上杉城へ訪城した主計(かずさ)坂に着く。今は稲荷坂と呼ばれています。 尾根と並走する竪堀も屈曲し、上方の小曲輪からは横矢も掛かる!! 府道で分断されるが:此の稲荷坂から南へ延びる尾根続き・水晶山?(365m三角点)への主尾根を分ける鞍部から西北へ延び出す丘陵上に上杉下所(しもんじょ)城が在りました。 腰曲輪(左上)から回... ...続きを見る

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2011/09/25 01:08
牧城 福知山
福知山市街地をR9号(山陰道)で抜けて牧川が由良川に合流する近く、牧でR175号(大江町・宮津方面)と分岐する。西北方には丸い低丘陵がR9号線側に覆い被さる様に急激に其の先端を落としています。愛宕社を祀る愛宕山山頂部に牧城が在りました。  牧城:主郭(切岸と空堀が見辛く申し訳ありません) 比高約60m程を山麓の民家傍からは、ほぼ直線的に・しかも急斜面を石段参道が延びています。牧氏居館跡とされる一宮神社側からなら集落内の地区道を抜けて西の墓地への道・下川口簡易浄水施設からも砂利道の参道があり... ...続きを見る

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2011/09/15 19:14
牧氏居館
京都府が埋蔵文化財について、数年前?から再調査されていることは聞いていた。今回:京都府埋蔵文化財研究会においての報告会で、堂屋敷城の近くに今回の調査で検出された城郭があり、報告会に参加された知人よりメールで概略を知らせてもらったので、福知山市のWeb遺跡地図で見慣れた地形図を頼りに行ってみようとスタート地点をR9号と府道175号線の分岐地点にある福知山市牧に向かった。 ...続きを見る

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2011/09/14 20:03
垂水城 豊能
山田城とは垂水の谷を挟んで西南部、南先端を長谷川に落とす点名:向所(4等三角点335m)の尾根が、山田城から西へ続く主尾根と合流する辺りに垂水城が在りました。 山田城からの尾根続き。山田城へのスタート地点とした新宮神社から大日堂を過ぎ、山田城への取り付き地点ともなる林道を詰め上がって行くと、谷の最奥部で二つの城の鞍部に着く筈ですが、林道は途中で行止り。しかも行止り付近で二本に分かれる。    此の堀切状の向は40X25m程の平坦地形(栗林?)が有るだけ!!? 左手の林道は直ぐ墓地で終点。そ... ...続きを見る

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2011/09/12 23:20
山田城 豊能
先日廻った森上城・今西城にも記したが、天文18年(1549)森上城主:能勢小重郎が此の地の郷士西郷衆と篭り、侵攻してきた多田城・山下城の塩川氏と対峙した枳根(岐尼)ノ宮合戦の西郷衆として参戦している山田城主:山田氏は山辺城の大町氏等と共に西郷衆の中でも四天王クラス!!     二郭を分ける大堀切底から主郭(東郭)側の切岸と土塁虎口を望む 森上城からは山田川を挟んで西方に約1.5kmの近場に山田城が在りました。縄張りは単純と云えば単純な土塁囲みの曲輪が二つ並ぶだけ・・・!!?。・・・とはいえ高... ...続きを見る

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2011/09/09 22:06
浮ノ城 豊能
浮ノ城はR173号(能勢街道)で、はらがたわ峠を越えて能勢町山辺地区に下ってくる。玉泉寺付近の西方から府道602号線の山田側へ浮峠を越えるのが池田街道(旧丹州街道)で能勢町下所に下りてくる。現在の能勢街道(丹州街道)R173号でも栗栖から”はらがたわ峠”に向かう「一里松」迄に三度も山辺川を渡る。峠越えの道が渡川せず山裾沿いに通過出来れば・・小さな浮峠を越えるルートが往時の主要街道で有ることに納得!!?。    浮ノ城:主郭北面の腰曲輪切岸と鞍部(手前は西斜面への竪堀) 此の要衝監視・防備の砦... ...続きを見る

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2011/09/07 19:43
湯小屋の森  能勢町
森上城&#12316;今西城へと岐尼神社の前を抜け山裾を府道602号線沿いに、山田川伝いの車道を進む。以前の訪れた山田城の在る丘陵が直ぐ前方に、南には:山辺郡・川西市方面から塩川氏が侵攻し・豊能郡の能勢氏と西郷衆が迎え撃った”杵根ノ宮合戦”の激戦地”山田・稲地の田園風景が拡がる。此処からは見えないが先に控えている三草山に伸び上がってい丘陵先に「長谷の棚田」がある。 府道602号が山田川と交差する地点手前で浮峠に向かう幅狭い車道を見送ると、府道と浮峠道の間に北から突出す低丘陵上に浮ノ城が在る。府... ...続きを見る

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2011/09/06 20:21
今西城 豊能
今西城と森上城は主客顛倒とも思える、元々の森上城は平安時代:天暦年間に築j城されていたらしいが、天文年間に地侍の西郷衆の一:森本氏により改修され、今西城も同時期に築かれ修復されたもののようです。   今西城:西北面の大堀切と外側土塁 宿敵:塩川氏が天文18年(1549)北摂・能勢の地に侵攻した際、枳根庄の領主:西郷衆を束ね指揮した大将:能勢小重郎により、塩川氏を撃退させた「杵根ノ宮合戦」 の主舞台:森本城に拠って以後は能勢氏累代の持城となったものか?。森本氏は主城:森上城の西 僅か150m程... ...続きを見る

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2011/09/05 20:01
森上城 U
森上城・今西城へのスタート地点とした岐尼神社は、嘗ての枳根庄の一つ・森上の地に鎮座する能勢町内に3つある延喜式内社の一つで、摂津源氏・清和源氏の祖:多田源氏の多田満仲が祭神の一柱として祀られる。神社から南へ延びる府道603号(摂丹街道)に出ると、森上・今西・山田・浮ノ城・垂水城・吉村の諸城が望まれる稲地の田園風景が拡がる。天文18年山辺郡の塩川氏が能勢氏の枳根庄に侵攻した際、能勢小重郎が 拠る森上城を中心に展開した枳根(岐尼)ノ宮合戦に、塩川氏が布陣したのが稲地・・  森上城主郭南面に三曲輪を... ...続きを見る

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2011/09/04 19:47
森上城  豊能
R173号(能勢街道)山辺口まで下ってくると左手に能勢富士とも鷹爪山呼ばれる山辺城址を望む。北摂で最大規模の山城です。国道を次の交差点「栗栖」で、前回までは左折して東郷地域の田尻城等を訪城したが、今回は右折してR602号線に入り、500m程の先右手の岐尼神社がスタート地点。交通量が多いが周辺にはJA駐車場以外に路駐スペースも無く、直ぐ先の岐尼(きね)神社の参拝者用駐車場を利用させてもらう。    森上居館の土塁と幅広い空堀 此の北側に迫る丘陵上の尾根続き約150m程を隔てて森上城と今西城の二... ...続きを見る

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2011/09/03 21:39
井内城  豊能
今回・豊能郡能勢町の山城巡りは、能勢・猪名川周辺を中心にキャスリングを楽しむ”イッシー”さんのコーディネートにより吉野城から始め、此の井内城をフィナーレとして廻った。     井内城北端の堀切土塁と主曲輪側の切岸 宿野二区に在る井内城は東隣の宿野一区にある宿野城(未訪)とは約800m程を隔てて呼応する。共に井内孫之進が城主の城とされるようですが、此の城も昭和63年(1988)の高橋成計氏調査により発見された城。天正6年:能勢氏が織田信長に離叛した荒木村重(伊丹市)に付いた為翌年には能勢氏の諸... ...続きを見る

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2011/09/01 18:01
田尻東山城
多田源氏の祖:多田満仲の嫡男頼光を摂津源氏の祖とし、多田ョ綱の孫国基が荘園整理令により永承年間(1046-53)頃・摂津国能勢郡の地(仁和寺領の荘園だったか?)を領して能勢氏を名乗り・一族が田尻荘を本拠として田尻城を築いたものと思えます。      埋もれた浅い空堀に土橋が付く R175号(能勢街道)の栗栖から始まる 府道4号線(茨木能勢線)は、明月峠を越え田尻から猪ノ子峠を経て野間氏の野間郷へ、さらに妙見山の野間峠を越えれば余野氏の里。能勢氏と同族の能勢三惣領【能勢・野間・余野氏】の領地を... ...続きを見る

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2011/08/30 22:40
田尻城 豊能
R175号(能勢街道)の栗栖から府道4号線で明月峠を越えて下田尻へ降りてくる途中の「北脇」付近から南へ入る地区道から長久寺を目指すと、寺院駐車場から左手にある墓所を抜けた背後の丘陵上・寺からの比高約60m程に田尻城が在りました。 明月峠越えの間道と田尻川沿いの要衝で吉野から国境の大槌峠(ひいらぎ峠)越えで亀岡市本梅町に入る。田尻城の城史は不詳ですが能勢氏一族の城だった様で、天正12年頭領:能勢ョ次が秀吉の九州遠征に従軍し不在中の手薄を好機とみた多田城の塩川勢(頭領は山下城の塩川国満)が能勢に... ...続きを見る

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2011/08/29 22:51
吉野城 豊能
堀越峠を越えた上杉地区が旧京都・桑田郡にあって、杉原城は在地領主:中沢氏(長沢氏)の犬甘野城の出城とも推察される”境目の城”で、中澤氏は篠山八上城主:波多野氏の七頭の一人・大山城主の一族です。吉野城も能勢街道(R173)と摂丹街道(R423)の中央を南北に貫き、能勢街道・妙見街道・池田街道・摂丹街道を繋ぐ要衝で、大槌峠(ひいらぎ峠)に在った”吉野の関”を通り本梅町加舎で亀岡市街地や篠山街道を園部方面に分ける要衝の地。加舎には波多野与兵衛尉秀親が拠った数掛山城が在り、其の南玄関口を守備する”境目の... ...続きを見る

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2011/08/27 00:31
杉原城 豊能郡
杉原城については平成14年(2002)能勢町人権広報部発行の「広報のせ」No.462号の文化財への道で、其の存在を知ってはいたが、今回まで訪城の機会を失していた。兵庫県側の猪名川・大阪府能勢の山城へと・地元の山城を皮切りに中世山城に魅せられた同志の誘いも有って、能勢の山城を何箇所か案内してもらった。    複雑な折れを伴う土塁壁沿いに曲輪に入る虎口 府道732号を堀越峠に向かう。むかし妙見山の奥の院から縦走の際・此の峠を横断して北の尾根を歌垣山へ向かった。車道も山道も殆んど変わらず懐かしく思... ...続きを見る

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2011/08/25 09:53
明月砦 豊能郡
篠山市側からデカンショ街道(京街道)を通リ、R173号(能勢街道)で”はらがたわトンネル”を抜けると大阪府豊能郡能勢町に入る。山間の細長い盆地を平野部に下りてくると山辺・栗栖の交差点。 ...続きを見る

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2011/08/21 12:24
六十内城
先日は和久川沿い(丹後街道・丹波街道)の北に位置する姫髪山城を訪ねたが、今回もT氏・M氏より姫髪山から北方への尾根続き、牧川沿い(山陰街道)を見下ろす位置にある六十内(むそち)城への同行を誘われ出掛けた。 此の日は六十内城の次に寄るだろうと思えた和久川側の山崎城傍を抜け十三丘(とみおか)集落から牧川沿いの9号線(山陰街道)に出たが、十三丘集落からJR上川口駅へと牧川を渡らずに山陰道を東西に通じる間道があり、対向車を気にしながらの幅狭い林道然の間道を抜け出た所が上川口駅のある六十内集落。   ... ...続きを見る

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2011/08/18 23:10
姫髪山城 U
福知山市内の古刹:もみじの寺としても有名な長安寺の背山に姫髪山があり、”丹波大文字”とも呼ばれ親しまれている市のランドマーク。嘗て此の山頂406mに姫髪山城が在って、城主の娘と家老の恋の伝説も残されると云うが、広過ぎる!!?平坦地形の山頂部を山城としたレポートはまだ知らない。 ...続きを見る

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2011/08/15 17:57
岡安支城
大浦半島を分ける底辺?のR27号線(丹後街道)の沿って、志楽川に小倉城や、以前に河辺川沿いの観音寺城等を廻ったが、其の中間部の朝来川沿いの城を廻ってみた。兵庫丹波・但馬なら朝来は旧朝来郡・現:朝来市・朝来町・・・天空の城「竹田城」も此の朝来(あさご)市に有りますが、丹後舞鶴の此処では朝来=「あせく」と呼ばれますが語源や由来は知らない。 ...続きを見る

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2011/08/12 09:17
小倉城 舞鶴市
巨大中央権力による地方豪族を匪賊として退治する構図は、崇神天皇の時代:土蜘蛛族の頭領陸耳御笠(くがみみみかさ)と匹女(ひきめ)等を、朝廷の討伐官軍の将は日子座王(ヒコイマスノキミ・崇神天皇の弟)が追討し、此の伝説が平安時代・多田源氏の祖:多田満仲の子で摂関家 ・藤原家に仕えた源頼光の大江山鬼退治に引きき継がれます。 今回訪れた舞鶴市の志楽川は源を青葉山(若狭富士と呼ばれる若狭・丹後境界の山)に発し、この山に篭る陸耳御笠を撃ち・戦場となった小倉に血原(千原)の小字が残ると云う。 陸耳御笠と匹女は... ...続きを見る

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2011/08/10 21:12
小倉城北尾根遺構?
小倉城から北に延びる主尾根から北西に落ち込む短い枝尾根の先端部に小倉中庵城と小倉薬師城が在りました。 ...続きを見る

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2011/08/09 08:01
小倉薬師城
小倉薬師城へは小倉中庵城から尾根伝に主尾根に出て、西へ延びる短い枝尾根を辿ってみるつもりだったが、中庵城からの枝尾根から主尾根までには短いが、羊歯の海に溺れ・倒木の大波に・また刺の多い弦木の敗れた網を避けながらの悪戦苦闘。 思いの外 広い主尾根筋は緩斜面が続くだけに左右の枝尾根筋は判り辛く、薬師城へと思える枝尾根筋を探しあぐねた。羊歯類は益々深く・荊棘の弦に遮断され進行を阻止され、小倉城を訪城後に再トライしたが結果は小倉谷の林道まで降りて、石仏が祀られる谷間の南側から丘陵上の城址を再度下方から... ...続きを見る

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2011/08/08 19:07
小倉中庵城
舞鶴若狭自動車道の全線無料化実験は終了(H23.6.19)したが、間際になって東舞鶴と若狭小浜近辺の山城を幾度か訪ねる事が出来た。計画予定日が雨で順延・・気になる見残した山城の幾つかを訪ねてみようと、通い慣れた!!?東舞鶴ICを降りて府道28号線に出る。    此の主郭部の切岸を見て ヤッと城址に着いた事を実感の小規模城郭(砦) 溝尻城を左手に「堂奥」交差点からの長い直線道路をR27号(丹後街道)との交差点「小倉」の東約50m程で直ぐ山間に入っていくような幅狭い小倉地区内に入っていく。重文の... ...続きを見る

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2011/08/07 23:50
法泉寺曲輪(仮)
氷上回廊が延びる佐治川(現:加古川)沿いR175号線を西に見て、氷上町と柏原町を分ける低丘陵が南北に走る。其の尾根北端が柏原川とR175号線の落ち込むところに母坪城が在り、妙見・泉山と城砦群を連ねて最高ピーク208mの鴨野城を経て萱刈坂に繋ぎ、此処からもピーク毎?に城塞遺構の平坦地形を残しながら高見城山へと伸び上がる。      中央:法泉寺曲輪(仮)と鴨野城(右上) 鴨野城と其の主尾根が萱刈坂(県道290号)に延びる尾根上に鴨野城出曲輪の(仮称)谷屋砦が在り【ブログでは→http://40... ...続きを見る

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2011/08/01 23:54
加茂堡 小浜市
小浜市宮川地区に入り宮川公民館前から竹長城・野木川を隔て新保山城へ、龍泉寺前から賀羅岳城(ガラガラ城)を訪城して、 良継寺に引返し宮川公民館まで戻ってきたが行動時間には少し余裕が有るので、最初に登った竹長城の尾根から望む真近の加茂堡 (加茂城)に向かう。 ...続きを見る

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2011/07/31 19:52
賀羅岳城 小浜
賀羅(キャラ)岳城については・・・福井埋蔵文化財の遺跡分布地図は298m三角点峰【従来からの?賀羅岳城】をガラガラ城(遺跡概要には土塁・堀切・竪堀・虎口)とあり、その尾根続きの南・直線距離で約800mにある239m峰を賀羅岳山城(今回未訪・遺跡概要は空白のまま)として表記されています。    主郭北端の大土塁 現状では本保の長英寺背後の丘陵上に在る城を従来からの!!??賀羅岳城=ガラガラ城(298m) とします。築城時期・築城主等の城史について不明ですが後日・調査等により見直し・修正が必要と... ...続きを見る

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2011/07/28 20:44
後川砦 篠山
いつもコメントを戴く猪名川のイッシーさんからのお誘いで、丹波篠山市側から県道12号線(川西篠山線)を古阪峠に向かう。古阪峠を城東トンネルで抜ける丘陵上に後川砦が在りました。 ...続きを見る

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2011/07/24 23:41
新保山城 小浜
竹長城とは野木川を隔てた東北方に甍を白く輝かせる龍泉寺の大屋根が見える。その背山から北へ延び上がる尾根上に新保山城(霞美ヶ城)が在りました。新保山城は4等三角点の新保山(287m南郭)&#12316;主郭&#12316;最高所の北郭(293m)へと堀切で区分された三郭部と、主郭から西の尾根にも・幅狭い尾根先には、先の三郭以上に広い幅を持つ平坦地形10数段が在る。此の西郭部は居住性が高く堀切は無いが横堀らしい遺構が下部に有った。  新保山城(霞美ヶ城)主郭の低土塁 ...続きを見る

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2011/07/23 22:15
竹長城 小浜市
高浜町(滋賀県)からの若狭街道、三方五湖方面からJR小浜線とR27号線沿いの丹後街道が合流して小浜市街地へと西に向かうと、国分寺跡や舟塚古墳等の古文化・遺跡が点在する。    竹長城へは公民館前の激急斜面に取付く・・・ ”東市場”近辺・JR東小浜駅から北へ向かう県道219号線は若狭幹線の広域林道を越えて若狭湾・世久見湾沿いに走るR162号線に出る。幹線林道尾根上を西に走れば天ヶ城へ尾根続きの阿納トンネルを小浜湾に出る。野木川沿いの県道219号線を山に囲まれた宮川地区に入ってくると宮川地区内の... ...続きを見る

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2011/07/21 07:25
天ヶ城 小浜市
古刹:羽賀寺の背山に小浜市の西津地区では最高峰の天ヶ城山(天下城山 3等 266m)が在り、福谷・北塩谷の総合公園や羽賀寺から登山コースが整備されています。南尾根の羽賀寺から・西尾根の福谷・奈胡集落背後を東尾根が若狭幹線林道・阿納トンネルへと、三方からの尾根を繋げるジャンクション・ピークの山頂に主郭の櫓台を置く天ヶ城が在りました。     土塁で囲まれた北郭から北へ延び出す平坦地形は曲輪段跡!!? 築城時期は不明ですが、現状遺る遺構は若狭国守護武田氏家臣内藤筑前守勝高が天文年間(1532-5... ...続きを見る

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2011/07/20 00:06
達城 大飯郡
若狭国大飯郡本郷を本願地とした有力国人本郷氏は、承久の乱 (1221)後:新補地頭職に任じられた美作左近太夫朝親が入部し本郷朝親を名乗り初代となり、以後は在地勢力として室町時代には足利氏に属し、経済や軍事面でも大きな力をもってきます。現在も大飯町の中心地:本郷と温泉施設”あみーしゃん大飯”の間、佐分利川沿い南北に延びる丘陵上に達城が在りました。   土橋付き堀切と思えたが微妙に?(堀切巾程のズレは自然地形によるものか)食い違う。堀切で無ければ左右の竪堀というより片堀切 一方:安芸国守護:武田... ...続きを見る

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2011/07/15 22:15
白石山城 大飯
JR小浜線の若狭和田駅の東に「馬居寺」への道標案内板を見て、谷間の奥に向かう幅狭い地区道を進む。御詠歌に君が馬 居りし昔の名をとめて・・・とあり、寺の縁起によると、聖徳太子伝説の霊地として・太子による開創を伝える若狭でも最古の古刹です。此の馬居寺の西背山の頂部に白石山城が在りました。    主郭部:主曲輪側の土塁・空堀 ...続きを見る

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2011/07/12 20:46
石山城 大飯郡
舞鶴若狭自動車道の大飯・高浜ICの料金所ゲートからも、東方の丘陵北麓を抜けて行く自動車道高架側・石山地区の南背後に在って、 其の先端部は自動車道工事によって削り落とされ地肌を見せる崖上から南北に延びる尾根上に築かれた石山城の位置は直ぐ確認出来る。    主郭の仕切土塁:最高所の土塁上は櫓台、自然石・露岩を取込み石積み部も有る様子? 若狭守護職として武田氏が入国以前より、大飯郡佐分利郷に勢力を持つ国人武藤氏は、応仁の乱以後・武田氏の領国化で其の配下に組み入れられます。武藤氏は武田四老の一人(高... ...続きを見る

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2011/07/09 23:42
柿安城 舞鶴市
東西に舞鶴市と福井県高浜町を境する大浦半島を、南北に分ける府道561号線を河辺川沿いに走り、観音寺城・河辺原城・西屋城と廻り、河辺川が舞鶴湾(東港)に流れ出る平の湾に落ち込む断崖上の丘陵部に在る中田城・柿安城に向かった。戦後の引揚げ船の拠点として最期まで残されたのが岸壁の母の舞台「舞鶴引揚げ港」で其の報道・記録映像に映るのが平の桟橋。   柿安城北郭:尾根続きの土塁 此の風景と湾の入口から西大浦を繋ぐ鋼鉄の白い斜張橋の舞鶴クレインブリッジ(鶴の橋)を眼下の望む海の城が中田城と尾根続きに僅か1... ...続きを見る

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2011/07/07 18:19
中田城 舞鶴市
舞鶴市の東舞鶴湾の北方:大浦半島西南の舞鶴湾(東港)に架かる鋼鉄の白い斜張橋の舞鶴クレインブリッジ(鶴の橋:全長735m)を右手に見送り、 新大波トンネルを抜けると終戦後の”引き揚船”拠点地の一つで、”岸壁の母”で知られます。【岸壁の母モデルは関東の人・平桟橋で待つ人もあったでしょうが、舞台は東舞鶴駅から近い五条桟橋ではなかったか!!?】国内に最後まで残された”舞鶴引き揚げ港”で、平の桟橋(復元)や”引き揚げ記念館”の側が河辺川が舞鶴湾(平湾)に流れ出る河口。   中田城最南端の曲輪切岸 ... ...続きを見る

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2011/07/06 20:02
西屋城 舞鶴市
舞鶴市の東北部:大浦半島西南の舞鶴湾(東港)に架かる舞鶴クレインブリッジを右手に見送り、 新大波トンネルを抜けると平の桟橋や”引き揚げ記念館”に出るが河辺川が此処に流れ出る。東北の若狭湾に抜け出る府道561号線の河辺川沿いに観音寺城や河辺原城を訪ね、続けて西屋城へも寄ってみる。      空堀土塁を越えて西屋城主郭に入る 鵺退治”シノビ竹”伝説が残る旧加佐郡志楽庄は、源頼政が此の恩賞に賜った所領で、西屋城は河辺谷の中程に位置して、其の古城ともされる様です?。当人が来郷することも無かったと思え... ...続きを見る

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2011/07/05 20:01
河辺原城 舞鶴
河辺原城へは観音寺城の前に登るつもりでいたが、目標地点の卍マークの寺院が分からないまま、よく似た山容地形・山麓の橋まで有って間違えて西の丘陵上をさ迷った挙げ句、残念して下山してきた経緯がある。     観音寺城から河辺谷に降りてきて正面(谷を挟んで間違え登った丘陵の東隣)の山に向かった。幸にも山上部に関電鉄塔が二基あるので巡視路が見つかれば楽勝・・・・山麓を廻り巡視路(火力線No23とNo24)をみつけた。火力線とは大浦半島の西端・松ヶ崎にある”舞鶴火力発電所”の事でしょう。    西郭(... ...続きを見る

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2011/07/04 00:03
観音寺城 舞鶴
河辺川沿いの府道561号線が大浦半島を南北に分けるように西南の舞鶴湾から東北の若狭湾に抜け出る。多禰寺方面に向かう21号線と分岐する「平」から福井県境に向かう561号線沿いの河辺谷は旧加佐郡志楽庄で、平安時代末期:鵺退治で有名な源頼政の知行した地で、この鵺を射た矢が此の地「河辺由里&#12316;観音寺」付近で採れる”シノビ竹”だったとも伝えられるところです。もっとも”河辺xxxx”・・と河辺を付けての名は江戸j時代に入ってからと云います。   主郭北方を囲む土塁と土塁虎口部(曲輪へは切岸(1... ...続きを見る

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2011/07/01 18:03
観音寺 舞鶴市
新潟や小樽を繋ぐ新日本海フエリー発着の前島埠頭を目前に潮路通りの公園には、抑留されていた人々が帰還する引き揚げ船を待つ”岸壁の母”で知られる五条桟橋(浮き桟橋)が在った。東舞鶴駅から程近い桟橋だったが、その後引揚げ船入港場所が変更された現引揚記念館と桟橋等が報道・記録・映画・歌の採り上がられているのですが、記念館にその間の事情等説明がされているかは知らない。    観音寺城:土橋付き堀切と主郭切岸    府道21号線は東舞鶴病院南で朝来川沿い・青葉(若狭富士)山麓公園ゲート前を抜けてR27号... ...続きを見る

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2011/06/30 22:12
茶磨山城 小浜
小浜城の東約 1.3km地点には北方から江古川が丘陵裾を鋭角に屈曲して、北川に並走して西の小浜湾に流れ出ます。江古川が大きく流れを変える地点・北方から南面の江古川に其の先端を落とす独立山塊が有り、南山麓の丸山集落の背山135m峰(4等3角点標石が主郭内に埋まる)には、城史の詳細は不明ですが室町時代末の弘治年中(1555-58)内藤兵庫の拠ったと伝えられる茶磨山城(丸山城)が在りました。      主郭部北曲輪(周囲を分厚い土塁囲みの曲輪中央に連絡通路の上り土塁) 城の南面は低丘陵ながら比高1... ...続きを見る

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2011/06/26 20:36
大塩城(田縄城)
永禄5年(1562)先のブログで紹介した稲岡城に比定される湯岡城の南部石見守に攻められ、落城した城に大塩長門守の拠る田縄城(大塩城) が在りました。しかし勝った湯岡城の土橋だけ?の遺構に比べ、大塩城の其れは、土塁囲みの曲輪に見事な虎口・中仕切土塁・堀切は3&#12316;4の土塁で仕切られた西日本では珍しい障子堀の遺構を残こす。 主郭部(副郭)の横矢の掛かる通路を経て・一折れして入る低土塁虎口部 若狭守護武田氏は此れまでにも応仁の乱後の和睦に・一色氏に丹後国を返還して後処理では家臣団と足並が... ...続きを見る

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2011/06/24 20:27
湯岡城 小浜市
湯岡城は後瀬山城から南への尾根を辿れば225m三角点の最高所から東へと尾根続き。山城めぐりの登山コースとしては良さそうですが、遠距離では時間的余裕も無い。・・・と云って土地勘も無く、勝手知らない地では、車での取付き点探しには何時も苦労する。 後瀬山城の登山口からはR26号線沿いに約1.2km程なので、車を置いて此処からスタートする。伏原と湯岡交差点の粗中間点で、一つ南側の地区道を入った熊野神社から・・丘陵上の水道施設(大きな貯水槽)は南川沿いのR162号線側からは、緩やかな丘陵を伸ばして南川に... ...続きを見る

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2011/06/22 20:53
後瀬山城 小浜
後瀬山(のちせやま)城はJR小浜駅の南西約km、R27号線の後瀬山トンネル東口を出て直ぐ、左折した神社境内から、主郭に祀られる愛宕神社へと参道山道が通じています。昨年秋にも寄ったがは・国指定史跡とはいえ、松茸シーズンだったので訪城を躊躇し諦めたが、登ってもよかったのかも・・・? ...続きを見る

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2011/06/21 19:58
片山城 東舞鶴
東舞鶴市街地の行永と溝尻の間・与保呂川と伯母谷川に挟まれた南北約1.5km程の低丘陵尾根の南端、府立養護学校分校・舞鶴医療センターの東に在る行永大迫城を先に紹介しましたが、北の端には片山城が在りました。JR東舞鶴駅南口の南浜町から、府道51号線を東に渡り、北浜町の東側流れる与保呂川に架かる丸山橋を渡った所に霊園が有るので、其処から比高も4−50m程の稜線?に登着けるだろうと考えたが、住宅地内・私道には入っ行けないので、徒歩で与保呂川沿いに丘陵北末端部を回り込んでみた。 霊園前から急に狭くなる車... ...続きを見る

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2011/06/18 23:12
行永大迫城
東舞鶴の山城では先に与保呂川沿いに日向城・殿村城・常城・芥子谷城・亀岩城等を紹介し、伯母谷川沿いの溝尻城と其の支城をブログとHPに紹介しましたが、与保呂川が亀岩城麓で北に流れを変え、伯母谷川と平行に舞鶴湾に流れ出ていきます。 二つの川に挟まれて東西約1.5km・標高も高いところで110mの低丘陵が有り、其の南端部に行永大迫城(行永大宮城)が在り、丘陵尾根北先端部のピーク81mには片山城が在りました。与保呂川沿いの南二派亀岩城・東北へ伯母谷川を渡れば溝尻も近い。共に幻の倉梯城(永正14年 (15... ...続きを見る

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2011/06/17 18:57
十念嶽城 若狭
十念嶽城は砕導山城の東約1.5km程の位置・R27号線を跨いで大飯・高浜ICへ向かう県道16号線を越えて東へ走る。     山頂主郭の南尾根側を半周する低土塁 カサハラ川(漢字表示名が記されていると思われる西詰めの親柱を見ていないが笠原か?)に架かる丸山橋を渡ると前方・川筋北方にJR小浜線・国道が並走する位置へ、伸びだし落ちる低丘陵が見える。尾根の北に4等三角点のピークには粟屋氏の城塞とされる十念嶽城(十念岳砦・粟屋氏出城の別名がある)が在りました。 山頂部の一部を除き・特に南尾根側は猛烈... ...続きを見る

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2011/06/13 20:52
砕導山城 若狭
R27号線沿い・JR若狭高浜駅の北方に若狭高浜町のランドマーク:明鏡洞と高浜城が在り、南には式内社の佐伎治神社が鎮座する。此の佐伎治神社から妙見山(砕導山)山頂の妙見宮へと、参道が通じています。此の妙見宮に主郭を置く砕導山城は守護:若狭武田氏の重臣逸見昌経が、武田氏に対し叛乱を起こして立て篭った城。    砕導山城(妙見堂主郭)の虎口?受け曲輪 武田氏に四度も違乱し、其の度に敗北を期すが勢力を盛り返す。砕導山城は逸見昌経が丹波守護代:八木城主の内藤宗勝(松永長頼:松永久秀の実弟)軍の援軍を得... ...続きを見る

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2011/06/12 21:28
若狭高浜城 2
舞鶴市の東舞鶴に幾つかの山城を訪ねていくと、丹後の守護代:延永春信が若狭国守護:武田氏と戦った幻の倉梯城としての溝城城や亀岩城・芥子谷城に行き当たる!!。     高浜城・三ノ丸から灯台をへて岩場を海辺へ降りられる 永正14年(1517)若狭守護代:逸見(へんみ)氏は丹後守護代延永春信と謀り、武田氏を攻撃するが、守護:武田氏は幕府の救援を求め、連合軍の朝倉氏・朽木氏に追われて逸見氏勢力は失墜。丹後国に敗走して倉梯城 (庫橋城)に籠城して抗戦した延永春信は敗死。武田氏の有力家臣でありながら、そ... ...続きを見る

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2011/06/10 23:46
森城 舞鶴市
東舞鶴公園の周辺には先に紹介の芥子谷城・亀岩城(行永城)や行永青山城・今回の森城(藁谷城)が在る。「牧野河内守樣高付覚」に:行永村(森城の在る森村の東南部!!)に四つの古城【茶摩山&lt;亀山城!?&gt;・なへん地&lt;行永青山城!?&gt;・芥子谷&lt;芥子谷城!?&gt;・馬場&lt;森城!?&gt;】を挙げるが、茶摩山の上羽丹波守以外は城主不明という。     森城:西斜面の帯曲輪から落ちる畝状竪掘群 320" height="213" class="up-image" alt=... ...続きを見る

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2011/06/08 23:05
行永青山城
前回は常城・木ノ下城の探索には取付点探し等に随分と手間取り、少々バテ気味だったので、丸山公園(東舞鶴公園)周辺の城砦をロケハンして廻った。テニス・コート、子供遊戯施設の側から展望台に登ってみて、眼下の赤迫池の上方に行永青山城を見たが、 公園南側の住宅地からは入り込む余地無さそうで、今回は府道487号線の起点となる亀岩交差点から府道51号線を椿川沿いに、丘陵の南側から取り付いた。   行永青山城:帯曲輪から落ちる6&#12316;7本の畝状竪堀群をみる 行永には四つの古城【茶摩山&lt;亀山城... ...続きを見る

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2011/06/07 21:39
亀岩城 舞鶴
舞鶴市行永の亀岩城(行永城・倉橋城)は、城名からも・当初は倉橋(倉梯)郷の領主は丹後守護職一色氏の守護代:延永氏か其の家臣が拠った城でしょう。守護一色氏の勢力が弱体化する中で起こった、若狭武田方の守護代:逸見氏と図ったクーデターも、管領細川氏や援軍朝倉氏等の武田氏連合軍に敗れ、幻の倉梯城(溝城城・芥子谷城・亀岩城が推則されています)に延永氏は敗死。    北尾根の曲輪(古墓地)から主郭へ・・数段の曲輪は断崖状の激急斜面で切岸も高い ...続きを見る

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2011/06/03 21:56
芥子谷城
東舞鶴公園(丸山公園)から東へ500m程・与保呂川沿いに府道487号線を下って亀岩交差点に出る。 此処に亀岩城(行永城)が在る。鶴の地(舞鶴市)を訪ねて亀の城(亀岩城)とは縁起が良さそうですが、ひと足先に訪ねた小さな二つの城(先にブログで紹介の常城と木ノ下城)の訪城に悪戦・苦闘で少々バテ気味のうえ、此の亀岩城は直ぐ分かるが、道幅狭い地区道を車で入っていく勇気も、狭い路上スペースに駐車する決心もつかないまま、取り敢えず東舞鶴公園から歩いて、周辺の山城への取付き点探しのロケハンで、後の半日を潰して... ...続きを見る

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2011/06/02 21:59
木ノ下城
訪城では・何んということなく、短絡にしかも簡易に行き着ける低丘陵上の山城ながら、取付き点が分からないばかりに、とんでもないルートを選択して悪戦苦闘・艱難辛苦の末に辿り着くが、苦労多い割りには余り報われない。砦規模の小さな山城の僅かな遺構だけでも確認できれば良し・・とする結果の城は結構多い。         木ノ下城の堀切 ...続きを見る

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2011/05/31 20:49
常城 舞鶴市
舞鶴若狭自動車道で行永トンネル、続いて木ノ下トンネルを出ると、与保呂川を渡って直ぐ東舞鶴ICを降りる。舞鶴自自動車動沿いに南下すると府道487号線に出る。左折して与保呂川を遡ると、直ぐ与保呂小学校前を抜ける。南方に殿村城・殿村支城の在る山稜を望み、その先・日尾池姫神社を右前方の杜に見て、左手に日向城・与保呂川沿い最奥に在る桂城を前回までのブログで紹介・HPにアップしています。→ ”蛇切岩”伝説と与保呂川の山城     土塁と堀切内の土橋・上り土塁を常城の主郭に入る 舞鶴自動車道高架下:府道4... ...続きを見る

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2011/05/30 20:56
殿村支城
与保呂小学校の南方・報恩寺背後の丘陵頂部愛宕山(点名:生水229m)の殿村城が、殿村城から北尾根を約300m程下った位置に殿村支城が在りました。地誌に中世波賀隠岐守が拠ったという上与保呂城(殿村城)があり、小字国居(殿村支城のことか?)には時岡源之丞の別城があったと伝えます。養老山報恩寺(臨済宗天竜寺派)は南北朝期の康歴元年(1379)普明国師の開山を伝える古刹。”殿村”と呼ばれるのは報恩寺周辺の様で当然・取付き点の第一候補だが、寺から尾根への取り付きは無理っぽい。  尾根続き山側の... ...続きを見る

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2011/05/29 13:12
殿村城 舞鶴
殿村城は上与保呂村の入口に位置し、北に日向城・西には菅坂川を挟んで木ノ下城と呼応する位置に在って、菅坂峠を越えれば丹波綾部市の上林郷に到る。丹後街道の要衝を小倉(R27号線)から堂奥(府道28号:祖母谷川沿い・市内最大級の規模をもつ溝尻城が在る)をへて与保呂川沿い(府道487号)の、下与保呂村・上与保呂村の分岐点に降りてくる。殿村城・殿村支城や木ノ下城は此の要衝を正面に監視出来る位置。     殿村城東郭の切岸と愛宕社 ...続きを見る

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2011/05/28 23:26
日向城 舞鶴
与保呂桂城を降りてきて「羽賀谷橋」を渡り、日尾池姫神社から続く桜並木の沿道を西に進むと、北方の点名:羽賀谷(319m)から南西へ延び出す尾根先が台形の稜線を見せる。丘陵尾根は急斜面となり、先端部を与保呂川に落とすが、台形に見える緩斜面上の東西約100m程の尾根の前後を堀切で遮断して城域を確保する日向城が在りました。   日向城:尾根側の大堀切 ...続きを見る

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2011/05/26 22:06
与保呂桂城
美女が大蛇に化身する蛇切岩の伝説が与保呂川の氾濫や治水に関連するだけでなく、金属・とりわけ製鉄・精錬に関係してくる事は、三つに分かれた大蛇の尻尾を祀った大森神社&gt;(弥加宜神社・近くには単郭の城館ながら周囲を畝状竪堀で堅める森城が在る)は金属の神。胴を祀る堂田神社の近くには亀岩城(行永城)があり、頭は与保呂川上流の日尾池姫神社(蛇頭松姫大神)が在る。 与保呂桂城は此の日尾池姫神社の400m程上流に岸谷ダムと浄水センタがある。此処から林道?を400m程進むと桂貯水池に着く。桂・岸谷の二つの貯... ...続きを見る

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2011/05/25 20:51
溝尻支城
宮谷山(4等三角点)山頂部に築かれた溝尻城の尾根続き、南尾根先には堂奥城が其の大手口を守備し、南西へ延び出す尾根末端部を溝尻集落に落とす、先端ピークには溝尻支城が築かれて、其の搦手口?を防禦しているようです。      溝尻支城主曲輪東下の土橋+上り土塁付き堀切 東西二箇所の登城口を守る堂奥城と溝尻支城は、本城の尾根続き先端部に築造された出曲輪というより、共に城域の尾根両端を堀切で遮断して独立性を持たせ、階段状に曲輪を並べただけ!?の支城です。   主曲輪から末端の送電線鉄塔を置く曲輪まで... ...続きを見る

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2011/05/21 21:00
堂奥城 東舞鶴
舞鶴市内最大規模を誇る溝尻城の城主とされる矢野氏については、丹後守護一色氏の家臣で守護代の延永氏が若狭武田氏との合戦に、敗死し没落・衰退するが、同じ倉梯郷を領していた矢野氏が在地領主として拠ったといわれます。なぜ領内に二つの勢力?が有ったのか・それ以前の詳細が不詳ですが、勝手な!!?一つの仮説を立ててみると山頂北郭に祀られる妙見大菩薩や、倉梯山南山麓の与保呂川流域に残る日尾池姫神社の大蛇伝説等・・・詳細は割愛しますが・・どちらも鉱山採石関連に行き着きます!!?。    土橋付堀切から斜上する登... ...続きを見る

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2011/05/20 23:24
溝尻城  舞鶴
溝尻城は舞鶴市屈指の・・・というより、宮谷山山頂に溝尻城主郭を置き、南尾根先に堂奥城・南西尾根上に溝尻支城と・・二つの支城を大手道と搦手道に配し、山域全体を城塞化している、市内最大規模の城郭として知られる様です。城主は矢野氏とされますが・不明点も多い謎の一族累代を伝える様です。  溝尻城主郭西北尾根:土橋付堀切と竪堀間は竪土塁!!(ホントはもっと急傾斜) ・・・・が山城を目指した城郭フアンも愛宕社を祀る主郭背後の櫓台を下り、其の切岸下の妙見宮を祀る北郭(広く長く平坦な曲輪の北端に、宮谷山の4... ...続きを見る

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2011/05/18 22:27
堂奥ニノ谷城  舞鶴市
半日程度の余裕では余り遠出も出来ないが、舞鶴若狭自動車道を福知山・綾部以北へホンとに久し振り・・・に走り、東舞鶴インターチェンジを降りると、ゲートの真正面に宮谷山(4等三角点 200m)が見える。山の名:まして低山の点標名など・・峰続きに縦走もできず!? 登山対象にもならない山。   尾根幅は狭いが・堀切は深く左右の激急斜な谷に落ち込む しかし此の山には舞鶴市でも最大規模の城郭が在りました。若狭守護:武田氏と丹後守護:一色氏とは因縁の争いが絶えず、特に若狭国境に近い東舞鶴側に一色氏の城砦群が... ...続きを見る

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2011/05/14 22:39
大河城 丹波市
京の都に境して京都丹波・兵庫丹波は、丹後・但馬・播磨を繋ぐ要衝で、地方との産業・文化の交差点ともなっていますが、都での権力闘争に敗れ京を追われた敗者が真っ先に選ぶ逃避先。其の追ってもまた丹波に侵攻し戦いの絶える時期は殆んど無かったかも・・・?     大河城低郭(南郭)の南面:帯曲輪の石垣 足利高氏や細川氏の内紛・先日ブログ荒神山城の足利義尹等で・・・丹波の地侍を頼っての逃走は、丹波内にも多くの呼応する諸城砦群と・其れに対峙する諸城砦が築かれ、中世城郭数は全国でも有数の残存城砦の保有地帯・・... ...続きを見る

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2011/05/12 09:22
黒鼠子佐渡守屋敷 丹波市
丹波市山南町内に仮称を含め中世&#12316;近世城址・居館・陣屋は25件程ありますが、町史・山南町の「文化財のすがた」には太田城(鍋倉城)・玉巻城(久下城)・岩屋城(石龕寺城)・岩尾城(和田城)と和田代官所が載せてあるだけです。篠山川を挟んで太田城の北に在る大河城を後日紹介しますが、此の大河城の登城口には黒鼠子佐渡守屋敷が在りました。     「おおか洗居場」(親水公園!?)から鍋倉城(太田城)を遠望 大河地区北の谷川(八ノ瀬谷)の山中に黒鼠子(こくそうし)明神【国相守大明神】が祀られてい... ...続きを見る

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2011/05/10 19:36
下滝城 丹波市
JR福知山線下り列車が下滝駅に着く直ぐ手前・篠山川に、今では珍しくなった「広田の吊り橋」が架かる。上流には丹波竜化石の発掘現場が有りますが、此処から広田の吊り橋・・・更に無形文化財の神楽が奉納される青田大歳神社付近にかけての、川床・両岸の岩盤に注目すれば、甌穴(ポットホール)を幾つも観察出来ます。広田の吊り橋を渡りJR踏切りを越えれ県道77号線に出ます。北東角の山裾に小さな森の様な丘陵先端部が見えてきます。 ...続きを見る

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2011/05/09 23:46
切岸山城
福知山市堀の成美学園(福知山女子高・創成大学・京都短大・成美高校(旧:福知山商業高校)の南側低丘陵の、 創成大学南面の広い谷を挟む東西の枝尾根上に荒神山城と切岸山城b&gt;が在りました。谷正面奥の主尾根筋の最高ピーク(標高160m)も広い平坦地ですが、尾根筋東下に城遺構の土橋付き大堀切があり、土橋状の尾根筋北面に荒れた広い緩斜面の平坦段が2&#12316;3段続きく。    土橋付き堀切:此処がホントの切岸山城(五郎殿山)か? 160mピーク東 市の遺跡地図には二つの城址間の160mピー... ...続きを見る

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2011/05/05 22:47
荒神山城
陸上自衛隊福知山駐屯地の在る丘陵台地の南側に京都創成大学・京都短大が建つ。市の遺跡地図には背後の丘陵部・主尾根にかけて切岸山城が在る。取付き点はキャンパスの外環車道から校域を抜けでた所の平和墓地公園からになるでしょう。 また京都創成大学・京都短大の北正門?(貯水池が有る)西隣が福知山女子高で、此の背山の荒神山城が在りました。標高僅かCa85mだが、北方に高い丘陵は直近にある自衛隊福知山駐屯の台地Ca50mを除いて展望を遮断するものは少なく、藪山でなければ福知山市街地の眺望は良い筈!!です。 ... ...続きを見る

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2011/05/04 23:56
日置城 福知山
福知山市夜久野町の千原やR9号線・牧川沿いの諸城を昨年の同時期に訪ねたが、今回:神谷城から日置城を廻った。山を観れば山城が判ると豪語され・殆んど知られることもない無名?の山城をライフワークとして、夜久野周辺の城砦群を隈無く攻め終えられている城フアンの方でも、日置(へき)城は未訪の様です。     日置城南郭(主郭)切岸と南曲輪 山城としては何故これ程までに?里からは余りにも遠く・峻険な山上に在る日置城ですが、標高(329m)でも劣る無名の峰々は登山対象としても魅力が無いのか?、「山あそ」(島... ...続きを見る

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2011/05/02 21:54
神谷城 福知山
R9号線沿いJR下夜久野駅周辺の山城群を昨年も、同時期に井田城・荒神城・鳴岩城を訪ねているが、神谷城は牧川を挟んで南に位置し、北方正面にはR9号(山陰道)と分かれて、府道56号が旦(だん)から奥?大油子へと上夜久野方面に向かう。    神谷城主郭北面:堀切と土塁を積んだ切岸 此の街道分岐(合流)点付近・府道沿いの谷川を挟んで東に荒神城・西に鳴岩城が在る。神谷城が対岸の此れ等の城塞群と呼応しあった夜久氏関連の城かは、城主・築城時期や目的等の城史不明なので判らないが、神谷城の西方・日置山(329... ...続きを見る

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2011/04/30 23:55
樽水城 福知山
丹波市青垣町から福知山市側へ・いつもなら県道109号を穴裏峠越えで榎原に出るが、遠坂から朝来市へ抜けるR427号の中佐治から榎峠を越え法用へ・談で府道526に合流するR429号線(和久川沿い丹波・宮津・丹後を結ぶ旧街道?)を利用するが、山間部途中に宅地もない林道然として・対向車に出会うと難渋する狭い国道です。        樽水城主郭の切岸 ゆずりトンネルが開通して夜久野方面に抜けるには近道?ですが、此の府道に合流するT字路付近の談地区に”談城”が在った様?ですが未だ位置等は不明。此れから向... ...続きを見る

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2011/04/27 23:56
栗住城 丹波市
丹波市青垣町は全国の足立姓の祖と云われる足立遠政の山垣城が在りますが、丹波市内でも最古級:平安時代の保元3年(1158)とも鎌倉時代・元徳年間(1329-31)頃に築城されたともいわれる小室城(芦田城・東芦田城) が吼子尾(くずお)山に在ります。    栗住城主郭背後の堀切を越えて続く尾根側に有る土橋付き堀切 城主を芦田金猶(かねなお)といい小野小町との伝説や、其の死を菩提寺の墓碑からは・頭と胴が判れた埋葬を示す銘を持ち、明徳の乱による山名氏と細川氏の勢力争いに、細川氏の誘いにも乗らず・山名... ...続きを見る

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2011/04/26 22:31
姫髪山城 福知山
丹波市から穴裏峠を越えて福知山市の和久川沿いのR429号線を走る。福知山市でも旧天田郡三和町方面を除き、旧天田郡夜久野町と、両天田郡に挟まれた中央部の旧福知山市に向かうのに、よく利用するルートです。R429号を市街地へと東走していると、北方に富士型の美しい山容の姫髪山が、山頂近くの「大」の字に朝陽を浴びてクッキリと見えてきます。     大文字の火床と薪を運ぶモノレール・下方に登山口の長安寺 毎年8月16日に行われている行事・大文字の送り火の火床で、「丹波大文字」で親しまれ旧福知山市のランド... ...続きを見る

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2011/04/24 20:36
香良城U 丹波
関西圏のキャスリング(主に山城探訪)フアンにも、馴染の薄い香良城の名を知る人は・まして城址を訪れた方は少ないと思われます。しかし丹波の戦国史・とりわけても氷上郡内に於いて最大規模の激戦となったのが香良合戦。其の主戦場となったのが香良城ではなかったかと思われます。    香良城の二重堀切(外側)の竪土塁と堀切 信長の天下布武の号令のもと:「丹波攻略」の黒井城攻めに・一度は明智光秀を追返したが、落城の前年に病死した黒井城主:赤井悪右衛門(荻野)直正は、丹波の赤鬼の異名で知られ・此れまで連戦連勝で... ...続きを見る

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2011/04/22 20:29
香良城T 丹波
丹波の”もみじ三山”に加え、昨年「隠れ紅葉の名所として、紹介するつもりだったが止めた岩滝寺は地元自治会によるものか?、時節には入山料を徴収する観光寺になってしまった様。寺側の意向に添ったものとは思えないが・・。「ふるさと兵庫50山」で知られるようになった五台山への登山口に在り、五台山・鷹取山や今回の香良城へも自由に通り抜け出来なくなったなったよう?。     香良病院の背後に鉄壁の香良城(西岩山) 独鈷の滝の大蛇伝説・浅山一伝斎(寛永9年(1632)の御前試合に勝って剣名を轟かせています!!... ...続きを見る

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2011/04/20 22:24
福谷公園 西脇
福谷公園(ブログで地図ともに紹介済)は地元では少しは知られた!!?桜の名所。三角点山(点名:上比延)への登山口として利用したところです。 静かな福谷池の水面に(無粋ながら山名)三角点が山容を写し、池畔には福谷池古墳の石室が開口しています。愛宕稲荷社へ続く長い鳥居のトンネルの上を覆う様に、桜花が続き・石段道最上部・愛宕社前からは、谷を埋める一帯の桜が見事です。 愛宕社への参道前を抜ける山道からか、西側の貯水池北西端からは、桂松(はだまつ)山への登山ルートがあり、山頂部に桂松山城(平坦地形の他は... ...続きを見る

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2011/04/17 21:51
下新庄城(仮)
丹波市(旧氷上郡)は慶長3年(1598)織田信包(NHKドラマ:江の叔父・信長の弟)が柏原に移封され柏原藩立藩以降の中心地・柏原町から、丹波市行政の中央が氷上町に移ったが、元々・経済の中心地は氷上回廊の佐治川(現:加古川)沿いの、此処:氷上町成松周辺だったと思えます。延喜式の旧山陰道が通じ丹波最北の佐治宿に向かい、葛野川が佐治川に流れ出る本郷は加古川水運の最上流部の船着き場として碑が有る。織田家の藩邸を此の氷上町犬岡山を適地と視察もされています。 この葛野川沿いに鎌倉〜南北朝期〜中世にかけての... ...続きを見る

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2011/04/15 21:47
城ヶ谷砦 神戸
神戸市西区櫨谷町福谷は県道65号線と県道52号線が交差する”中村”と呼ばれていた西国街道の要衝の地に在る。交差点を挟んで南北約1km内には、赤松氏一族・衣笠氏の本拠城:端谷城の城塞群として、福谷城と城ヶ谷砦(大神城)が築かれていました。     城ヶ谷砦?(構居)主郭の東端切岸と空堀(内側も高い土塁が東〜南側の二方を囲う)     ...続きを見る

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2011/03/17 23:00
福谷城 神戸市
この度の東北関東大震災により、お亡くなりになられた方々には心よりお悔やみ申し上げますとともに、不明者の安全・無事を祈り、被災された皆様へは”頑張ってください”と、個人的にはエールをおくることしか出来ませんが、御見舞い申し上げます。 私も今年17回忌を迎える兵庫南部地震(阪神大震災)に被災し県外疎開していましたが、残された息子の入学に際しては特別に小束山(垂水区?)だったかに高校在籍時の関連学生寮に入寮させていただき、取りあえず最低限必要家財を用意したり・・で数回走った市立農業公園横の道が県道6... ...続きを見る

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2011/03/16 21:59
東下城 神戸市
先のブログ”蛇池”のヒロインは東下城城主の姫君との伝承ですが、其の東下城(山田城・東下山城)が、県道85号線沿いに、西神戸脊山の丹生山系を望む丹生神社の石鳥居南方の丘陵北末端に在りました。丹生山と聞けば衝原湖(呑吐ダム)畔の千年家付近に降りてくる”義経道”を思い出す。平安末期の寿永3年(1184)一の谷合戦に大勝 した源義経一行が猟師:鷲尾三郎の案内で須磨浦に向かった道。        東下城主郭部の堀切 此の鷲尾三郎が功により山田庄を得て居したのが東下。時代は下が... ...続きを見る

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2011/03/15 21:53
蛇池伝説 神戸
神戸市北区山田町の東下城(山田城)を訪城した。東下には兵庫丹波:篠山市鷲尾に関連深い人物がいる。平安末期の寿永3年(1184)平家本陣の一ノ谷へと、山田道を〜藍那〜鵯越へ抜ける山道を、青年猟師鷲尾三郎の案内によって一の谷の戦いに圧勝する事ができたとして、其の功により山田に土地を与えられ、義経の名から一字を賜り「経春」とも「義久」とも名乗り、郎党の一人として常に側に付き従って活躍した人物です。山田庄を始め・平氏領内を僅かな手勢で切り抜ける事など・できなかった事でしょう。鷲尾三郎の墓と屋敷跡は篠山に... ...続きを見る

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2011/03/14 22:02
天正寺山城
中国自動車道吉川ICからR428号線を南下してゆくと、山陽自動車道高架を潜ると、三田市方面から三木市に向かう県道38号線と淡河本町交差点で合流する。此処に「道の駅おうご(淡河)」が有り、目の前の浦川(淡河川)に面して断崖形状をみせる丘陵上には、智武を備えた武将:淡河弾正忠定範の淡河城があります。三木城主別所長治の義理の伯父で、三木合戦時の秀吉軍に対する淡河合戦での奇略(軍馬の群れに雌馬を放す・・)の伝承は良く知られているところです。     主郭背後の岩を抱く崖状切岸と堀切 城... ...続きを見る

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2011/03/13 08:57
上宿城 篠山市
日置の堂山砦(明智軍の付城とされる)と、其の西に約800m程の位置には、・八上城の井戸曲輪(朝路池)に至る搦手道か?、その登城東口を守備・監視する八上城の尾根続き東尾根末端部の安明寺砦をブログで紹介済みですが、堂山砦の東500m程には摂津三田・能勢・池田方面を繋ぐ街道(県道12号線)が走り、曽地川を越えれば波多野氏以前からの土豪:波々伯部氏一族の領地に入る。 曽地川がその境界になるのかは知らないが、直近には西への延び出す低丘陵尾根上に曲輪を並べる城遺構が在る。東西に伸びる尾根を辿ると弥十郎ヶ岳... ...続きを見る

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2011/03/09 22:26
安明寺砦
堂山砦の西正面・約800m程の地点、高城山(八上城)から東へ延び出す尾根の最東端に位置して安明寺砦が在りました。之も小さな砦で尾根先端部に3〜4程の曲輪を尾根上に連ねてはいるが、曲輪は高低差も小さく、切岸も無い。唯一・主郭の西端を堀切(両端に土橋が付く)が城域を分け、堀切上には低土塁がある。此の砦の南側からの谷筋が八上城の井戸曲輪(朝路池)へと通じる搦め手道!!?。       堀切の両端に土橋が付く 安明寺砦は堂山砦・洞中砦・上宿城をはじめとして曽地城・曽地砦・曽地奥砦(高野山城)は、織田... ...続きを見る

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2011/03/08 22:03
堂山砦 篠山市
R372号(デカンショ街道・京都街道)を東へ走り、八上城麓を過ぎた日置に「磯宮八幡宮」の案内標識を見る。境内南側に大きな注連縄飾り!?の榧(カヤ)の巨木が三本ばかり立つ。其の一本が”世界に此処だけの珍木裸榧で大正14年(1924)国指定の天然記念物”。その前の地区道と民家の南の田圃に小丘陵部が北端を落とす。   主郭を囲む帯曲輪から土塁囲みの虎口を主郭正面に向かう 此の比高2〜30mの山上最高所に主郭を置く堂山砦が在りました。西に八上城を間近に望み、東200m程には県道12号線が摂津方面... ...続きを見る

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2011/03/07 22:22
吹出城 篠山市
篠山城の南東約2.5km・東吹地区に東城山(289m)がある。八上城主;波多野氏被官の一人:井関秀次とその子:三之丞(天正期の明智光秀による丹波攻めに落城した最後の城主)が居城する吹城(東吹城・瓢箪丸)が在りました。城の南裾を372号線(デカンショ街道・京街道)が走り、西山裾は篠山市街地への分岐点・交通量の多い繁華な通りに面していながら、竪堀群・土塁・空堀・堀切と高く急峻な切岸をもつ主郭側切岸よ、奇跡に近い状態で遺構が遺る。       吹出城主郭西面の帯曲輪の切岸 此の吹城から北へ延びる尾... ...続きを見る

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2011/03/06 22:16
東中山城 綾部
十倉向町に渡辺氏の赤道城と、僅か6〜700m東南に隣接する武吉町に 坂田氏の梨子ヶ岡城を訪ね、時間に余裕も有るのであと1〜2城どこか・・近在に城砦は!!と、「綾部市遺跡地図」を探して見ると梨子ヶ岡城からの下山途中に前方に望む上林川沿い対岸(左岸)上流の佃町には佃城と尾根続きの西北方に東中山城が載せてある。        主郭北面の切岸と堀切 玉泉寺下の地区道を上林川の対岸に渡り、武吉町の集落を外れると、急に車道の幅を狭く感じる。左に丘陵端の崖沿い、右手には谷深く・幅広く ・水量も結構多くて流... ...続きを見る

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2011/03/04 22:39
梨子ヶ岡城
赤道城とは僅か6〜700m程東南の武吉町に梨子ヶ岡城が在りました。梅林山玉泉寺(臨済宗南禅寺派)が登城口なので取付き点探しで苦労することもない。玉泉寺は慶長6年(1601)開創で・はじめ五詮庵と称されていたが、寺宝となっている大日如来像は真言宗薬師寺(山寺だが所在不詳・・?)に祀られていたものという。天正8年の明智「丹波攻め」で落とされた横山城を福知山城として大改修の際・寺は其の建材として運び出されたが、如来像は村人らにより護持され、その後も難に遭いながら現:市の文化財指定を受けています。  ... ...続きを見る

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2011/03/03 21:18
赤道城 綾部市
沼ヶ谷城とは上林川を挟んだ南東方の低丘陵・十倉向町の脊山に赤道城が在りました。府道1号線を東に走ると井根川が合流し、中洲を拡げ川幅が極端に広がる上林川と流れと接する地点・十倉橋を渡り十倉向町に入る。沼ヶ谷城の先には・井根川の谷奥に井根砦が在るだけで、府道1号線沿いに城塞を見ないが、大きく蛇行を繰り返しながら深く・流れも早い(両再度は大型車輌は通行困難な車道)上林川沿いに山城・丘城が点在する。 其の手始めが沼ヶ谷城とは川を挟んで呼応する赤道城。共に築城は渡辺氏とされるが、以仁王の伝承から続く平安... ...続きを見る

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2011/03/02 22:48
沼ヶ谷城 綾部
先のブログ:壹鞍神社(赤坂城) から府道1号(小浜綾部線)を東へ約1km程・十倉中町の集落の宅地・田畑に接する北丘陵続きに沼ヶ谷城が在りました。           空堀・竪土塁虎口 土塁沿いの空堀道は広い第三曲輪に向かう。その三曲輪の入り口に竪土塁に挟まれて上方に向かう空堀がある。竪土塁の一方は屈曲して空堀が其れに沿い上段の第二曲輪に向かう、技巧に富んだ上り土塁虎口の遺構を見せてくれる。一方の竪土塁は第三曲輪北面入口を固める大土塁。曲輪内に通路は無く其々にが独立しているようで、曲輪入り口か... ...続きを見る

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2011/03/01 22:05
壹鞍神社と赤坂城  綾部市
京都・亀岡方面から綾部市を抜け舞鶴方面へとR27号線を走り、山家交差点で府道1号線に入る。山家には三木合戦に討死したが、勇将谷大膳亮衛好・その子で初代山家藩主となった谷出羽守衛友の山家城・山家陣屋が在るが未だ最訪を果たさないまま、またも上林川沿いの府道1号線を走っている。  ...続きを見る

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2011/02/28 21:20
光山寺砦 神戸
神戸市北区の大沢(おおぞう)町には、開創・開基の年代等詳細は不明ですが、真言宗石峰寺の末寺として創建され、七堂伽藍塔頭堂宇を誇る巨刹:般若山光山寺が在ったと伝えられていました。しかし戦国時代・羽柴秀吉軍による「三木合戦」の余波を受けてか?、兵火により全山焼亡し灰塵に期したという。  土塁・空堀の10m程斜面上部が三等三角点:日西原の山頂です。古墳の周濠とも思えず!! 北区から三木城へ向かう途中に淡河を通る・山陽道へ通じる要衝!!。三木城主別所長治とは婚姻関係にある淡河弾正忠は智勇に優れた武将... ...続きを見る

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2011/02/27 20:13
殿原城 加西市
西脇市方面からは県道24号線で加西市に入り、北側の殿原町から中国自動車道の高架を南へ抜け出た処が笹倉町の加西IC。其処から真西約400m程の地点に「方形館城」の殿原城(笹倉城)が在りました。地名・城砦名や城主・家紋等が自身に関連有りそうで、予々:赤松氏に仕えた在田荘の土豪:笹倉氏の事・東播磨八郡の領主:赤松(在田)氏には、特別な関心事もあって気になっていた。幾度となく加西IC前の24号線は走っていながら、民家敷地内と裏山で、且つ薮の中で遺構の確認も侭ならない様子と聞いていた。・・・が以前より何か... ...続きを見る

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2011/02/22 19:51
原谷居館 加西
ロードマップに見る播磨平野・・・とりわけ明石市から小野市・加西市にかけての低丘陵は、京阪神間の客を集めて・何処も彼処もゴルフ場の花盛り・・・。その合間を縫うような平坦部に宅地と田園風景のなかには、大小・様々な溜め池群も、この平野一帯に集中しています。 有名・無名の古墳群の分布も多い地方なので、古墳の固有名で所在説明出来ないように、此処の溜池の名で城塞群の所在位置説明しても無意味ですね。地区内の通り名や川・橋のように現地で、その固有名が確認できる事は殆どありません。 此の原谷居館も県遺跡分布図... ...続きを見る

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2011/02/20 20:00
西山城 加西市
芝生広場や庭園、テニスコート等を備えた公共の宿「いこいの村はりま」の裏山へは、幾つかの整備された遊歩道が通じ、 西山の山頂部には加西市のランドマーク展望台が建つ。此の西山から亀山古墳(加西市指定文化財)の有る亀山へ、展望の尾根続きが楽しめ・遊歩道を散策する市民の姿を見ます。    加西市のランドマーク展望台・マスコットキャラは根日女(ねひめ) 展望台の建つ西山山頂部が西山城跡とは?、城跡と知って訪れても遺構はよく判らない。遊歩道や展望公園としての開発・整地によって消えたのかも?。亀山古墳に向... ...続きを見る

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2011/02/19 22:37
広原城 加西市
むかしから籤運が悪くて、殆どスカ!!の等外か・4等?以下の欄外なので!!抽選・籤引きの類は避けてきたが、山城巡りも・段々 その傾向が強くなってきたのかも知れない・・・ナ? 敢えて超マイナーな山城を探して出掛けているわけでもないのですが、結果的には城主も城史も不明。知名度さらに無く・城の遺構さえ定かでない・・・山城フアンでも 殆ど見向きもしないスポットに 出掛けて行っては貴重な時間を無駄にした様な?・・低山・低丘陵を彷徨い歩いただけの散々な結果で終える事が多い。        唯一の遺構らし... ...続きを見る

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2011/02/18 20:40
篠場城 丹波市
丹波竜発見・発掘調査中の現場に近いJR下滝駅を出ると正面に丹波竜親子の愛らしい姿のモニュメントを見て、県道77号線に出る。東北約350m程に下滝城、県道77号線沿いに西へ向かうと上久下公民館(丹波竜関連情報の発信基地になっている!!?)がある。北東隣に山裾付近には村上奥太夫屋敷跡とされる、4〜5段の平坦地(曲輪)が”それ”だとされます?。         北郭の低土塁 久下公民館背後の低丘陵は西方300m程で県道沿いに断崖状に聳立して迫り出して、先端部の西南端を県道に落とします。西100m程... ...続きを見る

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2011/02/15 00:02
友尾山城 西脇
築城時期や目的・城主等の城史が不明の城は多いが、城の伝承も遺構も無く・なぜこの様な場所に在るのかは、往時の山越えの通行ルートや時代背景等を知らない。山歩きでは遺跡分布地図等の資料になく、伝承等・地元で存在自体も不明の城址を発見したり、調査実施等詳細は不明ながら・遺跡分布地図に記載されている城を探訪してみることはある。 先日訪ねた猪名川町の木津城も、低丘陵の尾根末端付近の比高も・さして急斜面でもない尾根上に平坦地形が延びるが、何処までもが城域なのか堀切や土塁・切岸加工された曲輪等の遺構を見ない。... ...続きを見る

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2011/02/13 09:11
木津城 猪名川
兵庫県川辺郡猪名川町のWebに城址として紹介されている九ヶ所の内、阿古谷の西峰城(猪名川自然公園地域内にあって、猪名川グリーン・カントリー開発の為消滅した)を除けば、此の木津城と銀山城が「縄張り」の判りにくい城砦に思えます。多田の銀山城は一等?三角点と城山の名に釣られ、以前に登山の対象として出掛け山頂の曲輪だけ?の遺構で、よくわからないまま山を下りている。     木津城山麓から山城尾根への分岐点にある土橋付き空堀状? 今まで丹波や播磨の山々を歩いてきた過去の山域を見直してみると、通り過ぎて... ...続きを見る

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2011/02/09 20:41
木間生城 川辺
武庫川にも丘陵に突き当たり極端に屈曲して元の流れ!?に戻る”曲り”という処が有る。その三方を川に囲まれた中に曲り城が在ったが、県道12号線沿いの猪名川にも「曲り」に似た地形が有り、屈曲して流れる猪名川が西面を除き三方を濠として囲む小さな山塊の頂部に木間生城が在りました。      木間生城:北の堀切(主郭側切岸下部) 猪名川町には低山ながら尖峰が多く、先日の愛宕山城や三蔵山城・多田の城山(銀山城)や此の木間生城も、栃原と木間生(「こもお」は韓国語の”有難う”を連想する読みですね!!・・韓流フ... ...続きを見る

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2011/02/08 19:13
笹尾城 猪名川
県道12号線沿いに:先日訪れた愛宕山城への入口・猪名川霊園前を更に南下して笹尾集落の六瀬住民センターまで降りてきた。杉生城・若城〜此処笹尾城も多田荘六瀬(むっせ)村、多田院御家人の六瀬氏(平尾氏?)が領主として統治していた地帯。小さな山城が在ったが杉生城と同様に城域の前後を堀切区分している。       主郭部北端の土橋付き堀切六瀬住民センターと笹尾公会堂(地区消防団車庫・火の見櫓が有る)間の地区道を抜ける正面の比高70m程の頂部に主郭を置くが、南北の尾根筋100m程の小規模な城。堀切も埋もれ... ...続きを見る

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2011/02/06 18:27
愛宕山城
篠山市から後川(しつかわ)越えで県道12号線沿い。猪名川町の杉生城・若城を訪ねて南下。仁頂寺分岐を過ぎると清水地区に入ってくる。 「猪名川霊園」の大きな石碑をみて、霊園内に向かい坂道を登っていく谷間の西には、霊園最奥部に見える鞍部からは西へ・更に南へと比高100m、一気に高度を上げる尖峰上に愛宕山414mの山容がのぞまれます。県道12号線の霊園入口からも常に気になる山は、低山ながら登行欲を掻き立て、三角峰の追谷山へと北へ尾根縦走するのも良さそうです。 ...続きを見る

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2011/02/01 17:15
若城 猪名川
杉生城とは県道12号線を挟んで西の低丘陵上の山頂部に、金刀比羅宮を祀る平坦地に主郭を置く小さな城郭遺構が在ります?。・・・山頂部の祠まで参道が通じており、副郭から主郭へ入る平入り虎口状を見て祠造成時の削平によるものなら、細長く延びる尾根上の空堀道状はただの参道。     参道入口直ぐ上の虎口? 鳥居のある丘陵尾根筋南端から直ぐに現れる土塁虎口・細い空堀道と、此処に二段・続いて一段、段差のある曲輪状が植林・畑地・参詣道のよるものなら、主郭までの尾根上の曲輪t思える平坦地は削平甘く、自然地形のま... ...続きを見る

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2011/01/31 20:34
杉生城 猪名川
篠山市から県道12号線で後川に越え、三田市や篭坊温泉への分岐を直進して猪名川町杉生(六瀬村)に下ってくる。多田源氏の祖は多田(源)満仲に始まり、多田庄に所領を持つ在地領主の多田院御家人の城のうち、六瀬に杉生城・若城・愛宕山城・木間生城等があり、此れ等のうち・いくつかを訪城したいと出かけてきた。            杉生城(北面堀切上部の帯曲輪と主郭切岸) 在地領主として・多田院御家人として、また多田院御家人の筆頭となった塩川氏に付いて、能勢氏とは積年の対立が続き、天正期には秀吉命の背いて本... ...続きを見る

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2011/01/30 21:03
定星寺居館
大阪府の能勢町と兵庫県の府県境のあり、篠山市・三田市・宝塚市・そして川西市の各市境界に囲むれて、川辺郡猪名川町が有る。川西市には多田神社(多田院)があり、此処:多田荘を領して、多田院付近に居館を構えて本拠とした・多田(源)満仲を祖とする多田源氏発祥の地。    定星寺 左手石垣奥に土塁・薮の中に空堀状 多田荘の木器・波豆・大原野(三田市)や木津・六瀬(宝塚市・猪名川町)等の所領に地頭職が置かれ、地頭が夫々の地に城を築いています。今回は篠山市から猪名川〜川西市へ通じる県道12号線沿いに六瀬郷!... ...続きを見る

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2011/01/29 23:42
"竜のうろこ"伝説 猪名川町
篠山市側から久しぶりに県道12号線を後川(しつかわ)に出て、「猪村」〜大野山登山口の西軽井沢を南下して猪名川町へ抜け、杉生城を訪城の際・取付き地点として景福寺に向かった。 「後川越え」は八上城主波多野氏が嘗て三田北部を統治していた事もあり、明智光秀が八上城を包囲した篭城戦には、三田側から援護の兵糧米を運び込んだルートで、首塚や種々の悲話が三田・篠山両市に残されます。三田市には永澤寺があり、花の寺として有名ですが、足利幕府管領:細川頼之が後円融天皇の勅願を受けて建立された寺であり、崇敬される開山... ...続きを見る

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2011/01/28 22:10
前木戸城 丹波
日本一低い谷中分水界・石生の水分れから発し日本海側へは、黒井川から竹田川に出て、R9号線沿い・京丹波町三和から六人部(むとべ)〜福知山市へ流れ出る土師川と合流し、南丹市から京丹波町和知〜綾部市を福知山市街地を抜ける由良川に合流します。竹田川が土師川に合流する地点・府県境の石原(福知山市側)に田野城が在り、約1km程を隔てて近接する丹波市側の市島町森・表に地区の南背に前木戸(さしど)城が在りました。(今年のオフ予定です) ...続きを見る

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2011/01/26 00:13
鳴尾山城 西脇
西脇市の市街地からは西南に望む鳴尾山(なきやま)の独立丘陵の北端が、極端な急斜面を見せて野間川沿いに、加西市や多可郡八千代・中野間方面を結ぶ県道34号線に落ち込んでいます。送電線鉄塔を乗せる山稜尾根部に台形地形をみせる尾根端の山頂部に鳴尾山城が在りました。 ...続きを見る

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2011/01/23 18:24
野村構居 西脇
西脇城の南方、杉原川が流れ出た加古川の合流点を渡る加古川線の橋梁の南約350m下方の右岸に野村構居(野村城)が在りました。昭和から平成に変わって間もなく廃線となった鍛冶屋線に接続する野村駅は、西脇市駅と名称は変わったが今も?福知山線に接続する終点谷川駅へは、本数も減り・いつも此処で乗換え、長い時間待ち合わさせられた記憶だけは覚えている...続きを見る

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2011/01/22 21:31
西脇城 西脇市
西脇市街地の市民病院の近く、R175号と県道17号・R427号が合流する上野交差点との中ほどから、直接:大型店舗前へは随道で抜けるルートもあるが、此の随道南に出た所を東西に溝谷が流れ、利用者の少ない広い第三?駐車場に出るが、殆どの利用者は・此処を抜け正面の店舗入口側か店内駐車場に入る。 ...続きを見る

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2011/01/21 20:03
ガンジョウジ城
城山トンネルを東へ抜け出た正面に仰ぐ向山連山は、ヒカゲツツジや山裾に日本一低い分水界のあるところとして知られます。北方の霧山(西波多野氏の氷上城?)から天王坂・権現山(赤井直正初陣の野山城)を経て、延び出す尾根の南端に此の城山が位置して、氷上郡(丹波市)を東西に分け・氷上盆地を南へ高谷j川が加古川へ、東側には向山連山の山塊を挟んだ僅か500m程の狭間に、由良川源流の黒井川が流れ出る分水界を成しています。 ...続きを見る

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2011/01/13 19:22
祖父祖父堂
今年初めに西倉城(仮称)をブログで紹介した、丹波市青垣・栗栖野の宝林寺境内に祖父祖父堂が建つ。集落内の公民館には首塚が立つ。祖父祖父堂は以前は此処に在ったが、寺境内に移されました。 ...続きを見る

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2011/01/10 12:00
天神ノ尾城 三田市
三田市大原地区には「お姫山城」の別名を持つ大原城が在り、主郭に祀られる姫山神社には武庫川を挟んで南に在る貴志城に嫁いだ大原城のお姫様の伝説が残ります。 ...続きを見る

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2011/01/07 00:23
川阪砦 篠山
草山地区本郷に細見氏の将監屋敷・本郷城(草山城)を訪ね‥次いで多紀アルプスの中でも最人気の小金ケ岳から東へ続く縦走尾根の694mピーク付近から北へ延び出す尾根上に位置する川阪砦に向かった。・・・人気の山とはいえ小金ケ岳から篠見四十八滝への主尾根筋さえ未だ薮っぽく、枝尾根ルートへ踏み込むには読図が必要。 ...続きを見る

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2011/01/06 00:16
ゴリョン<御領> 篠山市
県道 97号線が京都府三和町へ県道 301号線が多紀アルプス御嶽・小金ヶ岳を分ける”大タワ”を越えて篠山市街地へ、県道300号線が県道301号線を分けて藤坂峠を越えてR173号へ抜け、京都府瑞穂町や京都府丹波町へ通じる県道703号線が交差する。これ等間道の連絡口の本郷集落には細見氏の草山砦(本郷城)が在り、交通の要衝監視に当たっていたと思えます。しかし本郷集落から更に東奥地へと、友淵川源流に向かって入っていく川阪集落にも川阪砦が在りました。         川阪の道祖神(自然石) 川阪砦へは... ...続きを見る

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2011/01/05 00:04
草山城 篠山市
本郷城(草山城・草山砦)は細見将監城ともよばれ、シャクナゲ寺・身代わり観音でも知られる松隣寺背後の殿山321m山頂部に在りました。寛永10年(1633)篠山青山藩士の細見(勘兵衛!)将鑑宗高により、天台宗の寺を現在地に移し、草山城(本郷城)主細見左近将鑑信光の院号「松隣院殿」から付けられたといわれ細見氏一族の菩提寺です。 ...続きを見る

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2011/01/04 00:02
細見将監屋敷
篠山市の最北端に位置して、草山温泉を過ぎると北へ97号線は京都府三和町(現福知山市)へ、711号線は船井郡京丹波町に入る府県境界。先に紹介した垣屋城を左手に見ながら進むR97号線が二つの谷中分水界となる丹波市春日町側の栗柄峠分岐を過ぎ、鼓峠を越えて西紀町本郷へ下りてくる。   将監屋敷東北端 此の栗柄峠から鼓峠こそ丹波の赤鬼の異名で恐れられた黒井城(現:丹波市)赤井直正を攻めた明智光秀が、天正4年(1576)、勝利目前の明智方にいた八上城(現:篠山市)波多野秀治が、偽りの同盟を破棄し、黒井城... ...続きを見る

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2011/01/03 00:04
西倉城(仮称)
新年あけまして おめでとうございます 今年も新たな人生の儚い?時間を刻み始めました。  新春:初ブログは BIGニュースで始めたいところですが・・・砦規模の小規模な城砦の紹介からとします。        主郭部:帯曲輪から主曲輪の切岸 兵庫県丹波市の但馬に境する青垣町には全国足立姓の祖:足立遠政が、承元3年(1209)氷上郡(丹波市)佐治郷の地頭職を任命されて関東から入部し山垣城を本拠とします。平安時代・保元3年(1158)とも鎌倉時代の元徳年間(1329-31)の頃とも云われ・明確... ...続きを見る

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2011/01/02 04:43
垣屋城 篠山
城郭資料やWEb上の城砦所在のリストに載せてある垣屋城は一帯の丘陵南東端の高坂川が宮田川に合流し、此れ等を濠とする小山上に一枝城が示されている様ですが、丘陵西に突出すもう一本の尾根上にも城遺構が遺り、地元のバス停のある絵図案内には西ケ谷・垣屋城。 ...続きを見る

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2010/12/31 08:37
垣屋・一枝城
R176の長安寺交差点から内場山城を左に見て、宮田の篠山市西紀支所で県道97号(丹南三和線)を北上。西谷城下を通り、板井城を舞鶴自動車道側に見て、宮田川沿いの盆地を遡り垣屋集落を目指す。丹波市側からは鋸歯のような小さな峰を連ねる西多紀アルプスの鋸山の峰々を背に、宮田川に延び出した先端に小山を載せた低丘陵部に一枝城が在りました。 ...続きを見る

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2010/12/30 00:20
野間中城
野間中城は野間城主:野間豊後守資持により、天正8年(1580)野間城の支城として小倉山に築かれた城ですが、完成を待たず・途上で中止されたと伝えられる城です。野間新城と呼称したいところですが”未完”では・・!!     土塁曲輪の北郭北端の櫓台 ...続きを見る

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2010/12/29 00:06
野間城 能勢
能勢三惣領の一「野間氏発祥の地」顕彰碑の建つ野間屋敷からま南へ、野間川に架かる農作業用の橋を渡る。山麓に向うには少し西に下った工場倉庫?脇から南へ。土塁囲いの様な貯水池沿いからの山道を、墓地跡を抜けて進むが、このあたり左手一帯の平坦地が武家屋敷跡?。野間氏居館は此の一帯の最奥部とは思えるが、山への入口直ぐに見かける空堀・土塁・泉池庭跡?を一先ず居館跡(鬱蒼とした雑木薮への侵入では、遺構探しも徒労に終わるかも?)として、山道を進む。     野間城主郭:土塁上の櫓台に祀られる稲生稲荷社 山道は... ...続きを見る

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2010/12/28 10:47
野間氏居館
野間屋敷から南に進む細い地区内の車道は野間川に行き当たる。西に下れば野間家菩提所?の圓珠寺前を過ぎてR477号に出る。野間川と大原川が近接し・少し下流で合流し知明湖(一庫ダム)に流れ出る。野間屋敷の南に聳える高岳山(点名:野間)のちゅうふく部:山頂から北へ延びる尾根先の城山の野間城が在り、山裾が麓の田圃と接する付近の林の中に野間氏居館が在りました。   土塁と空堀の北西角は石積みを覗かせる土塁虎口? 何時訪れても おそらくは下草薮の鬱蒼とした林の中に、居館跡と判っていても足を踏み入れるには躊... ...続きを見る

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2010/12/27 00:11
野間屋敷
大阪府豊能郡能勢町野間中は、篠山市・三田市・川辺郡猪名川町方面からは猪ノ子峠を越え、野間川沿いに野間中交差点を”能勢の妙見さん”へと野間峠を越える府道4号線が豊能町・箕面市・池田市・茨木市を結ぶ。 ...続きを見る

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2010/12/26 23:18
野間の大けやき
先に紹介した上杉城や片山城から此処:野間の各城郭を廻ったのは、もう七年前・スッカリ体力の減退を実感しています。日を改めて出掛けてきた大阪府豊能郡能勢町ですが、野間区の城も再訪です。折角訪れながら・有名な”野間の大けやき”を素通りも出来ず・・・立ち寄りました。 能勢三惣領の一つ・野間氏発祥の地の城館巡りですが、其の周辺の辻々に石仏・石碑・古墳があり、歴史散歩に良さそうです。野間城を見て川西市側へ越える峠に関所跡があり、も一度見ていこうと思ったが妙見道は道路工事中で通行止め・・・ ...続きを見る

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2010/12/22 00:06
片山城  能勢
上杉城に行く際に立ち寄ったR173号線・道の駅”栗の郷能勢”の東側に、上杉城と対峙するかに様な位置に片山城が在りました。 ...続きを見る

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2010/12/21 00:06
上杉城 能勢
もう七年程昔・・のこと。此の上杉城へ行くつもりで兵庫県側の猪名川町から阿古谷峠を越えて上杉区に入った。山城もリスト一覧を参照しての住所だけ、登山も山城も地図無しでの無鉄砲さで、上杉から向かう山容から、点名:上杉(4等三角点)が城山・・・!と勝手に決めての訪城に、やはり場違いで行き着けず      上杉城:主郭北の大堀切 ...続きを見る

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2010/12/20 00:17
淀山城 篠山市
京都から亀岡を経て篠山市へ”デカンショ街道(R372号線)”が通じます。延喜式の山陰街道は京街道・丹波街道として交通・文化の基幹で、京都・丹波・播磨や但馬方面への要衝です。西国街道の摂津池田・茨木や、川西方面からは妙見街道・能勢街道(R173号線)が天王坂を越えて篠山から綾部・福知山方面へ向かいます。   主郭北の大堀切東下方に横堀・竪堀がL字状に繋がる遺構があるが在地領主による縄張りなのか? ...続きを見る

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2010/12/19 00:02
籾井城  篠山市
園部町や亀岡市から京都府境界の天引峠を越えてR372号線(旧山陰街道・京街道・丹波街道・デカンショ街道)で篠山市に入って最初の安口(ハダカス)地区に下りてくる。R372号線に色んな別称を並べましたが、昔も今も京都を結ぶ要衝であったこと・基幹街道に変わりはありませんネ。 北曲輪群から土橋付き空堀・上り土塁虎口を主郭群北端曲輪に入る ...続きを見る

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2010/12/18 18:51
森本城  三田市
JR相野駅から県道309号に入り踏切を渡ると、直ぐ正面の湊川相野学園・女子短大前を抜け、北に城山(穴口山城)を見て、R176号線に合流する”四つ辻”交差点を直進。 ...続きを見る

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2010/12/16 00:05
桑原城  三田市
”クワバラ クワバラ・・・”と唱える雷除けの共通語が 此処:三田市桑原の欣勝寺にも”寺宝:大蛇の頭”と共に伝説・伝承が残されています。欣勝寺の東・感神社背後から北方へ比高40m程の低丘陵が続く。遠目にも高低さを感じない台形の山容の中に桑原城(大浪山城)が在りました。   中郭東側の仕切り土塁と空堀(主郭側から) ...続きを見る

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2010/12/15 00:12
安口西砦 篠山
安口(はだかす)地区を抜けるR372号線に沿う籾井川に架かる、小さな墓参の橋を渡り鹿除けフエンスを潜る。小さな墓地の横や前に拡がる田圃に屋敷跡・居館跡を感じる。墓地の右手から先ず安口城を訪ねて此処に戻ってきた。7〜8年前にも:安口西砦から尾根伝いに安口城に来た事はあった。 ...続きを見る

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2010/12/13 00:33
安口城 篠山市
先に西野々砦を紹介して、画像からは安口城・安口西砦の位置関係は分かると思います。・・・が安口と書いて”はだかす”と呼ぶのは難しいですね!!。     安口城主郭:西南の虎口下の大手番所跡の石積? 海の無い丹波の山郷ですので、安口=”あんこう”と読むにも無理があると思っていたが、ある意味で「あんこう」と読む意味は合っていました。山椒魚のことを「ハダカス」と呼ぶのですが、その当て字が無いので山椒魚が口を開けて獲物を捕らえる姿が、鮟鱇(あんこう)に似ているところから「鮟鱇(あんこう)→安口の字を当... ...続きを見る

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2010/12/12 09:31
西野々砦 篠山
京都・亀岡方面から天引峠を越えて、丹波篠山市(旧多紀郡)に入る延喜式に云う古代!山陰道(京街道:現・R372号の要衝は、兵庫丹波で最初の宿場町:福住に着く。   西野々砦に唯一遺る!?堀切・土塁の遺構 R372号線で京都府境の天引峠を西に降ってきた最初の集落が西野々で、県道303号が合流しR372号は籾井川沿いの田園風景の中を走る直線道路(バイパス道)が、大阪・能勢方面から天王坂を降ってきたR173号線と合流する安田西交差点まで続くが・・・     堀切側土塁から妙見堂・稲荷社を祀... ...続きを見る

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2010/12/11 15:58
隠れ紅葉の名所!? 篠山城U
篠山城の歴史についてはHPで、四季の様子はブログで紹介していますが、秋の城外の様子は紹介済みなので、城内の様子を今一度・・・ ...続きを見る

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2010/12/09 18:17
屋口城 小野市
豊地城の外堀ともなった中谷川を挟んで南西方の低丘陵尾根の北端部に屋口城が在りました。豊地城の支城として機能したと思われる山城には4っばかりの切岸加工された曲輪を尾根沿いに梯郭式に並べ、土塁囲み・深い空堀・主郭や北に続くU郭・V郭には土塁を積む虎口らしい箇所を見る。     屋口城U郭:西面の空堀に沿う土塁線 ...続きを見る

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2010/12/07 00:08
豊地城 小野市
滝野社ICから中国自動車道沿いに走り、県道564号(学園道路)に出る。つい数年前まで加東市のクリニックへと・通い慣れた道。県立教育センターの標識を過ぎた付近”依藤野”の地名標識を見て、直ぐ先でカーブしながら長い坂道を下る。坂道を下り始める地点に冷泉・依藤塚が有る。旧赤松氏家臣:依藤氏は嘉吉の乱に細川・山名の幕府軍と戦い、城山城落城を知り自刃。      観音堂の在る西郭の空堀跡 其の後:赤松家再興に尽力し東条谷を領有して豊地城(依藤城)を本拠に勢力をもつが、応仁の乱に際し赤松政則が山名氏との... ...続きを見る

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2010/12/06 08:26
栗住野城 丹波市
丹波市氷上町と青垣町を境する丘陵尾根先付近に沼城があり、其の尾根先端が落ち込む所を県道7号が通る。北近畿豊岡自動車道(R483)が沼トンネルで北に抜け出た付近。田園地帯と西芦田に、丹波市では数少ない平城の栗住野城が在りました。 ...続きを見る

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2010/12/03 07:30
松倉城 丹波市
延喜式:山陰道(出雲道)の丹波最後の駅屋(”うまや”の佐冶宿)から遠阪峠を越えて但馬に向かう街道筋(R427号線)沿いには、全国「足立」姓の元祖足立左衛門尉遠政が築いた本拠城の山垣城と、その城塞群が点在しています。 ...続きを見る

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2010/11/28 00:04
小谷城 朝来市
先にヒメハナバチの日本一の群生地として知られる楽音寺の天満氏館をブログに紹介したが、この北隣にある比高20m程の低丘陵に在る小谷城に寄って来た。実は県立考古博物館の行政地区マップに見る小谷城の位置はここより更に北側に舌状に流れ出す低丘陵部に位置して、小谷城が標されているのですが?。       北方からの攻防に備えた竪堀か? 東直近を通る街道筋や与布土川に正対せず、直ぐ山道となる比高10m程・要害とも思えない位置よりは、楽音寺の北に突出す丘陵部に点在するハス子(ね)古墳群のテラス状が、県考古... ...続きを見る

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2010/11/19 00:02
天満氏館 朝来
兵庫県の指定天然記念物に指定され、日本一のヒメハナバチ群生地として知られる正覚山楽音寺へは、つい先日も近場の小谷城へと、此処の駐車場から歩き訪ねてきたばかりです。ただ小谷城は県立考古博物館の行政地区マップに見る小谷城の位置に疑問を感じ、楽音寺の北に突出す丘陵部に点在する古墳群のテラス状が、当資料のコメントからは古墳より城址の可能性が有りそうなので、確認してきたところです。    天満氏館の東尾根末端部:真下に市道・与布土川の南東に近畿豊岡道や丹波国境の粟鹿山を望む ・・・が”灯台もと暗し”・... ...続きを見る

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2010/11/18 00:04
茶すり山古墳
「但馬の国のまほろば・・・!!」 茶すり山古墳は近畿地方最大規模の富雄丸山古墳(奈良市)と並ぶ大規模な(全国で四番目!!:径約90mX78m 高さ18mを測る)円墳で、円墳の規模や未盗掘だった事から・出土した貴重で豊富な副葬品の数々からも、ヤマト中央政権に次ぐ但馬の首長格の墓と推測されています。 ...続きを見る

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2010/11/13 09:30
遠阪城 丹波市
丹波市の”丹波八宿 青垣の秋”の行われた11月3日は、丹波市最奥・但馬国境の遠阪峠にむかう遠阪集落の先、R427号を分けて今出親水公園へ左折すると、今出裸祭りが行われる熊野神社があります。秋の大祭の今日は無料のシャトルバスが佐冶のメイン会場から出ているので利用させてもらいます。         二連の竪堀 ...続きを見る

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2010/11/11 12:09
嶋間城 綾部
先日のブログで紹介の姫城とは、八田川と府道484号線を挟んで、真北の集落に向かう市道の奥に石の鳥居が見える。鳥居の西側に小さな岡が見え、背後には尾根続きに見える稜線上に、ドーム状の二つのピークが見える。山容からの名前か?坊主山城と、最奥には高城山が見える。     主郭北端の段差上が本来の主郭か?、この先造成で断崖:麓に児童センターが建つ!!、石塔側の急峻な切岸下に土塁空堀が廻る ...続きを見る

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2010/11/08 23:41
姫城  綾部市
先日までの綾部工業団地付近の山城巡りでは、足利尊氏と母・妻の宝筐印塔の建つ安国寺から中山城・北谷城・松梨城館を訪ねたが、西八田城に北にも府道・八田川を挟んで呼応する二つの城が在った。姫城と嶋間城ですが、未だ訪城の空白地帯。西八田城(消滅)の在った府道74号線との分岐から、姫城までの僅か1.5km程の間にも岡安城・岡安北城が集落内の低丘陵端に在るが、此の時期・寄り難く素通り。     東曲輪から切岸を廻り込んで主郭に入る虎口 姫城と嶋間城、更に嶋間城の背後には坊主山城や尾根続きの最高峰の高城山... ...続きを見る

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2010/11/06 22:29
将監城
将監城としたが、福知山市遺跡地図には将監遺跡となっています。福知山市街から由良川を渡る音無瀬橋の正面左側・住宅地背後の丘陵上に猪崎城が在りました。小笠原(塩見大膳大夫)頼勝が、塩見氏を名乗り、永正年間 (1501〜08)の頃?:横山の地(現・福知山城)に砦を築き、天文年間(1532-55)長男頼氏が横山城に、三男塩見監物(筑前守)利勝が此処:今城山に広大な主郭・此の主郭を取巻く土塁や横堀を巡らした猪崎城を築いています。 ...続きを見る

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2010/11/03 07:50
松梨城館 綾部
JR舞鶴線沿いに、R27号を綾部市街地から舞鶴方面に向かって走っていると、西方に続く丘陵に桜ヶ丘団地の大看板を見る。続く国道沿いには”綾部工業団地”への標識が目についてくる。此れらは下八田陸橋下を抜けたあとで見る地名標識なので、松梨城館を目指すには行き過ぎ・・!!。ループ道路かループ橋なら・すんなり行けるのですが、国道筋の南一つ手前の交差点を右折して下八田陸橋を渡ることになります。      大土塁と大空堀 ...続きを見る

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2010/11/01 20:44
北谷城 綾部
綾部工業団地周辺の城巡りでは、壊滅どころか見る影無しに消滅していた西八田城・中世の城主名も残る?中山城も、数段の段差を伴い・広大な平坦地形が神社境内として存在している様ですが、山頂部の主郭に曲輪切岸を見るだけで、消化不良のまま向かったのが工業団地の中央部。       祠背後の大土塁と空堀・手前は土橋 丘陵部を切り開く大造成整備され、傾斜面に階段状に建つ工場群・その間を右へ左へと、クネクネ屈曲しながら車道が通じる。そんな中で工場案内標示に従い進む車道脇に赤い鳥居を見る。神社整備拡張等の手が入... ...続きを見る

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2010/10/30 22:09
中山城 綾部
足利尊氏の遺骸が分骨されている丹波安国寺の宝筐印塔に参った後、R27号に戻り並走するJR舞鶴線沿いに淵垣駅へと少し国道を南下する。駅の北方に迫る低丘陵上・・と云っても集落内奥の民家裏手の畑地と境する高台!!に位置するところから、上宮神社境内一帯を城域?の中山城が在りました。市の遺跡地図には神社背後の三角点峰(神社からは比高僅か15m程)を中心の狭い範囲ですが、尾根筋も広い緩斜面・主郭と思える山頂部はあれた平坦地形、曲輪と思える段差も高くない平坦地が2〜3有るだけで、城遺構は主郭北面から西側にかけ... ...続きを見る

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2010/10/28 19:57
西八田城
JR舞鶴線と併走するR27号線で八田町名を見る頃には、西方の丘陵上には、桜ヶ丘団地・綾部工業団地の標示・標識や建物群が目に入ってくる。此の丘陵上を西に降った位置に舞鶴若狭自動車道が走り、現在の要衝に挟まれた中央部に位置して、桜ヶ丘団地・綾部工業団地を縦貫する府道74号が抜ける。 ...続きを見る

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2010/10/27 19:29
安国寺 綾部
先のブログで足利尊氏について少し触れてみましたが、景徳山安国寺(臨在宗東福寺派)は元は光福寺を称した。鎌倉時代中庸期:建長4年(1252)宗尊親王が将軍として鎌倉に下った際:北条幕府に請われて護衛役として鎌倉に移った勧修寺(上杉)重房が八田(やた)郷の上杉荘&lt;高槻保!!&gt;を賜り、所領から上杉の姓に改名し、其の後は上杉氏の菩提寺となりました。上杉家は貴族:藤原鎌足の子孫と云う。       開山堂への山道門は山家城(陣屋)城主:谷家の移築門 ...続きを見る

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2010/10/26 07:19
石原城 綾部
福知山市の綾部市境に牡丹寺として知られる洞玄寺が在り、其の敷地には折れを伴う空堀を廻わし、大土塁で囲われた大槻安藝守の石原(いさ)城が在る【洞玄は安芸国(広島)から来住した古城主の法名】此の石原(いさ)城の北方、由良川を挟んで対岸の丘陵南端に私市丸山古墳が見える。其の真東・直線上約1kmの綾部市側にも石原(いしはら)城がある。       主郭北面の大土塁(向いのコーナー部は櫓台!!?か) 先に紹介の小貝城は主郭の三方(北面は未確認だが? 地形から・そう思える!!)に深い空堀を廻すが土塁は見... ...続きを見る

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2010/10/21 20:21
小貝城 綾部
舞鶴若狭自動車道トンネル上に遺構保存された私市丸山古墳からは、綾部市街から福知山市にかけて由良川流域の眺望が良い。東方に走る府道74号線側に・その先端を落とす半独立低丘陵が、小貝(おがい)地区を挟んで真向いに横たわる。       小貝城:二ノ丸と主郭間の空堀(薮に覆われ草を刈らないと堀切とも思えないほど) この丘陵頂部へは丸山古墳公園からや小貝の八坂神社、尾根先東北山麓部からは石原遊歩道入口があり、此処からは林道経由で・途中には遊歩道専用駐車場まで整備された”綾部市創造の森”コースがありま... ...続きを見る

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2010/10/19 22:52

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